謝道韞2 孫恩の乱とその後

会稽かいけい五斗米道ごとべいどう、すなわち孫恩そんおんの軍が襲いかかってきたとき、謝道韞しゃどううんのふるまいに乱れたところもなった。また王凝之おうぎょうしや子どもたちが殺されると、婢女の担ぐ輿の上に刀を携えて乗り、押し寄せる五斗米道軍を手ずから斬り捨てた。が、まもなくして囚われた。劉氏に嫁いだ娘の子である劉濤りゅうとうがこのとき数歳であったが、五斗米道軍はその子も殺そうとした。すると謝道韞は言う。


「貴様らに用があるのは会稽内史かいけいないし家のみであろう! どうしても殺したいのなら、私を先とせよ!」


孫恩はこの地の政に関わる皆を殺し尽くさんという勢いであったが、謝道韞よりの叱咤を受けると居住まいを改め、劉濤を見逃した。


乱が収まって以降も謝道韞は會稽にてつつましき暮らしを送ったが、その家中はつねに嚴肅に整えられていた。太守たいしゅ劉柳りゅうりゅうが謝道韞の高名を聞きつけ、談論をなしたい、と願い出てくる。謝道韞もまた劉柳の名声を聞きつけていたため、受け入れた。髪には軽く簪を挿し、身につけるのもあくまで質素な服。その上で帳の中に着座する。対する劉柳は束脩整帯そくしゅうせいたい、恩師より教導を得るに当たっての謝礼となる干し肉の束を持参し、身なりを整え、別の長椅子に腰掛けた。談話が始まってみれば、謝道韞の語り口は高邁、内容も清雅。はじめに夫とその子どもたちの身に起こったことを語ると涙し、ややあって議論が始まった。そのやり取りに一切の遅滞はなかった。


劉柳は場を退くと、嘆じて言う。

「あれ程の言葉や佇まい、近年ついぞお目にかかったことがない。心身ともに感服されられてしまったな」


謝道韞もまた言う。

「親族をのきなみ喪って、初めてあのようなお方に出会えるとは。あの方よりの問い掛けにて、わが胸中がのきなみ解き放たれるかのようでした」


ところで、会稽には張玄ちょうげんという名士がいた。彼の妹もまた才媛であり、の名族である顧氏こしに嫁いでいた。張玄はそんな妹のことを日々讃えており、あの子なら謝道韞にも負けるまいぞ、と語っていた。濟尼さいじという者が王氏にも顧氏にも出入りしていたため、ある者が両名の才覚について質問した。すると濟尼は答えている。


「謝道韞さまは、その心情を明瞭に表現なさりうるお方。林下にて談論をなす名士がたのような気風をお持ちでいらっしゃいます。張氏さまはその清らかなお心を美しくお示しになられるお方。まったくもって際立った奥方の徳をお備えと申せましょう」


謝道韞が著した詩・賦・誄・頌のたぐいは皆後世にも残っている。




及遭孫恩之難,舉厝自若,既聞夫及諸子已為賊所害,方命婢肩輿抽刃出門。亂兵稍至,手殺數人,乃被虜。其外孫劉濤時年數歲,賊又欲害之,道韞曰:「事在王門,何關他族!必其如此,寧先見殺。」恩雖毒虐,為之改容,乃不害濤。自爾嫠居會稽,家中莫不嚴肅。太守劉柳聞其名,請與談議。道韞素知柳名,亦不自阻,乃簪髻素褥坐於帳中,柳束脩整帶造於別榻。道韞風韻高邁,敘致清雅,先及家事,慷慨流漣,徐酬問旨,詞理無滯。柳退而歎曰:「實頃所未見,瞻察言氣,使人心形俱服。」道韞亦云:「親從凋亡,始遇此士,聽其所問,殊開人胸府。」

初,同郡張玄妹亦有才質,適於顧氏,玄每稱之,以敵道韞。有濟尼者,游於二家,或問之,濟尼答曰:「王夫人神情散朗,故有林下風氣。顧家婦清心玉映,自是閨房之秀。」道韞所著詩賦誄頌並傳於世。


(晋書96-2)




王凝之

https://kakuyomu.jp/works/16817139559045607356/episodes/16817330658097744375

「あんな奴ら、天罰が下るに決まってる!」と祈祷してる最中に殺されている。まあ謝道韞にしてみれば「あんなこと地方長官の身でやりゃ殺されるに決まってんだろアホか」でしかなかっただろうし、そりゃ「夫が役に立たない」こと想定して準備しますよねってなもんである。この後謝道韞は謝氏に戻ったんでしょうか、あるいはそのまま王家の切り盛りに回ったんでしょうか。晋書の内容からだと判然としません。



張氏との比較

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054887739468

「林下」を竹林七賢に比定しちゃってて(大体はそういう解釈)、うーんこのひとどっちかってと激烈な儒者じゃないかなあと思ったりもしなくもないのだが、とは言え薫陶を受けている謝安自身は清談の大家なんですよね。おとなしく竹林ってことでいいのかなあ。悩ましいところです。

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