謝邈   天子に罪を得ず


謝邈しゃぼう、字は茂度もど。父の謝鉄しゃあん謝安しゃあんの末の弟で、永嘉太守えいかたいしゅとなった。謝邈は剛直な性格で、己を曲げるということを知らず、弁論知識にも優れていた。出仕すれば侍中じちゅうにまで昇進した。


このころ孝武帝こうぶていが酒宴を開くと、その後参列した臣下らに手ずからの文章を書いて送ることがあった。ただしその表現、あるいは内容そのものに古式に則らないものが少なからずあった。このため謝邈はもらうたびに焼き捨てた。一方で他の参列者たちは、その粗末な文章を持ち上げ、宣伝までする。これにより人々は謝邈が優れていると論じた。


呉興太守ごこうたいしゅとして赴任したところ、孫恩そんおんの乱に出くわす。このとき謝邈は賊将の胡桀こけつ郜驃こくひょうらに捕らえられ、孫恩への服従を迫られた。このため激しい声色で言う。

「天子に背く罪も犯しておらぬ者が、どうして天子ならぬ者に北面しようか!」

そして謝邈は殺された。


謝邈が捕らえられるに至った経緯である。謝邈の妻の郗氏ちしは嫉妬深かった。謝邈が妾を囲い入れたことを知ると、郗氏は怨み、離縁を要求した。その絶縁書の文調がおよそ婦人に書き得るものではないと感じた謝邈、その書が門下生の仇玄達きゅうげんたつによって書かれたものだと疑い、仇玄達を追い出した。この仕打ちに仇玄達は怒り、孫恩に身を投じるに至ったのである。結果謝邈は兄弟もろとも殺され、一門が滅んだ。




邈字茂度。父鐵,永嘉太守。邈性剛鯁,無所屈撓,頗有理識。累遷侍中。時孝武帝觴樂之後多賜侍臣文詔,辭義有不雅者,邈輒焚毀之,其他侍臣被詔者或宣揚之,故論者以此多邈。後為吳興太守。孫恩之亂,為賊胡桀、郜驃等所執,害之。賊逼令北面,邈厲聲曰:「我不得罪天子,何北面之有!」遂害之。邈妻郗氏,甚妒。邈先娶妾,郗氏怨懟,與邈書告絕。邈以其書非婦人詞,疑其門下生仇玄達為之作,遂斥玄達。玄達怒,遂投孫恩,並害邈兄弟,竟至滅門。


(晋書79-24)




謝邈伝は伝そのものよりもその構成に悪意を感じられてならなくて好きですよ。


遂投孫恩,並害邈兄弟,竟至滅門。

史臣曰:建元之後…


いや史臣論興味ないので飛ばしますけどね。謝尚謝安、そしてその一門。この長大な列伝たちの伝記ラストに竟至滅門なんて載せる普通? これミスリード狙いまくりじゃないです? この巻編纂した史官どの、ほのかに悪意抱えていらっしゃりそうです。と言うかぼくならやるねそれ。ラブ…

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