桓玄29 梟首

○晋書


さて、桓玄かんげんが宮中にあった頃、常に不安をいだき続けていた。もし鬼神に自身の立場を脅かされてしまったらどうすべきか、と悩み、近しいものに打ち明けていた。

「いつこの身に死が降りかかるかと思うと、気が気でならんのだ」


元興げんこう年間、衡陽こうようの雌鶏が雄鶏に変わるという事件が起きた。しかし八十日後にそのトサカがしぼんだ。ちなみに桓玄が王となると、衡陽もその封地に含まれた。そして簒奪から敗亡までが、およそ八十日であった。


当時の童謡に、このようなものがあった。

「道をゆくゆく、長幹巷ちょうかんこう。今年に郎君ろうくん殺されりゃ、のちのち諸桓が斬られよう」


長幹巷とは建康けんこう南部、秦淮河しんわいがそばの長干里ちょうかんりにある街路のことのようである。処刑される直前の郎君、こと司馬元顕しばげんけんがここを引っ立てられたのかもしれないが、詳細はわからない。いずれにせよこの道が司馬元顕の破滅を連想させたようであり、また将来桓玄も同じ目に遭うだろう、と歌われたようである。


桓玄の死んだ同月、王騰之おうとうし安帝あんていを奉じ、江陵こうりょう太府たいふ入りした。


桓謙かんけん沮中しょちゅうにて残党を再編し、桓玄のために哀礼を捧げ、喪庭を立て、武悼皇帝ぶとうこうていと諡した。


劉毅りゅうきらが桓玄の首を建康に送ると、その首は朱雀大桁すざくおおけたにて晒し者となった。桓玄の死を見て喜ばないものはなかった。



○魏書

新規情報はない。




初,玄在宮中,恆覺不安,若為鬼神所擾,語其所親云:「恐己當死,故與時競。」元興中,衡陽有雌雞化為雄,八十日而冠萎。及玄建國于楚,衡陽屬焉,自篡盜至敗,時凡八旬矣。其時有童謠云:「長幹巷,巷長幹,今年殺郎君,後年斬諸桓。」其凶兆符會如此。郎君,謂元顯也。

是月,王騰之奉帝入居太府。桓謙亦聚眾沮中,為玄舉哀,立喪庭,偽諡為武悼皇帝。毅等傳送玄首,梟於大桁,百姓觀者莫不欣幸。

(晋書99-29)


玄既敗,桓謙匿於沮中。

(魏書97-21)




この辺は宋書五行志にも載っていたりする内容ですね。はいはい例によっていつものやつという感じです。


長幹巷

建康南部を流れる秦淮河河畔の広い地域を指すらしい。そうしたところのうち、特に山あいの狭い低地に人々が雑居していて、「巷」とはそういった場所を指すのだそう。まぁそんな次第で「長幹巷」は長幹のちまたを指し、「巷長幹」は長幹を歩くとするのがいいのかな、と感じました。広い地域、とあったので、たぶん建康市街から秦淮河をまたぐ橋、すなわち朱雀大桁も長幹巷に含まれるのでしょう。なら、上の歌謡は「(王恭おうきょうの首がかかったように)桓玄の首もまたここにかけられることになるだろう」といった意味合いになるのかもしれませんね。

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