何無忌4 敗死

盧循ろじゅんが決起した際、副官の徐道覆じょどうふくを別口の水軍として北上させていた。その舟艦はみな巨大なものだった。何無忌かむきは兵を率い、迎撃に出ようと考える。


すると長史ちょうし鄧潛之とうせんしが諫める。

「今、将軍の神武を以てすれば、奴らなど山にて卵を押しつぶすと表現してすらなお余りあるというもの。しかしながら、國家の計はこの一戦に掛かっております。聞けば敵水軍は大規模なもので、しかも上流を抑えられております。左伝さでん僖公きこう二十二年条にて、攻め寄せるちゅを侮りまともな防備体制も取ろうとしなかった僖公に対し、臧文仲ぞうぶんちゅうが諫めておりましたでしょう。はちさそりは小物とは言えど、その毒を侮るわけにはゆきませぬ、と。その結果、魯軍は大敗しております。この故事を教訓となさるべきです。いまは南塘なんとうをいったん放棄し、二城にて守りを固めるべきです。いま南塘を捨て置いたところで、そのまま敵の手に渡ってしまう、と言うわけでもございませぬ。力を蓄え、奴らが疲労するところを待ち、改めて攻撃を仕掛ければよろしいのです。これが国家長久の策にございます。迂闊に迎撃に出て万が一でも起ころうものならば、いくら悔いても足りませぬぞ」

何無忌は從ず、水軍にて迎撃に出た。


五斗米道ごとべいどう軍は何無忌の接近を聞くと、強弩兵数百を西岸の小山に上がらせ、斉射にて迎撃を開始した。何無忌はそうした攻撃をものともせず西岸に迫ろうとするが、折悪しく西、つまり山側からの風に煽られ、何無忌の乗る小艦のみが東岸に打ち上げられてしまう。五斗米道軍にしてみれば援護の風である。その後押しを受け何無忌の船に向かい殺到、それを見た何無忌の配下兵らは逃げ惑った。


その中にあり、何無忌は叫ぶ。

「我が蘇武節そぶせつをここへ!」

旗が打ち立てられると、何無忌は自ら乱戦の指揮に当たった。次から次に集まる敵軍の兵。何無忌の船にも数十人からが乗り込んでくる。その中にあり何無忌に怯むところは一切なく、遂には旗を握りしめたまま、戦死した。




盧循遣別帥徐道覆順流而下,舟艦皆重樓。無忌將率眾距之,長史鄧潛之諫曰:「今以神武之師抗彼逆眾,迴山壓卵,未足為譬。然國家之計在此一舉。聞其舟艦大盛,勢居上流。蜂蠆之毒,邾魯成鑒。宜決破南塘,守二城以待之,其必不敢捨我遠下。蓄力俟其疲老,然後擊之。若棄萬全之長策,而決成敗於一戰,如其失利,悔無及矣。」無忌不從,遂以舟師距之。既及,賊令強弩數百登西岸小山以邀射之,而薄于山側。俄而西風暴急,無忌所乘小艦被飄東岸,賊乘風以大艦逼之,眾遂奔敗,無忌尚厲聲曰:「取我蘇武節來!」節至,乃躬執以督戰。賊眾雲集,登艦者數十人。無忌辭色無撓,遂握節死之。


(晋書85-19)




迴山壓卵

故事成語としては光武帝こうぶていの息子劉荊りゅうけいが乱を企むもあっさり鎮圧されたところに求めるらしいが、その場合は「泰山〜」となるらしい。泰山、だと皇帝レベルの話になっちゃうから諱んだって感じなんでしょかね。


蜂蠆之毒,邾魯成鑒。

邾が魯に須句しゅこうを取られたことを恨み、出撃。僖公は邾を侮り守りを備えなかった。臧文仲が言う。「雑魚な国などなく、侮るわけにはゆきませぬ。備えもなしに我らが兵力を頼みとしてはならぬのです。詩経でも細心の注意を払え、起こった出来事を軽んじるな、と歌われておりましょう。大いなる周王とて国難をさばききれなかったと申しますに、我が国程度の規模ではなおのこと。公よ、どうか邾を小物と思われますな。蜂やサソリには毒がございます、ましてや、相手は国なのですぞ」しかし僖公は聞かずに雑に迎撃。八月に升陘しょうけいにて交戦、魯は大敗し、僖公の甲冑を奪われた。邾人は華々しい戦果であるとして、国主の門にその甲冑をぶら下げた。



魯の僖公って詩経だと盛大に讃えられてるんですが、こんな間抜けなポカやらかしてんですね。ってことは名君と言うより見栄っ張り属性のが強い? 「オレを讃える詩をいっぱい編め」って。うわぁ……。

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