卞范之  桓玄の心膂

卞范之べんはんし、字は敬祖けいそ濟陰さいいん宛句えんく県の人だ。東晋初期にその直剛さで恐れられた卞壼べんこんの同郷人であり、おそらくは直接の血の繋がりもあるのだろう。その聡明さをかねてより世に讃えられていた。太元たいげん年間中、丹陽丞たんようじょうから始安太守しあんたいしゅに移った。


桓玄かんげんと幼い頃よりよしみを通じており、桓玄か江州刺史こうしゅうししとなると勧誘を受け、長史ちょうしとなり、副官として多くの計略に関わり、その意思決定に関与しないことはなかった。


後に桓玄が朝廷の大権を握り、簒奪を目論むと、卞范之を丹陽尹たんよういんとした。卞范之と殷仲文いんちゅうぶんは桓玄が捏造する詔勅文の起草にあたり、この功績から卞范之は征虜將軍せいりょしょうぐん散騎常侍さんきじょうじとされた。


桓玄が簒奪をなすと、卞范之は侍中じちゅう班劍はんけん二十人となり、後將軍こうしょうぐんにすすみ、臨汝縣公りんじょけんこうに封じられた。禅譲詔勅は卞范之の筆によるものであった。


桓玄の贅沢好みはとどまるところを知らず、卞范之もまた豪奢な屋敷を構えた。盛營館第。佐命元勳であることを鼻にかけおごり散らかし、またその子弟らも傲慢に振る舞い、人々から嫌われ恐れられた。


劉裕りゅうゆうらが決起すると、卞范之は覆舟山ふくしゅうざんの西に兵を構えたが、劉毅りゅうきに敗れ、桓玄に従い西方に逃れた。桓玄は卞范之を尚書僕射しょうしょぼくしゃに任じた。桓玄が更に劉毅らに敗れると、まわりの人間が桓玄のそばから離れていくなか卞范之一人がずっとそばにあった。桓玄の一味が滅ぼされると、江陵こうりょうにて斬られた。




卞范之字敬祖,濟陰宛句人也,識悟聰敏,見美於當世。太元中,自丹陽丞為始安太守。桓玄少與之游,及玄為江州,引為長史,委以心膂之任,潛謀密計,莫不決之。後玄將為篡亂,以範之為丹陽尹。范之與殷仲文陰撰策命,進範之為征虜將軍、散騎常侍。玄僭位,以範之為侍中,班劍二十人,進號後將軍,封臨汝縣公。其禪詔,即范之文也。

玄既奢侈無度,范之亦盛營館第。自以佐命元勳,深懷矜伐,以富貴驕人,子弟慠慢,眾咸畏嫉之。義軍起,范之屯兵於覆舟山西,為劉毅所敗,隨玄西走,玄又以范之為尚書僕射。玄為劉毅等所敗,左右分散,唯範之在側。玄平,斬於江陵。


(晋書99-32)




立ち位置はほとんど司馬元顕しばげんけんに付き従った張法順ちょうほうじゅん(わたしの大好きな人物です)と同じなんですが、あのひとほどの愛着はどうにも持てないんですよねえ。なにせぜんぜん桓玄を諌めない。このあたり、次にくる殷仲文いんちゅうぶんの方がまだマシなんですよね。あいつはただあいつは晩節がひどすぎるので、やはり問題外。うーん、桓玄まわり、もうちょいときめく人物いないのかなあ。羊氏温氏あたりでたぶん気骨示した人物もいたと思うんですけど。敗者側の人物はほんに冷遇が激しくてな……特に桓玄みたくどうあがいても弁護のしようがない人物の場合……。

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