桓玄9 進撃の桓玄
○晋書
402 年、司馬元顯が詔勅をでっち上げ桓玄討伐の軍を興すと、このとき
○魏書
晋書にはない桓玄討伐の詔勅の内容は、魏書に残されている。
「クソガキ桓玄は亡き
桓玄らよ、慌てふためき、おののくがよい。朕はこの機に乗じ、汝ら奸臣の病根を抜き去り、かくして朝廷内にはびこる異同や国家戦略を揺らがす異説も軒並み省かれ、陽の目の当たらぬところに追いやられよう。
それでもなお、朕は桓玄の改心を期待せずにおれぬのであった。わずかな懲らしめにより、大いなる改悛を望んでいた。なれどかの者に改心のきざしもなく、その驕慢もいよいよ甚だしきものとなった。
桓玄の君主を君主と思わず、自らを臣下と思わぬがごとき増上慢は、日ごとに明らかとなっている。このような不貞の振る舞いを、どうしてやすやすと受け入れられようか! 故にこそ朕は大いに桓玄討伐の軍を立ち上げ、西方を安んぜんと期すものである。
ここに
その上で
初。庾楷既奔于玄,玄之求討孫恩也,以為右將軍。玄既解嚴,楷亦去職。楷以玄方與朝廷構怨,恐事不克,禍及於己,乃密結于後將軍元顯,許為內應。元興初,元顯稱詔伐玄,玄從兄石生時為太傅長史,密書報玄。
(晋書99-9)
德宗下書曰:「豎子桓玄,故大司馬不腆之息,少懷狡惡,長而不悛,遂與王恭協同姦謀,阻兵內侮,三方雲集,志在問鼎,窺擬神器。賴祖宗威靈,宰傅神略,忠義奮發,罪人斯殞。玄等猖狂失圖,回舟鳥逝。便宜乘會,殲除姦源,于時同異之論,用惑廟策,遂使王憲廢撓,寵授非所。猶冀玄當洗濯胸腑,小懲大誡,而狼心弗革,悖慢愈甚,割據江湘,擅威荊郢,矯命稱制,與奪在手。又對侍中王謐放肆醜言,欲縱凶毒,陵陷上京。無君之心,形於音翰;不臣之迹,日月彌著。是可忍也,孰不可懷!宜明九伐,以寧西夏。尚書令、後將軍元顯可為征討大都督、督十八州諸軍事、驃騎大將軍、儀同三司。」以劉牢之為前鋒,行征西將軍,權領江州;命司馬尚之入沔水。
(魏書97-7)
魏書は東晋クソだと叫べるような史料があると積極的に採用する方針を貫いておられ大変好ましいのですが、まあなんというか、確かに桓玄討伐詔勅に文学的価値まるでね―わと納得せざるを得ないですわよね。「やーいおまえのかーちゃんでーべそー!」レベルの話しかできてない。しかもだいぶ負け惜しみ。
この詔勅も、たぶんガチな代物なんだろうなあ。こんな残念極まりない内容を提示しちゃうとか、まぁ司馬元顕の若さ、と言うよりも幼さの裏打ちなんだろうなあ、という気がしてなりません。
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