第8話 鏡の国の住人

「学校のロッカーを使うってどうだ?

仕掛けというか、銀行にしようぜ。

強盗するか大事な何かを置いておくかは後で決めればいい。

とにかくそれは貴重なものが入ってるんだ。」

昼までの授業を消化しなんとも眠たさが増しリラックスした五・六時間目、僕らは文化祭の出し物について話し合っていた。

「主人公はどうする?」

「そして僕らが考えるべきは、どうやってこの文化祭の雰囲気をモノクロの古き良き当時に再現するかってことじゃないかな。」

「演出に何が必要かってことね。」

僕らはそれらについて話し合った。結果としてまずレコードプレイヤーを買うことになった。それは確かに悪くないアイデアだった。

「地元のレコードショップは三店舗みたいだ」僕はそうスマホで調べて言った。その内のひとつは僕がギターの備品を調達したユーズド・ショップで、内一つはブラック・ミュージック中心、もう一つは隣街だがレコードならなんでもというお店だった。それから僕らは各々が物語の起承転結に掛けるべき曲を探すことにした。後日お互いのレコードを聴いて各自がどこでどの曲を流すかプレゼンするわけだ。

「帰り際にレコードを探しに寄ってもいいかな?」

「文化祭のやつね。

もちろん」リナも賛同してくれた。僕らが学校でコンタクトを取ることはまずない。今も樫江家のグループライン経由で話している。そっちのほうが一々報告する必要も消えて楽なのだ。ちなみにグループには姉と千禾さん、リナと僕だけだ。千禾さんと言えば

「私もそれは急な話だと思いましたとも、ご主人。

思春期の男女が同じ宿、もとい同じ部屋でこれから過ごすなんて、と。

でもそんなことを言って矛先がこっちに向いて、私が追い出されてしまうことにならないか怖くて怖くて、結局聞けなかった不甲斐ない私を許して下さい〜泣。」

というメッセージで個人チャットが途切れている。なんかこのメイド、健気なフリが上手い。きっと今までの人生で彼女にも何かあったのだろう。


 レコード専門店は深夜でも営業している個人経営のところがあるようだった。そして駅から近い方だが、それはかなり奥まったところに位置していた。どうりで知らないはずだ。店内は思ったよりもずっとこじんまりとして清潔感がある。そこで僕らはとりあえずセールになっているダンボール箱から何枚かのLPを漁った。それらを後日当たりか外れか学校に早めに行き確認した。大体は外れだった。でも良いのだって少しはあったし、それは奇跡的な確率での遭遇だった。出来るのであればここで僕がそれを手にすることになるまでの経緯を知りたいとさえ思った。ちなみそこの店員は一人だけで、かなりブラック・カルチャーに傾倒したスタイルをしていた。でも僕はその時ポップな音よりも静かさを基調とした曲を好んでいた。歌詞をいちいち調べる気にもならなかったというか、その手の言葉というものを可能なだけ遠ざけ、一切排除したかったのだ。こうして数週間が経った。彼女との生活はもうめちゃくちゃだった。クローゼットには何故か僕のサイズの僕の知らない服が入っていた。僕は初日の教訓を生かしソファベッドを買って寝た。健全な一男子高校生には刺激が強すぎる。

「そうえば、今日は100回したの?」

「何を?」

「腕立て。」

「全てお見通しか。」

「部屋でよくやってるみたいだから。

ダンベルもあるし。

私が出来るのは机の上にあるハンドグリップくらいね。」

ダンベルがすごく重かったと彼女は文句を言っていた。それから僕が部屋で腕立てをしていると必ずと言っていいくらい彼女は本を片手に僕の上に乗るようになった。

「出来るだけキツい方がいいんでしょ?」

まあね、理論的に考えれば確かにその通りだよ。

「今日は何を読んでるの?」

「貴方の本。

これ、凄く面白いわね。」

それは僕が推理物で唯一本棚に並べていたものだった。

「アシュフィールドさんの本も今度貸してよ、興味がある。」

「もちろん。

それと、同じ家で暮らすんだからお互い名前で呼び合わない?」

「うん、名前ね。

勿論かまわないよ。」

学校で余計なことにならないといいのだが。

「陵史も私のこと毎回アシュフィールドさんって何度も呼ぶより、リナの方が短くていいでしょ?」

「確かにその通りだ。」

「じゃ、そういうことでよろしくね。

リョーシ。」

そこで僕は初めて互いの距離が大胆に縮まったような錯覚を覚えた。机も僕らは自室のを使っていた。僕は使い慣れている方が良かったし、彼女は食事するテーブルを汚すのを躊躇ったのだろう。それに一緒に机を使う機会というのはそれ程なかった。ベッドがソファにもなる優れものだし、食事当番とか、風呂の時間に出来るだけ机は使うようにしていたからだ。だが二人で同時に使う時もあった。だが距離感はそのままだったのだ。彼女は僕が何をしてても基本はそっちのけだった。だけどたまに独り言のように話をした。例えばこんな風に

「陵史も、鏡の国の住人なのね。」

「鏡の国の住人?」

「鏡越しの景色では、右利きは右利きには見えない。

だからサウスポーの人はそう呼ばれている。」

「なるほど、そういうことか。

まあ、書くのと食べるのだけだけどね」僕はそう返す。こういうのは両利きとは言わず、クロスドミナンスと言う。スポーツは右だから、全く美味しくない。利き手と利き腕は違うのだ。


「その碧色の君。」

気づけば私は好きだった詩を口ずさんでいる。

「明るい影、光の差さない影、夜の風景。」

「鮮明なのに掴み得ることが出来ない、冷たさと広大さ。」

「ロイヤルブルーは輝きを増して───」

「その青と緑の間の、翠でもなく、蒼でもない碧よ。それは何にも替え難い。」

「それは赤より紅く燃え上がる、確かな熱意だ。」 

「また会おう、そのLainfieldの向こうで」  

……。

「誰が書いた詩なのか、私は知らないの。

只これは、お兄さんが愛した詩だったというだけ。

そして最後の単語がやけにひっかかったのもこの詩、おそらく兄の詩を覚えている理由の一つね。

幼い頃からずっと思っていたの。

Lainfieldとはどこなんだろうって。」

「それについてお兄さんに聞いたことは?」

「あるわ。

でも兄は具体的な場所を言わなかった。

いいかいリナ、それはどこにでもあるんだよ、君が気付かないだけで。

そう言ってたわ。

それは今君の目の前を通り過ぎる寸前だって。

そしてそこでは何でも起こるんだ、もし本当の自分自身が見たいなら、答えはそこにある。

そしてそこはずっと君を、君が来るのを待っているって。」

In LAINFIELD anything can happen, anything at all.と私は彼の言葉を言い直す。

「どうして君を待っている?」

「何故ならそこは、貴方がいるべきどこかだからよ。」

「そこは君にとって良い所なの?」

「さぁ、どうかしら?」

彼女はしばらく逡巡し、答える。それは手慣れた物事に関する思案にも、深い葛藤にも見える。両義性が顔を覗かせている。

「さしずめ、lainfield's good for meと言ったところかしら。

少なくとも、その場所は違う所へと私を導いているから。」

「ここに来たのもそれが絡んでいる?」

「そうね、そういうこともあるでしょうね。

少なくとも私は立ち止まっていない。

私には行くべき何処かがあり、明瞭明白な目的があるの。

これこれこうするんだという目的が。

そしてその為なら無理とか可能かなんて関係ない。

ただ行動に移すの。」

「もし駄目だったら?」

「傾向を理解した上で対策を練る。」

「なんだか試験勉強みたいだ」そう言って彼は笑う。

これを諳んじて貰った時、私は黄金に輝く海の上にいた。もしかしてそれがLainfieldなのだろうか。そしてその詩は、月並みな言葉かもしれないが私の心の奥深くに入り込み、私を芯から揺さぶり私の一部と、血肉となった。何故だかこの詩を読みたい気分だった。どうしようもなく。そしてその次に兄との会話を私は思い出した。

「いいかいリナ。

この景色をよく覚えておくんだ。」

そこは雪の積もった山だった。ひび割れ露出した岩石の先端も簡単には見えなかった。風が層と層の間から吹き上げては私の前髪をすいていった。その音は圧縮され何かが今にもすっぱりと切れそうに聴こえた。その景色を私は土砂降りの雨の日にも思い出す。私の中に植えつき離れなくなった景色だ。それを思い出す度に私はここがスタート地点なんだと思う。ここが最初だと。そこから何かは立ち上がり、展開していくのだ。そして私は思う、前よりは悪くないと。

「その時私は身を持って学んだの。」

そんなことを本当は言うつもりなんてなかったのに、不意にそんな言葉が出た。

「つまり?」

彼は不思議そうにそう尋ねる。そして私は変わらず言葉を発している。

「つまり……、偽物から実弾が飛び出すということもあるということよ。」

「君は難しい比喩を使う。」

「兄の失踪は謎のままよ、合理的に説明できないことだらけ。

でも、」

「君のお兄さんはいなくなってしまった?」

「そうね、死んだわ。

大事なのは本物かどうかということじゃないのよ。」

「そういえばもうテスト週間だけど、リナは大丈夫そう?」

そう彼が話し掛けてくれたお陰で私は現実に戻った。

「英語は言うに及ばず。

他の科目も苦手なのってあんまりないから。

どうにかなるんじゃないかしら。」

だんだん陵史のことが分かってきた。人間味があるという言葉は間違いではないが、ベストな言葉選びではない。それは言うなら混沌、中庸にある人間像だ。本当に美味しいコーヒーではない限り彼はガムシロップを三つ入れることも厭わない。これは夜に蔓延している微妙な例えのひとつだ。初夏になったこの街で彼が私に言ったのは、南カリフォルニアには行ったことがないけれど、こっちの夏はそんな気候になるということだった。だから海沿いもクラシックで、いかついなりをしたアメ車が多いという。彼は普通の場合ルールを遵守する。しかし自分の心を揺さぶるような面白い出来事を前にすると、おそらく何か衝動のようなものを止められなくなる。これは私の直感だ。でも少々自信のある直感。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る