桓玄24 軍勢復調

○晋書


桓玄かんげん尋陽じんようにたどり着くと、江州刺史こうしゅうしし郭昶之かくちょうしが軍備及び兵力を提供した。あとから尋陽に到着した殷仲文いんちゅうぶんが遠くから桓玄の舟を見たとき、その装飾が引き続き皇帝のためのものであったのを見て嘆息し、言う。

「敗走中にも関わらず勢いを取り戻したと聞いて、はて、と思ったが、なるほど、こうされてはな」


桓玄は安帝あんていを屋敷から引きずり出して船に載せ、長江ちょうこうを遡上した。


桓玄の兄の一人、桓歆かんいんが手勢を集め曆陽れきようを襲撃したが、宣城內史せんじょうないし諸葛長民しょかつちょうみんに撃退された。


桓玄は江陵こうりょうまでの道すがら起居注ききょちゅうを作成。劉裕たちを防ぐ戦略を練るに当たり、自身が授けた作戦に誤りはなかった、と書かせた。しかし諸將がこちらの戦略意図を読み誤り、この大敗に至ったのだ、と。敗戦の罪は自分にはない、としたのである。その上で臣下とまともに謀議を重ねようともせず、ひたすらにその起居注を読みふけり、ひたすらにその宣伝にのみ勤しんだ。


桓玄が江陵こうりょうに到着すると、桓石康かんせきこうが迎え入れた。桓玄は城の南に天幕を張ると、そこに百官を置き、卞范之べんはんし尚書僕射しょうしょぼくしゃとした。またその他にも多くの官職を老いたが、みな多量の要件を負わされるにも関わらず、その報酬は微々たるものであった。こうして強制的に水軍を立ち上げさせ、三十日もしない間に二万の軍勢と戦艦が大いに揃えられた。


そして桓玄は、兵らに言う。

「卿らはみな朕に付き従う正義の軍である。長江下流より不届きにも朕を狙う者たちも、卿らを見るなりたちまち謝罪し軍門に降ってこよう。そして卿らが長江を下り、石頭せきとう城入りした際、改めて朕以上に高貴なるものはおらぬと知るであろう」



○魏書

特に新規情報は無い。



玄至尋陽,江州刺史郭昶之給其器用兵力。殷仲文自後至,望見玄舟,旌旗輿服備帝者之儀,歎息曰:「敗中復振,故可也。」玄於是逼乘輿西上。桓歆聚党向曆陽,宣城內史諸葛長民擊破之。玄於道作起居注,敘其距義軍之事,自謂經略指授,算無遺策,諸將違節度,以致虧喪,非戰之罪。於是不遑與群下謀議,唯耽思誦述,宣示遠近。玄至江陵,石康納之,張幔屋于城南,署置百官,以卞范之為尚書僕射,其餘職多用輕資。於是大修舟師,曾未三旬,眾且二萬,樓船器械甚盛。謂其群黨曰:「卿等並清塗翼從朕躬,都下竊位者方應謝罪軍門,其觀卿等入石頭,無異雲霄中人也。」

(晋書99-24)


玄挾德宗發尋陽,至江陵,西中郎將桓石康納之。張幔屋,止城南,署置百官,以卞範之為尚書僕射,殷仲文為徐州,其餘各顯用。玄謂諸侍臣曰:「卿等並升清塗,翼從朕躬,都下竊位者方應謝罪軍門,其見卿等入石頭,無異雲霄中人也。」

(魏書97-18)




バカのテンプレ過ぎて「ソウデスカー」以上の感想が持てないシーンが続きすぎてて、もう。ただラストに出てくる桓玄のコメント、これはたぶんその通りだったりするのでしょう。相変わらずなに言ってんのかイマイチわかりません。漢語でおk。


ていうかこの発言、たぶん兵の大半も意味拾いきれないっしょ。こういう、自分の言葉に酔い痴れるような輩だったのは間違いがなさそうだよな、という感じもします。


ここで桓玄の軍勢修復力が特筆されてますが、まあ「もとからあった軍備を接収しました」なんでしょうね。南蛮校尉なんばんこうい府あたりとか、本来蛮に対する防衛戦力も召し上げられてそうで悲惨。

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