諸葛長民3 誅滅
とは言え自らの行いが無法なものであることは理解しており、常に国からの処罰に怯えていた。そして劉毅が滅ぼされると、諸葛長民は親しい者に言う。
「
諸葛長民は謀反を立ち上げようと決意したが、一方では太尉府で勤務していた劉裕の参謀である
「皆々が、おれと劉裕殿が不和であると噂しているのだが、いったいこれはどうしたことだろうな」
劉穆之は返答した。
「劉裕様は劉毅討伐に際して、かれの老いたお母様、病に伏せられた弟御(
諸葛長民の弟、
「
しかし諸葛長民は逡巡し、結局決起をすることができなかった。ついには嘆息しつつ言う。
「貧しかった時には金持ちになりたいと思っていたが、いざ金持ちになってみれば、こんな危機に陥ろうとは。今さら
そもそも劉裕は諸葛長民のことを警戒していた。前もって帰還の日時を知らせ、大急ぎで軍を引き返させた。その日になって東晋の百官が劉裕の出迎えに出た。だが、劉裕自身は軍に先行し小舟を駆って、密かに
諸葛黎民にも捕獲のための兵を派遣。諸葛黎民の武勇は人並み外れたものであったため兵らは苦戰、捕えることが叶わず、殺さねばならなかった。また別の弟である
及裕討毅,以長民監太尉留府事,詔以甲杖五十人入殿。長民驕縱貪侈,不恤政事,多聚珍寶美色,營建第宅,不知紀極,所在殘虐,為百姓所苦。自以多行無禮,恒懼國憲。及劉毅被誅,長民謂所親曰:「昔年醢彭越,前年殺韓信,禍其至矣!」謀欲為亂,問劉穆之曰:「人間論者謂太尉與我不平,其故何也?」穆之曰:「相公西征,老母弱弟委之將軍,何謂不平!」長民弟黎民輕狡好利,固勸之曰:「黥彭異體而勢不偏全,劉毅之誅,亦諸葛氏之懼,可因裕未還以圖之。」長民猶豫未發,既而歎曰:「貧賤常思富貴,富貴必履機危。今日欲為丹徒布衣,豈可得也!」裕深疑之,駱驛繼遣輜重兼行而下,前剋至日,百司於道候之,輒差其期。既而輕舟徑進,潛入東府。明旦,長民聞之,驚而至門,裕伏壯士丁旿於幙中,引長民進語,素所未盡皆說焉。長民悅,旿自後拉而殺之,輿尸付廷尉。使收黎民,黎民驍勇絕人,與捕者苦戰而死。小弟幼民為大司馬參軍,逃于山中,追擒戮之。諸葛氏之誅也,士庶咸恨正刑之晚,若釋桎梏焉。
(晋書85-15)
「自分は彭越でも韓信でもない」って自認が淋しすぎますわね。誰が当てはまるかな。
それにしても劉裕と劉穆之のたばかりはすごいですね。この人たちこう言うことばっかやってたんだろうなあ(つやつや)
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