諸葛長民2 五斗米道強襲

410年、五斗米道ごとべいどう廬循ろじゅんが決起。参謀の徐道覆じょどうふく何無忌かむきを敗死させ、その勢いのまま建康けんこうに向けて進軍した。このニュースに建康の人々は恐れおののいた。


諸葛長民しょかつちょうみんは兵を率いて建康の防備を固めた。その上で上表する。


「妖賊どもは造船のために多くの木を伐採していたが、南康相なんこうしょう郭澄之かくちょうしは数年もの間その事実を隠蔽していた。水面下で五斗米道と繋がり、何無忌を欺いていたのだ。その罪は斬罪に値する」


しかし、郭澄之が罪に問われることはなかった。


五斗米道軍は廬循と徐道覆の足並みが余り揃ってはいなかったのだが、それでも劉毅りゅうきを破り、共に長江ちょうこうを下り、建康に迫った。建康の人々の恐慌ぶりは甚だしく、諸葛長民も、安帝あんていを長江の北に避難させた方が良いのではないか、と劉裕りゅうゆうに提案した。しかし劉裕は却下し、諸葛長民と劉毅を北陵ほくりょうに布陣させた。


五斗米道の乱が平定されると、諸葛長民はとく豫州揚州よしゅうようしゅう六郡諸軍事ろくぐんしょぐんじとされ、豫州刺史よしゅうししとして転任、淮南太守わいなんたいしゅを兼任することとなった。




及何無忌為徐道覆所害,賊乘勝逼京師,朝廷震駭,長民率眾入衞京都,因表曰:「妖賊集船伐木,而南康相郭澄之隱蔽經年,又深相保明,屢欺無忌,罪合斬刑。」詔原澄之。及盧循之敗劉毅也。循與道覆連旗而下,京都危懼,長民勸劉裕權移天子過江。裕不聽,令長民與劉毅屯于北陵,以備石頭。事平,轉督豫州揚州之六郡諸軍事、豫州刺史,領淮南太守。

(晋書85-14)

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