第26話 スマイルぷいきゅあ!

 放課後、自宅にて。

 俺は白銀と共に全裸の状態になったままヌードデッサンを行うという珍事に励んでいた。

 なにこれ。


「どう、いけそう?」

「まあ……君の裸は綺麗だし、普段彫像描いてる時と同じ感じでいけると思う」


 モチベーションの面でも問題はなかった。

 彼女の裸体は芸術作品のそれだ。絵として描くことになんら支障はない。

 問題があるとすれば、


「本当にそのポーズでいいのか……?」

「なに、あなたには刺激が強すぎた?」


 白銀は四つん這いになりつつ、片方の腕でおっぱいを支えるポーズを取っていた。

 垂らすことで胸部の大きさを強調しつつ、最低限支えることでだらしなく垂れる乳を補強する。


 エロいとは思う。

 でもヌードデッサンでその体勢は自殺行為じゃないかな、とも思う。


「あたし、まだあなたをドキドキさせるのを諦めてないから。こういう普段とは違うシチュエーションなら割と効果あるって分かってきたし」

「それはそうだけど」


 確かに普通の露出と違って接触があれば照れるのはトイレの掃除用具入れで明らかになったし、お風呂場という普段とは違うロケーションだと露出耐性も低くなることが分かっていた。


 だから家でヌードデッサンを行おうという彼女の狙いも理解はできる。

 しかし白銀は一つ失念していた。


 ──ドキドキには、する側の意識が必要不可欠だということを。


「ヌードデッサンに意識が持っていかれるからドキドキもクソも……ない」


 未経験者ほどヌードデッサン=エロなどという安直な思考にいきがちだ。

 実際はどうすれば上手く描けるか、どうすればもっと魅力ある絵にできるかという一点に意識が割かれて、全然ドキドキしないのだ。


「ふふん」


 なんか自信満々な笑みを浮かべているが心臓はいつもと同じか、それ以上に静かだった。

 というかもう既に体重を支えてる方の腕が震え出してるけど大丈夫なのかな。


「じゃあ描いていく」


 多分失敗に終わるだろうから、本番前のストレッチ感覚で描こう。

 

 三分後。


「……ね、ねえ、今どのくらい描けた……?」

「まあまあ」


 四分後。


「……うぅ……ぐぉ……!」

「ぷいきゅあがんばえー」


 五分後。


「もう無理!」

「でしょうね」


 寧ろ五分もよく持ち堪えた方だと思う。

 男の家で全裸になってハァハァ荒い呼吸を繰り返す危ない絵面の白銀に水を手渡すと、出来上がったイラストを見せた。


「な、なにこれ……全然途中じゃん……」

「初めからクロッキー感覚で描いてたから。五分もあったから寧ろよく描き込めた方だと思う」


 ただの四つん這いならまだしも片腕は胸を支えた上、重心も前寄りになっていたのだから長時間維持できるはずがなかった。

 最早ちょっとした筋トレだった。


「ポーズの維持は大変だからな。プロでも20分が限界らしい。基本的には5〜10分ポーズを取ってもらったら、10分間の休憩を取る。それを2、3時間続けるだけでもかなりの重労働だってさ」

「先に言ってよ……」

「内心ちょっと笑ってた」

「しね」


 誠にごめんなさい。


「休憩したらもう一回やろう。今度は楽な姿勢でやってくれ。椅子にでも座るか?」

「お願い……」


 デッサンモデルを舐めていたのだろう。

 視線の動きすら、ともすれば許されない過酷な仕事なのだ。

 人間が彫像の真似事をするのだから、当然ハードルは高いに決まっていた。


 さて十分後。

 仕切り直しのデッサンが始まった。


「…………」

「…………」


 今度は適当な椅子に座ったまま、窓の外を眺めるというポーズを取っていた。

 最低でも一時間はかかるので、少しでも気を紛らわせたいだろうという俺なりの配慮だ。


「……しかし」


 こうして改めて観察すると、やはり白銀エイミという人間は美しかった。

 一般的な日本人の頭身は6.75頭身前後とされているが、彼女は恐らく8頭身はある。


 しかも足は長く、胸も張りがあり、脂肪と筋肉のバランスもよく、白磁の陶器のように滑らかな肌をしていた。

 これが天然物だというのだから、心底恐れ入る。


「足首の骨は内側が高めっと……」


 作り物のような身体。

 けれど中身の精神は、どこにでもいるような普通の女の子だということを、俺は知っている。


 美術の時間に受けていた仕打ち。

 気にしていないように振る舞ってはいたが、その心には確かなダメージが入っているはずだ。


「綺麗に描ければいいけど」


 そうすれば、彼女の気分が少しでも紛れるかもしれない。

 今日寝るときに嫌な出来事を思い出さない。

 それくらいの助けにでもなれたら幸いだった。


 そうして何度か休憩を挟みながらも、遂にイラストを完成させるのであった。


「ふぅ……やっと終わったぁ」

「お疲れ様。なんか飲む?」

「ありがと。じゃあロイヤルミルクティー……」

「そんなものはない」

「冗談。なんでもいいよ」


 温かい緑茶をプレゼントした。

 暖房の効いた部屋とはいえ冬も近づきつつある10月下旬、少しでも体を温めようという粋な計らいだった。


 白銀はそれを仕事終わりの一杯かのように飲み干すと、だらしなく床に寝転がった。


「つかれたーマッサージしてー」

「全裸の男女がマッサージってそれもうエッチなヤツじゃないか?」

「他の人なら嫌だけど、あなたならいいよ」

「その心は?」

「そういう心配するのも馬鹿らしいって分かってるから」


 こういう信頼の形もアリだった。


「結局ドキドキさせるのは無理だったし……やっぱり裸見せるだけじゃダメか」

「ちゃんと君の裸に魅入られてはいたぞ。固めて彫像にしたいくらいだ」

「猟奇犯罪者の素質ありそうな台詞だ」


 そういって白銀は笑いながら起き上がると、だらしなく俺の肩に身を寄せながらスケッチブックを覗きこんできた。


「……すごいね。自分がモデルのはずなのに、自分じゃないみたいに綺麗に見える」

「気合い……入れたから」

「これがあなたから見たあたし、かぁ」


 満足してもらえたなら何よりだ。

 何よりだから早く離れてもらえないだろうか。

 無防備にしなだれかかってくるから胸とか色々当たって柔らかい感触ががががが。


 鎮まれ、俺の中に眠る闇よ……ッ!


「ふふっ、ありがと」


 その時に彼女が浮かべた笑顔は。

 屈託のない、大人っぽい外見とは裏腹にあどけなさの残る微笑みは。

 この絵を描いてよかったと思うには十分すぎるほどの大輪で。


 これまで彼女に感じてきたドキドキの中で、多分、一番ドキッとさせられたものだった。

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