何無忌5 亡身殉國

詔勅に言う。

「何無忌は賢明さと正義とに則り、その忠義を明らかとし、国のため散った。英明なる謀議に参画し、お国の迷妄を吹き払い、かくて朝廷を清め、正した。その統治は我が国に大いなる恵みをもたらした。

 五斗米道どもが我が国に襲いかかって来たがため、袖をまくり、我が国を救わんと立ち向かったが、不測のトラブルによって絶望的な危地にに追い込まれた。そうした中でも決して旗を手放すことなく、末期まで立ち向かった。

 その忠誠心は古の賢人らにすら勝ろう。朕はただ、かの者の喪失を心の底から嘆き悲しむばかりである。よって侍中じちゅう司空しくうを追贈とし、もとの官位はみな留め置き、忠肅ちゅうしゅくと諡する」


子の何邕かようが爵位を継承した。



桓玄かんげん建康けんこうを席巻した際、劉裕りゅうゆうが東方の五斗米道軍征討に出た。このとき何無忌がひそかに劉裕のもとに訪れ、会稽郡かいけいぐん山陰県さんいんけんにて桓玄打倒の決起をしよう、と持ちかけた。劉裕は桓玄の大逆が未だ表立っていないこと、遠方での決起では目的達成が難しいであろうことを告げた。桓玄が簒奪の意図をむき出しとしてから京口にて動き出しても遅くはない、としたのである。そのため何無忌は一度引き下がった。桓玄打倒の軍にて立てた大功は、結局のところが攻め手によるものであった。

こうした成功体験が、何無忌の今回の迂闊な迎撃という形として現れてしまったのだ、と朝野はみなその喪失を悲しんだ。




詔曰:「無忌秉哲履正,忠亮明允,亡身殉國,則契協英謨;經綸屯昧,則重氛載廓。及敷政方夏,實播風惠。妖寇搆亂,侵擾邦畿,投袂致討,志清王略。而事出慮外,臨危彌厲,握節隕難,誠貫古賢,朕用傷慟于厥懷。其贈侍中、司空,本官如故,諡曰忠肅。」子邕嗣。

初,桓玄克京邑,劉裕東征,無忌密至裕軍所,潛謀舉義,勸裕於山陰起兵。裕以玄大逆未彰,恐在遠舉事,克濟為難。若玄遂竊天位,然後於京口圖之,事未晚也。無忌乃還。及義師之舉,參贊大勳,皆以算略攻取為效,而此舉敗於輕脫,朝野痛之。


(晋書85-20)




事出慮外,臨危彌厲が「お前ちょっとそういううかつな動きをさぁ……」と語っている感があって良いですね。それにしても追贈の官位が半端ない。ちょっと「たかがいち将軍」に与える官位としちゃ大盤振る舞いすぎません? そりゃ桓玄打倒クーデター首謀者のひとりではございますけど。


この辺、貴族連がどういう形で北府将たちを飼い馴らそうかいろいろ計算していた形跡を見ることができそうです。南燕打倒を完了した劉裕の発言力はそりゃ高まっただろうけど、さすがにこんな人事まで動かせると思えないんですよね、この段階では。どちらかと言えば中枢貴族連の思惑を見るべき人事のような気がします。

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