桓玄31 桓氏滅亡
○晋書
404 年正月、
同日、安帝は江陵にて帝位に復帰したと宣言。大赦が布告されたが、
二月、桓謙、
桓振と苻宏は
詔勅が下り、桓胤とその配下達は
407 年、
なお既に書いたところではあるが、桓謙は後秦を経て蜀入りした後、蜀で決起していた
○魏書
特に新規情報はない。
義熙元年正月,南陽太守魯宗之起義兵襲襄陽,破偽雍州刺史桓蔚。無忌諸軍次江陵之馬頭,振擁帝出營江津。魯宗之率眾於柞溪,破偽武賁中郎溫楷,進至紀南。振自擊宗之,宗之失利。時蜀軍據靈溪,毅率無忌、道規等破馮該軍,推鋒而前,即平江陵。振見火起,知城已陷,乃與謙等北走。是日,安帝反正。大赦天下,唯逆黨就戮,詔特免桓胤一人。桓亮自豫章,自號鎮南將軍、湘州刺史。苻宏寇安成、廬陵,劉敬宣遣將討之,宏走入湘中。二月,桓謙、何澹之、溫楷等奔于姚興。
桓振與宏出自溳城,襲破江陵,劉懷肅自雲杜伐振等,破之。廣武將軍唐興斬振及偽輔國將軍桓珍,毅於臨鄣斬偽零陵太守劉叔祖。桓亮、苻宏復出冠湘中,害郡守長吏,檀祗討宏於湘東,斬之,廣武將軍郭彌斬亮于益陽,其餘擁眾假號皆討平之。詔徙桓胤及諸党與于新安諸郡。
三年,東陽太守殷仲文與永嘉太守駱球謀反,欲建桓胤為嗣,曹靖之、桓石鬆、卞承之、劉延祖等潛相交結,劉裕以次收斬之,並誅其家屬。後桓謙走入蜀,蜀賊譙縱以謙為荊州刺史,使率兵而下,荊楚之眾多應之。謙至枝江,荊州刺史劉道規斬之,梁州刺史傅歆又斬桓石綏,桓氏遂滅。
(晋書99-31)
桓振寇江陵,為唐興所斬。其餘親從,或當時擒獲,或奔散外境,數年之間,並敗滅之。
(魏書97-23)
宋書の前に晋書をやってたらまぁ新規情報もあったんですが、気分としては完全に宋書武帝紀のおさらい、なんですよね。というわけで桓玄おしまい。おつかれっした!
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