桓玄30 桓振の抵抗

○晋書


何無忌かむきらは桓謙かんけん馬頭ばとうにて、桓蔚かんうつ龍洲りゅうしゅうにて攻撃、打ち破った。追討軍は勝ちに乗じて進軍こそしたが、桓振かんしん馮該ふうがいらの反撃を靈溪れいけいにて受け敗退、劉道規りゅうどうきらの軍には死者や長江ちょうこうに投げ出された者が千人あまりに及んだ。このため追討軍はいちど尋陽じんようにまで引き、戦艦や装備の修繕に当たった。

毛璩もうきょ梁州りょうしゅうを守るため、配下将を発して漢中かんちゅうを攻撃、桓希かんきを討ち取った。江夏相こうかしょう張暢之ちょうちゅうし高平太守こうへいたいしゅ劉懐粛りゅうかいしゅく何澹之かたんし西塞磯せいさいきにて攻撃、撃破。


桓振は桓蔚かんうつを発し王曠おうこうの代わりに襄陽じょうようを守らせた。劉道規は武昌ぶしょうにまで改めて進軍、王旻おうびんを撃破した。魏詠之ぎえいし劉藩りゅうはん桓石綏かんせきすい白茅はくぼうにて撃破した。


こうして追討軍は改めて体勢を整え、尋陽を進発。桓亮かんりょう江州刺史こうしゅうししと自称し豫章よしょうを攻めたが、江州刺史の劉敬宣りゅうけいせんが撃退、敗走させた。


追討軍は夏口かこうにまで進む。馮該らは夏口かこうを守り、孟山図もうさんと魯城ろじょうを守り、桓山客かんさんきゃく偃月壘えんげつるいを守った。劉毅りゅうきは魯城を攻め、劉道規は偃月壘を攻め、何無忌と檀祗だんきは水軍中盤に待機し、敗亡者狩りに務めた。追討軍の勢いは凄まじく、その雄叫びは山や谷をも震わせ、辰の刻に始まった戦闘は午の刻までに二城を陥落させ、馮該は逃亡、桓山客は生け捕りとなった。劉毅らは巴陵はりょうを平定した。毛璩は涪陵太守ふりょうたいしゅ文処茂ぶんしょもを発し東方に進軍させた。桓振は桓放之かんほうしを益州方面の守りとして夷陵いりょうに駐屯させたが、文處茂に破られ逃走、江陵に帰還した。



○魏書


桓振まわりには桓石虔伝で見た内容が補足として入れられている。




何無忌等攻桓謙於馬頭,桓蔚于龍洲,皆破之。義軍乘勝競進,振、該等距戰於靈溪,道規等敗績,死沒者千餘人。義軍退次尋陽,更繕舟甲。毛璩自領梁州,遣將攻漢中,殺桓希。江夏相張暢之、高平太守劉懷肅攻何澹之於西塞磯,破之。振遣桓蔚代王曠守襄陽。道規進討武昌,破偽太守王旻。魏詠之、劉籓破桓石綏于白茅。義軍發尋陽。桓亮自號江州刺史,侵豫章,江州刺史劉敬宣討走之。義軍進次夏口。偽鎮東將軍馮該等守夏口,揚武將軍孟山圖據魯城,輔國將軍桓山客守偃月壘。劉毅攻魯城,道規攻偃月壘,無忌與檀祗列艦中流,以防越逸。義軍騰赴,叫聲動山谷,自辰及午,二城俱潰,馮該散走,生擒山客。毅等平巴陵。毛璩遣涪陵太守文處茂東下,振遣桓放之為益州,屯夷陵,處茂距戰,放之敗走,還江陵。

(晋書99-30)


桓振逃于華容之浦,陰聚黨數千人,晨襲江陵,克之。桓謙亦聚眾而出。振既至,問玄子昇所在,知昇已死,欲殺德宗,謙苦禁之。謙率羣官復立德宗,振自為都督八州、鎮軍將軍、荊州刺史,謙復本職,又加江豫二州刺史。後德宗益州刺史毛璩殺桓希漢中。

(魏書97-22)




(もはや早く終われ的な顔にしかなっていない)

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