桓玄29 梟首
○晋書
さて、
「いつこの身に死が降りかかるかと思うと、気が気でならんのだ」
当時の童謡に、このようなものがあった。
「道をゆくゆく、
長幹巷とは
桓玄の死んだ同月、
○魏書
新規情報はない。
初,玄在宮中,恆覺不安,若為鬼神所擾,語其所親云:「恐己當死,故與時競。」元興中,衡陽有雌雞化為雄,八十日而冠萎。及玄建國于楚,衡陽屬焉,自篡盜至敗,時凡八旬矣。其時有童謠云:「長幹巷,巷長幹,今年殺郎君,後年斬諸桓。」其凶兆符會如此。郎君,謂元顯也。
是月,王騰之奉帝入居太府。桓謙亦聚眾沮中,為玄舉哀,立喪庭,偽諡為武悼皇帝。毅等傳送玄首,梟於大桁,百姓觀者莫不欣幸。
(晋書99-29)
玄既敗,桓謙匿於沮中。
(魏書97-21)
この辺は宋書五行志にも載っていたりする内容ですね。はいはい例によっていつものやつという感じです。
長幹巷
建康南部を流れる秦淮河河畔の広い地域を指すらしい。そうしたところのうち、特に山あいの狭い低地に人々が雑居していて、「巷」とはそういった場所を指すのだそう。まぁそんな次第で「長幹巷」は長幹のちまたを指し、「巷長幹」は長幹を歩くとするのがいいのかな、と感じました。広い地域、とあったので、たぶん建康市街から秦淮河をまたぐ橋、すなわち朱雀大桁も長幹巷に含まれるのでしょう。なら、上の歌謡は「(
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