桓玄25 桓詔と呼べ


○晋書


桓玄かんげん建康けんこうから追いやられて以降、配下らが法令をまともに守らなくなるのではないかと恐れ、軽々に怒りを顕とし、配下を殺害するようになり、多くの配下が恨みを抱き、離反した。


殷仲文いんちゅうぶんが諫めて言う。

「陛下幼きみぎりより俊英の栄誉をほしいままとなされ、遠近よりの敬服をお受けになり、遂には荊雍けいようの混乱をお鎮めになり、建康の乱政をお正しになり、その名声を全土にお轟かせになられたお方。極位におのぼりになられたところで斯様なさだめにめぐり逢われるのは、決して威厳足りぬゆえではござりませぬ。いま百姓はあえぎ、陛下よりの恩沢を待ち望んでおります。どうか寛仁のお風を巡らせになり、そのお怒りをお鎮めくださりますよう」


桓玄は怒って言う。

漢高かんこう魏武ぎぶはい幾度となく敗れておるが、いずれもが諸將の失敗によるものぞ! 天文の運びも悪く、こうして舊楚きゅうその都に帰ってみた以上、まずは群小、愚惑、妄生どもになにが正しいことであるかを叩き込まねばならぬのだ。恩賜なぞ、正しき基準を骨身にしみこませた上でなければ無意味ぞ!」


桓玄は側仕えたちに自身を「桓詔かんしょう」と呼ばせるようになっていた。見かねたいとこの桓胤かんいんが諫めて言う。

「詔とは辭令を下すにあたって用いるものにございますれば、決して称号とはなりえませぬ。漢魏の時代に斯様な呼称を求めたものもおらず、例外はただひとり、北虜の苻堅ふけんが自らを苻詔ふしょうと呼ばせた程度のものにございます。願わくば、陛下におかれてはいにしえの取り決めに従われ、万世にわたる善き法令をお示しくださりますよう」


桓玄は言う。

「もはや発された命である。すぐさま取りやめを宣言すれば、それこそが不祥となろう。訂正は此度の変事が片付いた後に為そうとも」


荊州けいしゅうの郡守は桓玄が落ち延びてきたと聞くと使者を遣わせ挨拶に出向いてきたが、そこに不吉な内容、不名誉な内容が少しでもあれば受け取らず、遷都を祝賀する内容に書き改めさせた。



○魏書


特に新規情報はない。なお起居注の話がこちらにずれ込んできている。




玄以奔敗之後,懼法令不肅,遂輕怒妄殺,人多離怨。殷仲文諫曰:「陛下少播英譽,遠近所服,遂掃平荊雍,一匡京室,聲被八荒矣。既據有極位,而遇此圮運,非為威不足也。百姓喁喁,想望皇澤,宜弘仁風,以收物情。」玄怒曰:「漢高、魏武幾遇敗,但諸將失利耳!以天文惡,故還都舊楚,而群小愚惑,妄生是非,方當糾之以猛,未宜施之以恩也。」玄左右稱玄為「桓詔」,桓胤諫曰:「詔者,施於辭令,不以為稱謂也。漢魏之主皆無此言,唯聞北虜以苻堅為'苻詔'耳。願陛下稽古帝則,令萬世可法。」玄曰:「此事已行,今宣敕罷之,更為不祥。必其宜革,可待事平也。」荊州郡守以玄播越,或遣使通表,有匪寧之辭,玄悉不受,仍乃更令所在表賀遷都。

(晋書99-25)


玄以奔敗之後,懼法令不肅,遂輕怒妄殺,逾甚暴虐。殷仲文諫之,玄大怒曰:「漢高、魏武幾遇敗,但諸將失利耳。以天文惡,故還都舊楚,而羣小愚惑,妄生是非,方當糾之以猛,未宜施之以恩也。」荊、江郡守,以玄播越,咸遣使通表,有匪寧之辭,玄悉不受,乃更令所在表賀遷都。玄在道自作起居注,敍其拒劉裕事,自謂算略無失,諸將違節度,以至於敗。不暇謀議軍事,惟誦述寫傳之。

(魏書97-17)




こう言うのって、諌めの言葉が載っちゃうとさすがに受け取るしかないのかなあ、とも感じずにおれない。とは言えこの国の人達とことん引用文化ですしねえ。うーん、わからん。


とりあえず桓玄伝は愚君暗君テンプレとしての活用用途はありますかね。

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