殷仲文1 桓玄の姉婿

殷仲文いんちゅうぶん南蠻校尉なんばんこうい殷覬いんぎの弟だ。幼い頃より才覚を示し、また美貌で知られた。從兄の殷仲堪いんちゅうかんにより司馬道子しばどうしに推挙され、驃騎參軍ひょうきさんぐんとなり、厚遇を受けた。間もなくして諮議參軍しぎさんぐんとなり、その後、司馬元顕しばげんけん征虜長史せいりょちょうしとなった。


桓玄かんげんと朝廷との関係が悪化すると、桓玄の姉が殷仲文の妻であったことからその関係性が疑われ、新安太守しんあんたいしゅに左遷させられた。とはいえ殷仲文と桓玄はただ姻親であっただけの関係で、それほど親密ではなかった。桓玄が司馬元顕らを倒し建康けんこう入りしたと聞き、任地をなげうち桓玄に合流。桓玄は大いに喜び、殷仲文を諮議參軍とした。この頃桓玄の幹部に主だった者が二人いた。しかし王謐おうひつについては禮制に長けていたが親しいとは言えず、卞范之べんはんしは親しかったがそこまで禮制に詳しいわけでもなかった。殷仲文は親しい間柄であり、かつ礼にも長けるという、まさしく両名のいいとこ取りのような人物であり、その寵遇はたちまち重くなった。桓玄がいよいよ簒奪、と言う段になると詔勅や下命のたぐいの一切を殷仲文に書かせた。侍中じちゅうとなり、左衛將軍さえいしょうぐんを兼ねた。桓玄にもたらされた九錫きゅうしゃくの典策文もまた殷仲文によるものである。


さて、桓玄が簒奪をなし宮殿入りしたとき、いきなり床が抜けた。あまりにも露骨な「没落」の兆しである。人々はこの事態に顔色を失ったのだが、殷仲文は言う。

「陛下の聖德の深厚なるを、地も受け止めきれなんだようですな」

桓玄は大喜びであったという。


佐命の項功、親族としての貴さ。殷仲文の驕り高ぶりは凄まじく、輿や馬、器具類や衣服、いずれもがとことんに贅を尽くされたものとなり、囲い込んだ美女も数十にのぼり、邸宅内では音楽の切れることがなかった。その上でドケチであり、多くのまいないをかき集め、家に数千もの金を抱え込んだが、なおも飽き足らず蒐集に走った。桓玄が劉裕りゅうゆうに敗れると桓玄とともに西に逃れたが、集めた宝物のたぐいは全て地中に埋め、その行方がわからなくなった。


巴陵はりょうに到着したところでついには桓玄を見限り、何皇后かこうごうおよび王皇后おうこうごうを報じ、義軍に投降。鎮軍長史ちんぐんちょうしに任じられ、尚書しょうしょに移った。




殷仲文,南蠻校尉覬之弟也。少有才藻,美容貌。從兄仲堪薦之于會稽王道子,即引為驃騎參軍,甚相賞待。俄轉諮議參軍,後為元顯征虜長史。會桓玄與朝廷有隙,玄之姊,仲文之妻,疑而間之,左遷新安太守。仲文于玄雖為姻親,而素不交密,及聞玄平京師,便棄郡投焉。玄甚悅之,以為諮議參軍。時王謐見禮而不親,卞範之被親而少禮,而寵遇隆重,兼于王、卞矣。玄將為亂,使總領詔命,以為侍中,領左衛將軍。玄九錫,仲文之辭也。

初,玄篡位入宮,其床忽陷,群下失色,仲文曰:「將由聖德深厚,地不能載。」玄大悅。」以佐命親貴,厚自封崇,輿馬器服,窮極綺麗,後房伎妾數十,絲竹不絕音。性貪吝,多納貨賄,家累千金,常若不足。玄為劉裕所敗,隨玄西走,其珍寶玩好悉藏地中,皆變為土。至巴陵,因奉二後投義軍,而為鎮軍長史,轉尚書。


(晋書99-33)





殷仲文と言えば、世説新語でも従犯定まらないザ変節漢という感じなんですが、まあ評価が難しいでね。桓玄の副官から転じて、いきなり劉裕付きの副官に抜擢されてるわけです。その才覚が凄まじかったのは間違いのないことなのでしょう。と言うかまぁこのひと、自分自身がどう考えてようと、嫌でも桓玄与党にならざるを得ない立場なわけですよね。いやあ、地獄ですわ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る