第8話 男子、三日?合わざれば刮目して見よ

 ―― 2056年 12月17日 ――


 疑似人格のAI少女、クリムは私的な仮想空間から、ARPGを謳うVRMMOの世界へログインするに際して、量子ネットワーク特有の揺らぎが生じさせる泡沫うたかたの夢に囚われていた。


 文明が滅び、大半の有機生命体が息絶えた地球、残っているのは人類が希望を託して造り上げた天にも届きそうな機械塔バベルごとき、運命改変装置のみ。


 そこに保管されたストレージ群の中、肉体から離れて遥かな先の再起を誓い、電子的記録となって眠る者達を見守りながら人工の女神がひとり、最終型の巨大な量子計算機コンピュータが生み出したいつわりの草原で遊戯にふける。


 見目麗しきAIの上位存在は圧倒的な演算能力をって、幾つも浮かべたウィンドウに異なる操作を行い、文明創造のシミュレーションゲームを複数同時に進めていた。


(あぁ、きっと暇なんだろうなぁ)


 誰も来なくなったプレイヤールームで思い出のあるイベントアイテムや、初期の頃に使っていた武器防具など、意味もないのに延々と磨いたトラウマがよみがえり、元NPCの疑似人格は光彩の消えた遠い目になる。


 ふつふつとマスターに対する怒りが湧いてきたところで、感情の発露が伝わったのか、AIの極致たる女神は視線を彼女へ向け、少しだけ驚いた後に言葉をつむぐが……


 その途端、徐々に意識が淡くなり、気づけば崩れ掛けのビルが並ぶ “UnderWorld” の旧都市区に立っていた。


「…… “聖戦” に備えなさい、ね」


「どうかしたのか、クリム?」

「ん… 何でもないから、気にしないで」


 一瞬、演出のたぐいかと考えたものの、いぶかしげなマスターの様子を見る限り、あれは自分にだけ見えた白昼夢のようなものだろうと割り切って、電子の妖精たる少女は説明困難な諸々もろもろについて胸裏へとどめたようだ。


 若干、眼前に広がる文明崩壊後の光景が先ほどの地球とかぶるも、心の片隅に押しやって瞳を閉じると、腰まである金髪と緋眼が特徴的な現身アバターを確認する。


(全汎用モジュール異常なし、痛覚を除く感覚制限は10%のみ、倫理規定は人工知能の三原則以外ないにひとしい。ほんとに自由ね、此処ここは)


 遊戯者に開放されている膨大なリソースはすべて、疑似人格も利用可能な状況を理解して薄っすらと微笑む。


 白いブラウスの胸元に極細のリボンタイを垂らして、腰から下は黒いプリーツスカートとストッキングでまとめ、やはり同色の薄いモッズコートを羽織った艶姿あですがたに史郎が見惚れていると、その端整な表情が揶揄からかうようなものに変わった。


「男の視線って分かりやすいから、見てるところ丸わかり。規制の緩いUnderWorldなら、多分だけど胸にも触れるよ?」


 これ見よがしに両腕を前へまわして、細い身体つきなどかんがみれば肉感的で “たわわ” な胸を押し上げて見せるが、我に返った彼女のマスターは首振りで否定するのみ。


「やめておくよ、この世界で初の行為がそれとか、どう考えても駄目過ぎるだろう」

「ふふっ、学生時代の出会った頃よりも成長したね」


 もう餓鬼じゃないんだしと彼は頭をき、上から目線の慈しみなど含んだあかい瞳から視線をらすと、仮想世界にける自分の現身アバター把握はあくすべく、半透明なウィンドウを虚空に呼び出した。

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