第12話 例え、叶わない方が良い願いであっても

『残りHPゲージ、10%未満の辛勝ね』

『勝てば官軍、苦情はひかえてくれ』


 数々の規制が緩いUnderWorldにいても、精神的なトラウマとり兼ねない痛覚は抑えられているのだが……


 如何いかんせん、それすらも甘めな設定のようで、マスク割れにとどまったとはえ、分泌されていたアドレナリンの効果が切れると破片で切れたまぶたや頬は痛いし、割れるような頭痛も収まらない。


 よくこんな状態で勝てたものだと愚痴りつつ、史郎は戦績情報に書き込まれた一勝の表記や、それによって得られた仮想通貨の増加分に着目する。


 遠距離特化の慢心ゆえか、迂闊うかつにも敵械人カイジンは結構な額を持ち歩いていたようで、大幅に増えている所持金に顔をしかめた後、未使用の閃光音響弾スタングレネードを拾ってストレージに仕舞うと仮想世界から離脱していく。


 すぐさま戦闘のダメージによる不快感が鳴りをひそめ、没入ダイブ時の事故を未然に防ぐための専用ベッドより、何事も無かったかのように彼は身を起こした。


 まだ首に掛けている寝台と繋がった有線式のリングユニットを経由して、その様子を見計みはからっていたクリムの声が脳内に響く。


『気分はどう、大丈夫?』

「あぁ、痛みとかは引きってない、ウェアラブル端末に切り替えるぞ」


 ことわりを入れながら、疑似人格たる彼女のマスターは首の器機を外して立ち上がり、円卓へ置かれている愛用品を手に取った。


 骨伝導スピーカーや極小のカメラなど、様々な機能が搭載された眼鏡を掛けることで網膜への投射が行われ、視界の中に金髪緋眼の美しい少女が忽然こつぜんと姿を現す。


 久し振りとなるVRMMOが楽しかったのか、ぽやぽやした感じのクリムに史郎が所感を尋ねると、てらうことなく彼女は表情をほころばせた。


『ん… 私の人生って、大半は某ゲームのNPCだったからね。駆けまわれるオープンフィールドの方がさ、狭い仮想空間よりも性分に合ってる』


「流石に自宅の量子計算機コンピュータで、独立した精巧な世界を造るのは費用対効果が悪すぎる。しばらくはUnderWorldで我慢してくれ… ある程度の自制は必要だけどな」


 少し逡巡しながら言及したのは先刻の勝利で手に入った仮想通貨、ゲーム内の物ではあっても普通に換金できるため、それらを落とさない迷宮区域の怪物そっちのけで皆が辻バトルに励むのも、分からなくは無い。


 上手く立ちまわれば多額のお金をかせげそうだが、を越えて黒に近い灰色のアングラな場所に染まり切ってしまうのは、彼にとって抵抗があるようだ。


 そのむねを包み隠さず告げると、クリムはふんわりと花が咲くように微笑む。


『ふふっ、倫理規定や感覚制限が曖昧あいまいなあっちで、私の柔らかい胸を揉み込んだり、人目をはばからず娼館に通ったりする度胸がない限り、心配はないんじゃない?』


「確かに言い得て妙だな、嫌われないように心掛けておこう」


 そう真顔で答えたマスターに対して、非実在のAI少女としては思うところがあるものの、歓喜に分類される電気信号シグナルが自身のニューラルネットワークを走り抜け、自然と頬が緩んでしまう。


 このまま現実の恋人ができない危惧きぐが半分、気遣きづかってくれる嬉しさ半分といった様相ではにかみ、野暮な指摘をする必要はないと、密かに内心で判断した彼女は話題をらす。


『それにしても、さっきの近接戦、動きが堂に入っていたよね』

「あぁ、一時期、対戦型の格闘ゲームにはまっていたからな」


 なつかし気な声で教えられた知らない情報に付き、クリムがねぐらにしている量子計算機内のストレージを瞬時に検索すれば、あらわになる大量の接続ログと数え切れない対戦結果のデータ。


(うぐっ、この浮気者め、許すまぢ……)


 私を放置していた原因の一端はこれかといきどおり、スンとなった金髪緋眼の少女に気づかず、かなりの腕前らしき史郎は得意げに武勇伝を語り続けるのだった。

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