桓玄10 劉牢之内応

○晋書


桓玄かんげんはもともと揚州ようしゅうが飢饉に陥り、孫恩そんおんも未だ健在であることから、中央がこちらを討伐する余裕などないだろうと高をくくっていた。そのため今は力を蓄え、隙を見て動こうと企んでいたのである。


しかしそこに司馬元顯しばげんけんが討伐に動き出した、との情報が入る。桓玄は慌て恐れ、とにかく江陵こうりょうだけは確保せねばならない、と動こうとした。それを長史ちょうし卞范之べんはんしが諫める。


「公の英略、威名は既に天下を振るわさんとしております。対する司馬元顯はしょせん乳臭さも抜けきれぬ小童、劉牢之りゅうろうしにしても大いに世間よりの支持を失っておる有様。もし将軍がここで建康付近にまで軍をお動かしになり、その威厳をお示しになれば、奴らの勢力なぞ土砂崩れかのごとき勢いで瓦解しましょう。待ちの姿勢を示し、わざわざ敵を招き入れ、こちらから窮地を招くこともございますまい!」


桓玄はこの言葉に大いに悦び、兄の桓偉かんいに江陵を任せ、詔勅に反対する上表を掲げ、長江ちょうこうを下り、尋陽じんように至ると、檄を建康けんこうに飛ばし、司馬元顕の罪状を叩きつけた。檄を読むと司馬元顯は大いに恐れ、船を下り、出撃の時期を延期した。


とは言えこの頃桓玄もまた人心を失っており、また中央に対し明確に逆らう意図を示してしまった以上自らの軍をどれだけ統御できるかについても不安を覚えていた。このためどこかで軍を引き返すべきなのではないかとも悩んでいたのだが、尋陽を過ぎても迎撃に出ているはずの中央軍が見えてこない。桓玄は中央の弱腰を見て取り大いに悦び、また配下兵たちの士気も向上した。


この頃庾楷ゆかいの企みも桓玄に露見していたため、牢に繋がれていた。


姑孰こじゅくにまで至ると馮該ふうがい苻宏ふこう皇甫敷こうほふ索元さくげんらに司馬尚之しばしょうしを攻撃させ、打ち破った。


劉牢之が、子の劉敬宣りゅうけいせんを桓玄のもとに遣わせ、降伏を願い出てきた。




○魏書


桓玄が司馬元顯の迎撃準備を聞くと江陵で守りを固めるべきかと考えたとき、晋書では卞范之の言葉に喜んだと書かれるが、魏書では散々迷ったあげく卞范之に押し切られたことになっている。また晋書で省略された檄文が載る。


揚州刺史ようしゅうしし司馬元顯のその凶悪さを推し量るに、幼年時より更に悪化しているよう思われる。礼を犯し教えを擲ち、その蒙昧ぶりから逃れがたくなっている。喪に服すにしても一日とて哀しみをも示そうとせず、喪服のまま夜中に出歩き悲しみ塞ぎ込むべきはずのときに歌曲にうつつを抜かす。その色欲にまみれること、大喪の日にありながらして房を空とし、王國寶おうこくほうの側女を劫掠の上淫事にふけった。あの頃にはもう、その悪童ぶりで人々を驚愕させたものである。

 司馬道子しばどうし様が病を得られればそのことを心配するでもなく、父の身に降った禍いを幸いと揚州刺史ようしゅうししの座を奪い、父と子とで同量の錄を得るようにした。これもまた罪深さとしては前掲の件にも匹敵しよう。

 また大権を得れば、その凶悪粗暴な振る舞いは激しさを増し、そのことが司馬道子様に露見するのを恐れ、司馬道子様まわりの情報を遮断。このため司馬道子様の元に司馬元顕の悪評は届かず、おべっか使いどものごますりの言葉ばかりが届く始末。国政の大権は側仕えの佞臣ばかりが握り、ここに国政の乱れはいよいよ甚だしくなった。それに飽き足らず尚書しょうしょを丸め込み、錄尚書事ろくしょうしょを担うものに対し特別な敬礼示させる法をねじ曲げた。本来錄尚書事を担うものを特別な儀礼をもって迎え入れる必要もないはずなのに、である。こうした自身への待遇をかさ上げさせる振る舞いは、朝礼に違えるにも甚だしかろう。

 更に五斗米道ごとべいどうどもの襲撃があった際には、官軍敗れ民が殺されて後、自らを都督とし、親しきものを刺史へと引き上げた。通常であれば降格されるべきタイミングにおいて、よりにもよって自らを昇進させたのだ。加えて司馬元顕は今年ようやく加冠したばかり、このような異例の昇進人事など、過去にありえただろうか。宰相とは惡を懲らしめるもの、にもかかわらず自らについては錄尚書事を解任したのみ。もたらした禍に対して罰を受けるべきが宰相たる者のありようであろうに、斯様な僭逆をやらかした者なぞ、およそ古来にありえたであろうか。

 妾を囲うことが六禮にも等しいかのような振る舞い、尚書僕射に子飼いをつけ、長史にも息の掛かった客人を迎える。また貪婪なる側妾の扱いはさながら皇后であるかのよう。このような振る舞いのどこに君主を思う気持ちがあるのか、国事をすべて独占せんかのごときではないか。

 八日觀仏の祭礼の折にもいきなり人の家に押しかけ、その家の婦人を妾として劫掠したと聞く。こうした“抜擢”に関しては、これまで平和裡に行われていたはずではなかったか。それとも晋室に於いては、夫の四肢を引き割くことが儀礼になったとでも言うのか。

 喜怒に任せて軽々に人士を引き裂き、屋敷を建てるのにあたって少しでも工夫が居眠りをすれば斬り捨てる。加えてわずか四歳の妾腹の子を東海王とうかいおうに仕立てる。

 吳興ごこうの民を散々に虐げた上でなお、租税を散々に搾り取る。五斗米道どもの決起とて司馬元顕のクソガキの手によるものと言うしかない。しかも司馬元顕は喪中にもかかわらず贅沢三昧をしていたが、その飲食を提供していたのは孫泰そんたい、かの孫恩の伯父である。夜中に遊びほうけていたときにも孫泰をその輿に同乗させていた。こうした寵愛を受けて孫泰は勢力を伸ばしたわけであり、いくら奴を処刑したとは言っても、奴の思想に染まったものはもはや数えきれぬほどとなっていたことであろう。しかも諫言を嫌い阿諛追従を好み、己の意に染まぬものの駆逐を進め、そのほとんどを謀反者とするか処刑するかした。

 元興げんこうに改元したこととて己に瑞祥がもたらされた、としてのものである。王莽おうもうの瑞祥でっち上げとて、ここまで露骨ではなかったであろう。もはや天には司馬元顕がもたらした毒が行き渡ってしまっている。こうした不義不忠を垂れ流せば、もはや敗亡のさだめしか待ち受けておらぬ。すなわち、まさしく今このときである。三軍の文武は憤怒を抱え、いままさに突き進むのだ」

 このように語りながらも実はあまり勝てる当てがなかったが、司馬元顕の怯懦を見て取り喜んで突き進んだ、とするのは晋書と同じである。




玄本謂揚土饑饉,孫恩未滅,必未遑討己,可得蓄力養眾,觀釁而動。既聞元顯將伐之,甚懼,欲保江陵。長史卞范之說玄曰:「公英略威名振於天下,元顯口尚乳臭,劉牢之大失物情,若兵臨近畿,示以威賞,則土崩之勢可翹足而待,何有延敵入境自取蹙弱者乎!」玄大悅,乃留其兄偉守江陵,抗表率眾,下至尋陽,移檄京邑,罪狀元顯。檄至。元顯大懼,下船而不克發。玄既失人情,而興師犯順,慮眾不為用,恆有回旆之計。既過尋陽,不見王師,意甚悅,其將吏亦振。庾楷謀泄,收縶之。至姑孰,使其將馮該、苻宏、皇甫敷、索元等先攻譙王尚之。尚之敗。劉牢之遣子敬宣詣玄降。

(晋書99-10)


玄聞元顯處分,甚駭懼,欲保江陵。長史卞範之說玄東下,玄甚狐疑,範之苦勸,玄乃留桓偉守江陵,率軍東下。至夏口,乃建牙傳檄曰:

案揚州刺史元顯:凶暴之性,自幼加長;犯禮毀教,發蒙如備。居喪無一日之哀,衰絰為宵征之服,絃觴於殷憂之時,窮色於罔極之日,劫略王國寶妓妾一朝空房,此基惡之始,駭愕視聽者矣。

相王有疾,情無悚懼,幸災擅命,揚州篡授,遂乃父子同錄,比肩連案。既專權重,多行險暴,恐相王知之,杜絕視聽。惡聲無聞,佞譽日至。萬機之重,委之厮孽,國典朝政,紛紜淆亂。又諷旨尚書,使普敬錄公。錄公之位,非盡敬之所。苟自尊貴,遂悖朝禮。又妖賊陵縱,破軍殄民之後,己為都督,親則刺史,於宜降之日,輒加崇進。弱冠之年,古今莫比。宰相懲惡,己獨解錄,推禍委罰,歸之有在,自古僭逆未有若斯之甚者。

取妾之僭,殆同六禮,及使尚書僕射為媒人,長史為迎客,嬖媵饕餮,賀同長秋,所謂無君之心,觸事而發。八日觀佛,略人子女,至人家宿,唐突婦妾。慶封迄今,甫見易室之飲;晉靈以來,忽有支解之刑。喜怒輕戮,人士割裂,治城之暴,一睡而斬。又以四歲孽子,興東海之封。吳興殘暴之後,橫復若斯之調。妖賊之興,實由此竪。居喪極味,孫泰供其膳;在夜思遊,亦孫泰延其駕。泰承其勢,得行威福,雖加誅戮,所染既多。加之以苦發樂屬,枉濫者眾,驅逐徙撥,死叛殆盡。改號元興,以為己瑞,莽之符命,於斯尤著。否極必亨,天盈其毒,不義不昵,勢必崩喪,取亂侮亡,實在斯會。三軍文武,憤踊即路。

玄亦失荊楚人情,而師出不順,其兵雖強,慮弗為用,恒有回師之計。既過尋陽,不見東軍,玄意乃定。於是遂鼓行而進,徑至姑熟,又克歷陽。劉牢之遣子敬宣詣玄請降,玄大喜,與敬宣置酒宴集。

(魏書97-7)





桓玄の言葉が相変わらず難しい。正直超訳せざるを得ません。ただ晋書司馬元顕伝はもしかしたら桓玄のこの檄文からの再構築なのかもしれないよな、って。でないとここまでまるまるカットされてる意味がよくわからない。結構この檄文って重要な情報伝えてると思うし。


一方で、こうも感じます。

ぶっちゃけ檄文の情報、信用できないっしょ。


いかに自分たちが正当かを盛り、一方で相手がいかに悪辣極まりないかも盛る。そういう性格のものなんでしょう。司法組織なんて存在してない以上、勝てば官軍。各人物がでっち上げてる題目を拾えば、そこには現代的遵法精神の雛形を見出すことも叶いますが、まぁ何というか……「守らないことによる実質的ペナルティがない」。ていうか負ければ殺されるだけだし、負けて嘘を糾弾されてみたところで所詮殺されるだけ。裁かれない。なら、でっち上げをやらない意味がない。


そう考えると、勝ったにせよ負けたにせよ、檄文の内容をまともに受け入れるだけアホって話になってきますよね。宋書が司馬休之しばきゅうしの上奏文残したのだって、結局は「宋朝がこの文書を破棄せず取っておいた」度量の裏打ちにしかなりません。まぁ劉裕の権威の低さを思えば「破棄できなかった」みたいな話にもなりそうですけど。


思考をごろごろ転がすと、あらゆる箇所に仮説を確定しきれない変数が見出せて困っちゃいますね。いやクッソ笑顔にしかならないですけど。

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