桓玄26 どんどん不利になる
○晋書
桓玄追討に向かっていた
桓玄が徐放に言う。
「かの者らは、ろくろく天命も悟れぬままこのような暴挙に出た。朕はこうした暴挙にて災いが拡大し、天下の乱れがとどまるところを知らぬようになることを恐れるものである。
卿は三州の臣民に信頼されておる。ならば朕の天下への忠心も正しく民らに伝えられよう。
もし卿の言葉にて謀反者の解散を成し得たならば、ともに天下の創業に参与することを認め、また卿の関係者たちにも間違いなく相応の地位を与えよう。
徐放が答える。
「
桓玄は言う。
「成し遂げた暁には、
徐放はこの任務を引き受け、何無忌の軍に入った。。
○魏書
このあたりと同期する記述はない。ただしその破滅に至る前段として、桓玄の手勢が劉裕の手勢にしばしば破れたこと、桓玄が自分だけいつでも逃げられるような手はずを整えていた事に対し、配下らが桓玄のために命を張るのを馬鹿馬鹿しいと思っていたことを語る。
玄遣遊擊將軍何澹之、武衛將軍庾稚祖、江夏太守桓道恭就郭銓以數千人守湓口。又遣輔國將軍桓振往義陽聚眾,至弋陽,為龍驤將軍胡譁所破,振單騎走還。何無忌、劉道規等破郭銓、何澹之、郭昶之于桑落洲,進師尋陽。玄率舟艦二百發江陵,使苻宏、羊僧壽為前鋒。以鄱陽太守徐放為散騎常侍,欲遣說解義軍,謂放曰:「諸人不識天命,致此妄作,遂懼禍屯結,不能自反。卿三州所信,可明示朕心,若退軍散甲,當與之更始,各授位任,令不失分。江水在此,朕不食言。」放對曰:「劉裕為唱端之主,劉毅兄為陛下所誅,並不可說也。輒當申聖旨于何無忌。」玄曰:「卿使若有功,當以吳興相敘。」放遂受使,入無忌軍。
(晋書99-26)
劉裕遣其冠軍將軍劉毅發建鄴,追之。玄軍屢敗。玄常裝輕舸於舫側,故其兵人莫有鬬志。玄乃棄眾而走,餘軍以次崩散,遂與德宗還江陵。
(魏書97-18)
徐放
このひとはスルーしちゃならないんだろうな、と思って調べてみたところ、思いがけないところにいました。王国宝の側仕えだったみたいです。
https://kakuyomu.jp/works/16817139559045607356/episodes/16817139559106146862
ほぇえ……まあ最近のお仕事の諸々で「こんなクソ上司と同じ枠に押し込められてたまるかくたばれ」的な思いがどんどん強くなってるんで、王国法の配下だからってうかつにクソの子分扱いするわけにも行きませんわね。
そんで、ひと通り調べてみた感じだと彼はここにしかいなさそうです。ともなれば、原文にある「入」は、とりあえず使者の任務を請け負った上で赴き、帰順した、と考えるべきなのかな。まあ確定していい感じでもありませんが、「晋書がそう読ませたいと思っている」までは言い切って良さそうです。
江水在此,朕不食言。
ここまで、桓玄をクソと言い切りたい本であるところの晉書の性格的に、桓玄を迂闊にクソ野郎扱いしてはならない、と自分を戒めてきたんですが、ここに来て決壊しました。
いや、クソですわこいつ。擁護の余地なし。
ものごとを命じる人間の器として、どれだけ「命じる相手に納得させられるか」が求められます。それは立場であったり、カリスマであったり様々でしょう。そうした部分を踏まえ、桓玄の発言を見てみると……
『
「爾無不信、朕不食言。」
お前はなにも疑う必要はない、朕が我が発言を食べる(=いったん言ったことを飲み込み、なかったことにする)ことはありえない。
あ、いや、典拠至上主義の世界において、より格の高い言葉を用いるのが自身の格付けをも裏付ける。そういう世界ですよ、わかります。そのへんを理解しないつもりはねーです。
ただ桓玄くんさぁ、いま自分がどういう立場に追い込まれてるか理解してる? 君がここまで割と粗雑に提示し続けてきた、皇帝としての格を粗暴な武力でひっくり返されたんやで?
……と、ここまで書いてみた結果「ああ、そうか。桓玄ってどこまでも漢魏晋までの価値観から脱却しきれないお坊ちゃまなんだ」と、気持ち悪いくらいまでに納得させられてしまいました。
桓玄がわざわざ書経の言葉を持ち出してまで命令を下すのって、結局のところ南朝が「三皇五帝から夏殷周を経て漢に下された天命を正しく継承しているのはぼくです! 粗暴な強さをひけらかす北朝に正統性はどこにもありません!」と負け犬の遠吠えしまくった末に結局武力で葬り去られたのと、全く一緒なんですよね。
お前は、敵に勝てないクソ雑魚なことを認めきれないからこそ、敵に対する優越性をなんとか捏造したいがために、過去の権威にすがろうとする。下のものから見れば、力なき権威なんぞただの張子の虎以外の何物でもないようにしか映らないとも気付けずに。
あえて他人事のように書いてはいますが、このあたりのあれこれって、いくらでも現代にも見受けられるんですよね。誰の発言引くといいのかな? 「ピーターの法則」拾っちゃったほうが早い? いやピーターの法則をすでに語ってる古典もありそうですけど。
上に立つ人間が、なにがしかの方面において有能であるのは間違いないでしょう。ただし有能さとは、本来、眼前に突きつけられた事象に対し、適切な対応を取れるかどうか、にて占われます。それができなければ、その人物は無能と切り捨てられるよりほかありません。
つまり有能さとは「対応できるか、どうか」にのみ根拠を求めるべきであり、どのような経緯を経たとしても、現況に対応できないのであれば、無慈悲に「お前は無能である」と突きつけられずにおれないものなのでしょう。
桓玄は、原則として有能でした。けど、東晋末における様々な変数をきっちり拾いきれなかった以上、無能として評価せざるを得ません。
と言うかまあ、皇帝としての権威みたいなもんが全く役に立たない場面において、それでも権威ある言葉にすがれば事態が解決する、みたいなクソヤバお花畑思想に毒されてると評価せざるを得ない以上、桓玄については恵まれた環境にあぐらをかいて、自らの立場をより良いものにするべく最大限の努力をすることを放棄したゴミクソ野郎であった、と言い切らずにはおれないわけなのですわよね……。
恵まれた立場にあるものが、自らの立場をどこまでも保つためには、末端のゴミカス共にはまるで理解の及ばないレベルでの鍛錬精進が求められるわけです。そいつが上級市民として栄華を浴するにあたっての条件である、と言ってすら良いでしょう。残念ながら桓玄は、そうした辺りを擲った。ここまでは、間違いなく言い切れることなのだろうと思います。
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