晋書巻80 王羲之の息子

王凝之  被害孫恩

王羲之おうぎし、字逸少いっしょうは、魏晋南北朝時代ぎしんなんぼくちょうじだいはおろか、全中国史人物の中でもトップクラスの知名度の持ち主だろう。王導おうどうのいとこの子にあたる。祖父は王正おうせい尚書郎しょうしょろう。父は王曠おうこう淮南太守わいなんたいしゅ。まぁ淝水の前に 59 歳で死亡しているので割愛する。金紫光祿大夫きんしこうろくたいふの追贈が諮られたが、子どもたちは王羲之がそうしたものを喜ばないと知っていたため、固辞した。

子は七人あり、名を知られるものは五人。王玄之おうげんし王凝之おうぎょうし王徽之おうきし王操之おうそうし王獻之おうけんしである。


王玄之は早くに死亡した。


弟の王凝之は、父の背中を追い草書や隸書を研鑽した。士官して江州刺史こうしゅうしし左將軍さしょうぐんを経て、會稽內史かいけいないしに就任した。


王氏は代々張氏ちょうし五斗米道ごとべいどう後漢ごかんすえに張陵ちょうりょうが創唱し、かの張魯ちょうろを経て東晋に伝播した道教を信奉していた。王凝之の信心は特に篤いものだった。そこにやってきたのが、孫恩そんおん。その軍勢が會稽かいけいに攻め寄せてくると、会稽府の僚佐らは守りを固めるべく求める。しかし王凝之は従わず、それどころか祈祷師とともに礼拝所に入るにあたり、僚佐に語る。


「大いなる道に救いを求めたのだ。鬼兵があらわれ、賊とて自壊しようとも」


そうしてまともに守りも固めなかったため、結局は孫恩によって殺害された。




王羲之字逸少,司徒導之從子也。祖正,尚書郎。父曠,淮南太守。年五十九卒,贈金紫光祿大夫。諸子遵父先旨,固讓不受。有七子,知名者五人。玄之早卒。

次凝之,亦工草隸,仕歷江州刺史、左將軍、會稽內史。王氏世事張氏五斗米道,凝之彌篤。孫恩之攻會稽,僚佐請為之備。凝之不從,方入靖室請禱,出語諸將佐曰:「吾已請大道,許鬼兵相助,賊自破矣。」既不設備,遂為孫恩所害。


(晋書80-1)




王羲之はくっそメジャーな人物で、その伝の邦訳にもニーズがあるかとは思いますが、スルーします。興味ないので。


王凝之の振る舞いに対していっさいフォローを入れようとしない晋書さんの酷薄さヤバい。これ李世民りせいみんも提出された原稿読んで爆笑したんじゃないかしら。「書聖の息子であるにも関わらずのこの腑抜けた振る舞い、万死に値しような!」とか普通に言ってそう。




■斠注


有七子、知名者五人。

世說新語排調篇の注には、晋書が伝えない息子のひとりに王肅之おうしゅくしがいた、と語ります。そしたらもうひとりはどいつやねん、となるのですが、これがわからない。一応順番としては王凝之と王徽之の間に王粛之ともう一人が入りそうだ、と推論はされているのですが、それ以上のことはわかりません。生まれてすぐに死んじゃったんでしょうかね。


遂爲孫恩所害。

五斗米道には王凝之の他、郗超ちちょう何充かじゅう王恭おうきょう殷仲堪いんちゅうかんなどもまた信奉していたと書かれています。仏教との関係性はどうだったのかな。いまいちそのへんが見出しづらいんですよね。

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