桓玄23 大敗



○晋書


桓玄かんげん劉裕りゅうゆう軍の接近にますます恐れおののき、武衛將軍ぶえいしょうぐん庾頤之ゆせきしに精兵を預け、諸軍の援護にあてた。この東北よりの風が突然吹き始めたため、劉裕が蒋山しょうざんに火を放つ。その煙はまたたく間に建康けんこうの空を覆い、その向こうから戦鼓や鬨の声ばかりが建康けんこうに轟いた。


劉裕りゅうゆうは旗を巻きつけたまさかりを掲げて進み、桓謙かんけんら諸軍を鎧袖一触にて蹴散らした。桓玄もはじめこそ近習数千人を引き連れ戦いに赴く、と言い出してこそいたのだが、ついには子の桓昇かんしょうや兄の子の桓浚かんしゅんを引き連れ、南掖門なんえきもんを出て石頭せきとう城に落ち延び、殷仲文いんちゅうぶんに船を準備させておき、ともに南へ逃れた。


さて桓玄が姑孰こじゅくにあった頃のこと、將や大臣の星にしばしば異変が起きていた。また簒奪をなした夜、月と金星が羽林うりんの星宿に入った。近衛隊周りで兵乱が起きる、といった系統の占いとなる。桓玄はこの天兆をひどく嫌った。


敗走するに当たり、腹心らはなおも抗戦すべきだと桓玄に告げたが、桓玄はまともに答えもせず、代わりに馬鞭にて天を示すのみであった。


何日経っても食事はまともに喉を通らず、近侍が粥を勧めても、やはり飲み込めない。このとき数歳であった桓昇を抱きしめてなでさすり、悲しみに打ちひしがれ、まともに立ち上がることすらできずにいた。


劉裕は以 武陵王ぶりょうおう司馬遵しばじゅんを皇帝の代理として担ぎ、萬機を統べさせ、行台ぎょうだい、仮政府を立ち上げさせた。劉毅りゅうき劉道規りゅうどうきに桓玄を追撃させ、逃げ遅れていた桓玄の諸兄の子、また桓石康かんせきこうの兄である桓権かんけん桓振かんしんの兄の桓洪かんこうらを誅殺した。



○魏書


桓昇の年が五、六歲ほどであったと書かれる。




玄益憂惶,遣武衛將軍庾頤之配以精卒,副援諸軍。于時東北風急,義軍放火,煙塵張天,鼓噪之音震駭京邑。劉裕執鉞麾而進,謙等諸軍一時奔潰。玄率親信數千人聲言赴戰,遂將其子升、兄子浚出南掖門,西至石頭,使殷仲文具船,相與南奔。

初,玄在姑孰,將相星屢有變;篡位之夕,月及太白,又入羽林,玄甚惡之。及敗走,腹心勸其戰,玄不暇答,直以策指天。而經日不得食,左右進以粗飯,咽不能下。升時年數歲,抱玄胸而撫之,玄悲不自勝。

劉裕以武陵王遵攝萬機,立行台,總百官。遣劉毅、劉道規躡玄,誅玄諸兄子及石康兄權、振兄洪等。

(晋書99-23)


又遣武衞庾賾之配以精卒利器,援助謙等。謙等大敗,玄聲云赴戰,將子姪出南掖門,西至石頭。先使殷仲文具船於津,遂相與南走。經日不得食,左右進以粗粥,咽不能下。玄子昇五六歲,抱玄胸而撫之,玄悲不自勝。

(魏書97-17)




うーんこの宋書武帝紀以外まともに史料らしい史料残ってなかったんじゃねえの感。桓玄側の史料が残ってたら、もう少し新規情報が出るはずですしね。「桓昇を抱いて悲嘆に暮れた」あたりも怪しくて仕方ない。まぁこのへんは殷仲文が近くにいた以上、あることないこといいたてそうな気もしないではないですが。


ほんと劉裕、絶妙な人材残したよなあ……「こいつ生き延びさせてちょっと冷遇すれば生き残りのうち有力な桓氏担ぎ出して自滅すんだろ」と計算してたようにしか思えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る