潜むものダイバーが再起動したのはどのくらい時間が経った頃だっただろうか。内蔵の原子時計を確認すると8時間ほども経過していた。


 窓の外から朝日が差し込み、カーテンを揺らす早朝の風が室内を通っていく。


 自分がシングルベッドの上にいることと、省エネルギーモード、つまり棒人間に戻っていることを確認し、そこでようやく何故自爆をしていないのかとの疑問に至った。


 部屋はいわゆるワンルームで田舎から上京してきた若者が借りるようなところだ。階数は6階ほどだろうか。窓から見える建物の大半は屋上が見える。おそらくエレベーターがない6階建ての建物である。最上階は家賃が一番安いのだ。


「おー、無事に再起動したね。良かったー!」


 キッチン台の前でお行儀悪く、深皿にミルクを入れ、コーンフレークを食べている美少女が振り返った。


 灰色の髪に赤い目の美少女だ。


 そこで潜むものダイバーは思い至る。


 そうか、ボクらは女神様を絶対に傷つけちゃならないことになっている。ボクが自爆したら女神様が傷つく距離だったからキャンセルされたんだ。


 なるほど、なるほど。


 見れば見るほど泣き虫女神ナキメサワ様である。


 先日、『呪われし者』のデータと一緒に送られてきた女神様の画像そっくりだった。


「どうしたのきょとんとして」


 灰色の髪の美少女は小さく首を傾げた。16、17歳だろうか。データの女神様より、少し幼い感じがした。その代わりといってはなんだが、何故か出るべきところが出ている。パジャマ姿なだけに、身体のシルエットがよく分かるのだ。


『いえいえ。助けてくださって本当にありがとうございます』


「ここまで運ぶのは大変だったんだから。乙女に重いもの持たせたんだから、メチャクチャ感謝しなさいよ!」


 そしてコーンフレークを食べ、ベッドに座る。


『しかもボクをベッドに寝かせてくれたんですか』


「あら、わたしも一緒にベッドで寝たに決まってるじゃない」


 ぐぐぐ。


 そんなことを『女神の永遠の騎士』に知られたら分解男が自動人形にそうするようにバラバラにされてしまうに違いない。 


 潜むものダイバーは恐怖した。


「それにしても良かった。わたしの魔法力で再起動分に足りるとはおもわなかったよ」


 そういえばそうだ。どうやって魔法力を充填したのか考えもしなかった。普通の自動人形は交換式魔法力バッテリーで稼働する。しかし潜むものダイバーにはそんな仕組みはない。その代わり、高級自動人形と同じように直接、魔道士が充填することできるようになっている。


『私の、ということは、あなたは魔道士なのですか?』


「昔ね。今はただの学生。そして、ギターを持った歌姫、かな」


 美少女は美少女らしく茶目っ気たっぷりに笑った。


 エネルギーゲインを見ると10%ほど充填されている。省エネルギーモードでしばらく動くには十二分だ。


『第一階位魔道士?』


「せいかーい。結構、頑張ったんだけどね。才能なかったの」


『そんなこと分かりませんよ。師匠さんと相性が悪いこともあるし』


「どーだったんだろうねー。もう昔のことだから、いいじゃん? 今日、帰ってきたらまた充填してあげるよ」


『ありがとうございます――えーと』


「セレーネだよ。君は?」


『ボクは潜むものダイバーⅢです』


「変な名前。それじゃなんだかわからないよ。君は今日からザイン自動人形オートマタザインちゃん」


ザイン、ですか』


故郷ウチの方の方言よ。3のこと」


『ザインですね。分かりました。女神様がおっしゃるなら』


「なんでここで女神?」


 コーンフレークを口に入れ、モグモグしながらセレーネは聞く。


『だってボクを救ってくれた女神ですから』


 嘘ではない。ただ、説明が十分ではないだけだ。記憶を持っていない者に、無用な情報を与えてはならないのが大原則だ。


「ああ、分解男さんから、ね。見たことない人だったけど」


『この数ヶ月、分解男には追いかけ回されていましたから』


 セレーネは目を細め、訝しげにザインを見た。


「それって、あれかな。ザインちゃんが武装自動人形アームド、だから?」


『野良だから――です』


「――今日、登録に行こう。そうしたら、もう、当面分解男さんに狙われなくて済む。帰ってきたら魔法力も充填してあげる。そうだ、今、君にはどのくらい充填されてる?」


『10分の1くらいです』


「しょぼ。私の魔法力そんなに少ないか……まあ、落ちこぼれだったからナ」


 セレーネはしょんぼりする。


『違います、違います。ボクが大食らいなんです』


 またセレーネは訝しげな目でザインを見る。武装自動人形アームドと民生自動人形ではバッテリー容量が桁違いなのだ。怪しまれているに違いなかった。潜むものダイバー武装自動人形アームドではないが、似たようなものではある。


「3ちゃん、旧式っぽいもんね、燃費悪いんだよね。そういうことにしておいてあげる」


 セレーネはニカッと爽やかに笑う。


 深く聞いてこないことは大変助かる。


「そういえば君さ、家事は得意な方?」


『それなりにできますよ。野良時代に日雇いでよく家事仕事やりました』


 セレーネの瞳が輝き、ザインを真っ正面から見た。


「ありがとう。実は超ぉ~期待していたんだよね!」


 ザインが部屋の中を見回すと足の踏み場もないとは言わないが、それなりに乱雑だし、朝食をコーンフレークで済ませているところを見ても、セレーネの生活力は低そうだ。家事専門の自動人形と比べればそれはもちろん劣るが、セレーネに人並みの生活を送らせてあげるくらいは楽勝だろう。


『お任せください』


「やーん、拾ってよかった。あれ、拾われたのはわたしの方だっけ?」


『昨夜のことは忘れてください』


「さて、それはどうでしょう」


 セレーネはコーンフレークの深皿を空にして、キッチンのシンクに置く。


「じゃあ3ちゃん、よろしく~」


『えー。自分で洗いましょうよ』


「魔法力分、働いていただかないと~」


 そしてベッドの前に戻ってきて、真顔で聞いた。


「で、『呪われし者』って、何?」


『え、聞こえていたんですか!』


 昨夜の叫びはそのあたりから聞こえていたらしい。


「鎧になるのはイヤだって言っていたよね。ということは君は武装自動人形アームドだ。強化外骨格型だよね。武装展開して私を助けてくれたんだ」


『だって、巻き込んだのはボクの方ですよ』


「巻き込まれるのはねえ、慣れてるんだ。君が話したくないならそれはそれでいい。でも、たぶん、根本解決にはならないよ」


『一つだけ、お話しできることがあります』


「うん」


『ボクは本当のご主人を探しているんです。また会ったこともありませんが、会う必要があるんです。そうでないと、あなたを守れない』


 セレーネは眉をひそめた。


「前半は分かる。会ったことないのも制作者が所有者設定することもあるし。でも、わたしを『守れない』って、どういうこと?」


『万が一のときのためです』


 呪われし者が近くにいる今、万が一もなにも危機が迫っているのだが。


「ふーん。わたしと、君が会うのは、運命だった、って思ってる、ワケ?」


 セレーネは感心したような顔をした後、イタズラっぽい笑みを浮かべた。


「ということは、わたしの部屋のお片付けするのも運命だったってことだ!」


 ザインは苦笑した。棒人間モードのときは簡易な表情が出るようにパーツが配置されている。この場合、眉が下がって汗のマークが浮かぶ。汗のマークはよく分からないが太古の昔から困ったときに現れるマークらしい。


『必要とあらばやります』


「とりあえずWIN-WINの関係ってことにしておこう。じゃ、水浴びするから、あとよろしく~」


 そしてセレーネはユニットバスに入っていった。


 一般の建物にボイラーがついていることはほぼない。一流ホテルや貴族や大金持ちの大邸宅くらいだ。入浴に要する水とエネルギーの総量はすさまじいものがある。ウキグモには多くの公衆浴場があるのはその理由による。今は夏なので、庶民は水道から出る水で水浴びして石けんで身体を清めるのが一般的だ。


 ふうむ。何から始めたものか。


 まずは命じられたシンクの中の洗い物を片付ける。深皿以外にもいくつか食器が水に漬けられたままでザインは小さく嘆息した後、洗い物に取りかかった。そしてそれだけでは気が済まず、シンク周りの掃除を済ませた。


 その後ようやく。ザインは落ち着いてワンルームの中を見渡す。


 シングルベッドが1台、小さなテーブルが1台。姿見1枚。組み立て式の布製クローゼットが1組。ちょっとした棚が1つ。そのどれもが職人の仕事だとわかる。


 棚の上には小さな画像立てがある。その画像立ても工芸品だ。


 そのフレームの中には10代の少年と幼いセレーネが写っている画像が入っている。どうも画像館で本職が撮った感じがした。


 少年は繊細な顔立ちで、ザインはどこかで見たような気がした。


 そして少し上に何枚ものポスターが貼られていることに気づき、ザインはぽかんと口を開けた。訂正。口ではない。そこにあるメンテナンスハッチである。


 ポスターにはグランドピアノを弾く燕尾服姿の青年とそのアップの画像が載っている。どのポスターも同じ青年のコンサートの告知・宣伝ポスターだった。


『うわあ、そっくり』


 見た覚えがあるはずである。ザインは同型機から送られてきた彼の主人の顔をデータから引き出した。最初に思ったほど似てはいなかったが、それでも同じ系統の顔だ。データと比べると繊細さが際立っている。同じ顔の作りでも育ちで印象が変わる見本みたいなものだ。それをいうと呪われし者も同じ顔の作りなので、巨大な自動人形分解銃を思い出してげんなりした。


洋琴ピアノの魔術師 クレッシェンド・マーカー 受賞記念コンサート』


 ザインはポスターのタイトルを読み上げ、数秒後、はたと気がつく。


『ええっ! マーカーだって!』


 潜むものダイバーの創造主はマーカーを探せと命令を下し、ザインをこの世界に送り込んだが、まさか役割だけでなく名前までマーカーだったとは思いも寄らなかった。


 そして画像立ての中の少年とポスターの中の青年を見比べ、同一人物と確信した。


 同型機のご主人の顔。女神様であるセレーネとの関わり。彼女は第一階位とはいえ魔道士だった。そして青年のピアノの魔術師という2つ名。おそらく兄妹弟子の関係。


 じーっと考え続け、1つの結論に至った。


『間違いない! この人がボクのご主人様だ!! やったー!!! 運が向いてきた~~!!!!』


 ザインに涙腺があったら感涙していたことだろう。それも庭撒きのホースの水のごとく流れ出たかも知れない。


『実に長い道のりだった~~!!!!!』


「何をそんなに騒いでいるの?」


 ユニットバスの扉が開き、バスタオル1枚巻いただけの姿でセレーネが出てきた。


『うわあ! なんて姿で出てくるんですか』


「いやだって、ここ、わたしの部屋だし。いるの君だけだし」


『年頃の娘がはしたない!』


「仕方ないじゃん。着替え忘れたんだから」


 ザインは今のセレーネの自動録画データにモザイクをかける。


「あ、お兄ちゃんのポスターを見ていたんだ?」


『お兄ちゃん、ですか?』


 やはり兄妹弟子の推測はいい線いっていたようだ。


「そ。魔道の兄弟子。すごーく格好良いでしょう? あ、ごめん。着替え持ったら戻るね」


 セレーネは引き出しから着替えを持ってユニットバスの中に消えていく。


『巡り合わせってあるんだなあ』


 ご主人様と会えるのも時間の問題だ。あとはどのくらい『女神の永遠の騎士』の自覚があるかどうかになるだろう。


『それまでは女神様に仮登録してもらおうか』


 そうでもしないと本当に呪われし者の鎧になってしまうかも知れない。


 気分があがってきて、ザインは上機嫌で部屋の中の片付けに取りかかる。


 やりがいがある散らかり具合ではあるが、ザインは鼻歌交じりで、まずは古い雑誌をまとめるところから取りかかったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る