何無忌1 劉牢之の甥

何無忌かむき東海軍とうかいぐん郯県えんけんの人だ。幼い頃から大志を抱き、お国への忠義心を明らかとし、任氣を抱き、他人でそうした気持ちを表明しないものに対しては、「なぜお国のために働こうと思わんのだ!」と言い出すような人物だった。


徐州じょしゅう州從事しゅうじゅうじとして招聘、太學博士たいがくはくしに転じた。鎮北將軍ちんほくしょうぐん劉牢之りゅうろうしは何無忌の母の弟である。この頃京口けいこうづめとなっており、大事が起こるごと、何無忌を列席させ、議論に参加させた。


會稽王世子かいけいおうせいし司馬元顯しばげんけんの子の司馬彥章しばげんしょう東海王とうかいおうに封じられることとなった。ここで何無忌を東海国中尉とうかいこくちゅういとし、廣武將軍こうぶしょうぐんが加えられた。桓玄かんげんが司馬彥章を公開処刑とした際、何無忌は司馬彦章の以外の前で堂々と慟哭した。人々は何無忌の振る舞いを義あるものであるとした。


やがて劉牢之に従い、桓玄との対峙に出向く。しかし劉牢之が桓玄に降る、などと言い出す。何無忌は幾度となく劉牢之を諫め、その言葉ぶりも切羽詰まったものであったが、結局劉牢之が聞き入れることはなかった。


やがて桓玄が簒奪をなす。桓玄の吏部郎りぶろうであった曹靖之そうせいしは、何無忌と旧交があった。そのため曹靖之は何無忌をどこか小さい県でいいから県長の地位に就けてやりたい、と桓玄に願い出る。しかし桓玄は許可しなかった。このため何無忌は京口に帰還した。




何無忌,東海郯人也。少有大志,忠亮任氣,人有不稱其心者,輒形於言色。州辟從事,轉太學博士。鎮北將軍劉牢之,即其舅也,時鎮京口,每有大事,常與參議之。會稽世子元顯子彥章封東海王,以無忌為國中尉,加廣武將軍。及桓玄害彥章於市,無忌入市慟哭而出,時人義焉。隨牢之南征桓玄。牢之將降於玄也,無忌屢諫,辭旨甚切,牢之不從。及玄篡位,無忌與玄吏部郎曹靖之有舊,請莅小縣。靖之白玄,玄不許,無忌乃還京口。


(晋書85-17)




劉裕の同志、何無忌の伝が始まります。このひとも結構な学者肌スタートですね。の割にだいぶ檄文における文才が微妙なのはなんなんだろ。「どういう人が太学博士になっていたか」もうまく見出せるといいんだけどなあ。

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