孫恩4  劉裕の迎撃

400 年、孫恩そんおんは再び余姚よようより上陸、上虞じょうぐを落とし、刑浦けいほに進んだ。謝琰しゃえん參軍さんぐん劉宣之りゅうせんしに迎撃させ、打ち破る。孫恩は撤退した。


それから間もなくして再び刑浦を攻撃、謝琰を殺した。朝廷はこの知らせに打ち震え、冠軍將軍かんぐんしょうぐん桓不才かんふさい輔國將軍ほこくしょうぐん孫無終そんむしゅう甯朔將軍ねいさくしょうぐん高雅之こうがしに鎮圧に向かわせた。孫恩は再び海に撤収した。


朝廷は劉牢之りゅうろうし會稽かいけいに駐屯させ海岸防備の総指揮を取らせる。吳國內史ごこくないし袁山松えんさんしょう扈瀆ことくに砦を築き、改めて孫恩よりの襲撃に備えた。


年が明け、孫恩は今度は浹口きょうこうより侵入。高雅之を打ち破ったが、劉牢之自身に出張られたため、ふたたび撤収。ただしこれは劉牢之を釣り出すための策であったようで、船にて扈瀆を強襲して袁山松を殺し、更に海から長江入りし、京口けいこうに向かった。


劉牢之は兵を率い西方に向かうも、間に合わない。しかし京口には既に劉裕りゅうゆうが到着しており、残っていた兵をかき集め、上陸できないよう防衛線を築いていた。この戦いで孫恩の軍は大敗、皆が慌てて船に乗り込んだ。


しかし孫恩は諦めない。今度は舳先を建康けんこう、東晋の中枢に向ける。朝廷はまたも震え上がり、兵を連ね孫恩を迎撃せんと待ち構えた。


孫恩は新州しんしゅうまで至ったものの、それ以上は進まず、撤収。帰り際には長江北岸の廣陵こうりょうを襲撃、陥落させたうえ、海路にて北上した。行き着く先は南燕領にもほど近い島、鬱洲うつしゅう。しかし劉裕は劉敬宣りゅうけいせんを伴い追撃をかけてき、幾度もの戦いで孫恩軍を大破した。こうしたことからついに孫恩の勢力は衰退し、本拠地に戻るべく南下した。劉裕もまた追撃の手を緩めず、扈瀆にて再び孫恩を大破。孫恩は海路を更に逃げねばならなくなった。




隆安四年,恩復入余姚,破上虞,進至刑浦。琰遣參軍劉宣之距破之,恩退縮。少日,復寇刑浦,害謝琰。朝廷大震,遣冠軍將軍桓不才、輔國將軍孫無終、甯朔將軍高雅之擊之,恩復還於海。於是復遣牢之東屯會稽,吳國內史袁山松築扈瀆壘,緣海備恩。明年,恩復入浹口,雅之敗績。牢之進擊,恩復還於海。轉寇扈瀆,害袁山松,仍浮海向京口。牢之率眾西擊,未達,而恩已至,劉裕乃總兵緣海距之。及戰,恩眾大敗,狼狽赴船。尋又集眾,欲向京都,朝廷駭懼,陳兵以待之。恩至新州,不敢進而退,北寇廣陵,陷之,乃浮海而北。劉裕與劉敬宣並軍躡之于鬱洲,累戰,恩復大敗,由是漸衰弱,復沿海還南。裕亦尋海要截,復大破恩于扈瀆,恩遂遠迸海中。


(晋書100-4)





ぼく「りうゆさん水軍指揮力異常では……?」


このひとどんだけの兵科に精通してんですかね、まるで意味がわからないです。将来十万規模の兵とかもホイホイ動かしちゃうし。後秦の潰し方とか包囲による一網打尽、果には北魏包囲網を敷くための外交戦略。もちろんこのあたりにもなると謝晦が存分に辣腕振るったんでしょうけど、クロスレンジからアウトリーチまで自由自在すぎます。この戦いが示すのは、劉裕は伝の載らないところでさんざん陸戦水戦を積みまくっている、ということ。いやほんと、そこが知りたい、そこが知りたいんでございますよアテクシは……。

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