屋外ステージの上で歌うのは、好きだ。


 セレーネはリハーサルで歌いながら、心から思う。


 魔道の力で音響設備が発達し、今では屋外でも普通にライブができるようになっている。狭い劇場より開放感がある。


 付き添ってくれた3ちゃんの姿をすり鉢状の観客席の中に探すが、見つからなかった。謎多き武装自動人形アームドだが、素直ないい子だ。直感が彼を信じろと言っていた。その直感が外れたことは今まで一度たりともない。


 だからセレーネは素直に彼の存在を受け入れ、自分の仕事にも同行させた。


 なにより、またあの昨夜の男が襲ってきたら、3ちゃんは今度こそやられてしまうことだろう。そういう危険さをあの昨夜の男は全身から漂わせていた。分解男と同じような格好をしていても、戦闘力が全く違う。彼を守ってあげなければならない。


 いかんいかん。歌に集中しなければ。


 ギターを弾きながら歌うのは相当な集中力が必要だ。


 しかし自分で歌詞を書き、自分で曲を作り、自分で演奏して、歌う。


 それをステージ前に集まった皆に聞いて貰う。


 これ以上の喜びはないとまでセレーネは思う。


 セレーネの今夜の出番は1曲だけだ。複数のミュージシャンが集まるので、リハーサル時間も限られている。少し音響を調整して貰っただけで、セレーネはリハーサルを終える。そしてステージ裏の斜面に設けられた地下施設に入ると小さな拍手を貰った。


「僕の小さなセレーネ、元気だったかい?」


 施設の入り口に彼女の愛しい人が立っていた。


「クレスお兄ちゃん! どうしてここに?」


 爽やかな笑顔の美青年だった。彼の笑顔を見れば、ほとんどの人が好印象を受けるはずだ。同時に育ちの良さがにじみ出ているのも分かる。育った階級が上流だとかそういうのではない。まっすぐ生きてきた、そういう育ちの良さだ。


「今度、僕もここでコンサートをやることになったんだ。下見に来ようと思っていたら、セレーネが今日、出演するって聞いて、見に来た」


 下見という割にクレスは黒いスーツを身にまとっていた。


「嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!」


 セレーネは幼い頃からことあるごとにそうしたように、クレスにしっかと抱きつく。


 クレスはハハハ、と小さく苦笑しつつ、ものすごい我慢をしたあとで、やっぱりこらえきれなくなったように彼女の細い腰に両手を回した。


「君は小さい頃から変わらないな」


「そんなことないよ。きちんと育ったよ」


 セレーネはたわわに実った両胸をクレスにギュウと押しつける。


 またまたクレスはやせ我慢を始める。


 世間で評判の新進気鋭のピアノの魔術師、クレッシェンド・マーカーがこんなにもドギマギさせられ、自分を失いそうになるのは世界中でセレーネただ1人だ。


「今度、高等部の3年生だね」


「もうすぐだね。約束、忘れてないよね。大人になったらプロポーズしてくれるんだよね。もうあと1年で大人だからね!」


 セレーネは気持ちが先走り、矢継ぎ早に言ってしまう。


「忘れるはずがないよ。でも、君のご両親に認めてもらえるほど、僕には実績がない」


「十分だよ! 許してもらえなかったら、家出するもの。ああ、大人になっているから家出じゃなくて独立だね」


 セレーネは心の底から真摯であった。


 結婚するならクレスお兄ちゃん。それ以外はありえない。


 そう誓って早10年以上が経つ。


 セレーネは純情一直線の乙女であった。


 セレーネの家は貴族階級ではないが、新興財閥のグローアップ・マウント(GM)一族の出身である。その財閥は西の都、ウキグモだけでなく広く経済力を発揮し、政治的発言力も大きかった。


 そんな中、魔力を持ったセレーネが生まれ、財閥の一族の長がどうせなら魔道士協会にも影響力を及ぼそうと、彼女の魔法の才能を生かし、とある魔道士に弟子入りさせた。そこに4歳年上の修行中の美少年クレッシェンドがいた。セレーネはクレスに一目惚れし、ことあるごとにひっつき、クレスも彼女の世話を焼いた。


 そして彼女が12歳のときに、「大人になったらプロポーズする」と、彼女の熱意に押し負ける形でクレスは言わされ、今に至っている。


 クレスの家は没落したとはいえ子爵家で、彼は長男。家に戻れば領地を継ぐ立場だ。それでもセレーネを嫁に迎えるには立場が弱い。そのためクレスは自分の特技を生かす形で魔道士修行を辞め、音楽家に転向した。そして無事に今年、有名な賞を受け、一流の音楽家として認められるスタートラインに立った。だが、彼はまだプロポーズには実績が足りていないと考えているらしかった。


「ウキグモに出てきてよかった。ことあるごとにお兄ちゃんに会えるもの」


「監視の目が気になるけどね」


 出身一族の監視役は何故かこのところいないのでお小言を言われず助かっている。


「お兄ちゃん大好き」


「うん。僕もだよ」


「本当?」


「大切な妹だからね」


「妹じゃ、ない」


「今は、まだ、妹だよ」


 ぐぐぐとクレスがいろいろこらえているのが分かるのでセレーネはよしとする。


「ちゃんと女の子として見てもらえるまでがんばる」


「それ以上頑張らなくて良いよ。僕のゴールが遠くなるだけだ」


「そんなことないよ」


 セレーネはひしとクレスの胸に顔を埋める。


 次にリハーサルする組が通路を通り、2人は離れる。


「私のステージ、見てから帰ってね!」


 通路の奥からアシスタントディレクターがセレーネを呼んでいた。舞台監督と打ち合わせだ。


「うん。もちろん」


 クレスの笑顔に後ろ髪を引かれながら、セレーネは控え室に足を運んだ。

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