第6話 制作・著作:北英軽音部
TIME:1 hours later
PLACE:楽器保管室
「ねえ。」
「何かしら、次期軽音部員君。」
「そんな名前で呼ぶな。
僕には自分の名前がある。」
「気付かなかったわ。」
「ここ、電波が通じないんだけど。」
「そうよ?
でも貴方には私がいるじゃない。」
「いま僕に必要なのは電波ちゃんじゃない。
電波だ。
でも電波が通じないなら僕が降伏したとして、どうなるんだ?」
「それは……。」
「それは降伏してからのお楽しみよ。」
終。
制作・著作:北英軽音部。
TIME:1 hours later
PLACE:楽器保管室
「日が暮れた?」
「…そのはずよ、日の入りの時刻だから。」
「なあ、本当にここで一夜を明かすのか?」
「貴方が入部しないとね。」
「もういいよそれ。
どうせどっちみちここにいるんだろ?
でもトイレはどうすればいいんだ?」
「私は事前に済ませたけれど?」
「それはなにより。」
「はい。」
「何これ?」
「ペットボトル。」
「・・・なんなら、無人島のほうが絶対にマシだろうな。」
一人なんだから。
TIME:1 hours later
PLACE:楽器保管室
目が覚めるとそこは一高校の楽器保管室だった。当たり前だ。
いや、当たり前か?結局あの後僕は全てを忘れて眠ることにした。だってペットボトルはあまりに最終手段だ。とても同級生(しかも異性)の前で出来るものではない。もちろんここは保健室のベッドなんかではないので体が凝っていた。雑魚寝できるほど綺麗にも見えなかったので僕は壁に寄りかかって寝ていた。そして辺りは真っ暗だった。今怪談話をやれば盛り上がるだろうな。でも僕はと言えばそんな悠長に構えてもいられなかった。特に左肩の凝りがひどい。こっちに何か重しがかかっている。暗闇の中視覚は失われていても、残りの五感が教えてくれていた。まず重みがあり、鼻腔をくすぐる甘い香りがした。そして左耳に湿っぽい吐息がかかっている。つまり彼女も僕が寝たのを確認した後消灯し、寝ることにしたらしかった。その判断にはなんら問題はないだろう。事実こんなところでやることなんてないのだ。でも、と僕は思う。どうしてそんな眠り方をするんだ。
ゲームの難易度は僕の意思に関わらず刻々とレイズを繰り返していった。最初は部活勧誘で、次が無人島生活、そして尿意耐久大会と来てからのこれである。やれやれ、問題だらけで盛り上がってきた。ただでさえ湿っぽくて蒸し暑いのに、その密着加減は汗をかくほどだ。でもここで変に動いて彼女を起こすことが僕には一番躊躇われた。もしそれで彼女を起こすくらいなら(そして気不味くなるくらいなら)、この体制で一晩いるほうがましだ。別に僕がどうこう言われるような立場では当然ない。それにもっと賭け金が釣り上がったら、今度こそ僕はどうしようもなくなるだろう。それだけは困る。これ以上の精神的負債は歓迎するところではない。でも、一体どういう数奇な運命が、僕を高校で彼女と密着させるという展開を連れてきたのだろう?そしてそこには何か原因とか、教訓みたいなものがあるのだろうか?
「……なに?」
彼女が目を覚まして、僕がやっと体を話した後に抗議の眼差しで彼女を見つめていた時のことだ。
「降参だ。
熱意に負けたよ」僕は脅しと言いたいのを堪えてそう言った。
「私、寝起きは頭がよく回らないのよ」彼女は僕のシャツであくびを隠しながらそう言った。
「もっと分かりやすく言って。」
「入るよ、この部に。」
それを聞くと彼女はにっこり笑って、テーブル上の白い紙を差し出した。スマホのライトで照らし出すと大きな明朝体の字で「入部届」と書いてある。
「一年ぶりだな。」
感慨深いよ。親の所には変わりに姉の署名があった。千紘の字だ。やれやれ、彼女は僕に入部してほしいんだろうか?
「じゃあ、はい。」
僕はそこに自分の名前を記入した。そして判を押した。
「貴方いつもハンコなんて持ち歩いてるの?
さすが一人暮らしね。」
「まあね。」
そこで彼女はやっとその部屋の鍵を出した。僕はほっとした。登校時間までこのままというのは色々とまずい。それにもし彼女がそこまで大きな賭けをする人間だったら怖い。俗に言う一線を超えるというやつだ。僕は起き上がると軽くストレッチをした。そしてまずトイレに向かった。
姉から着信履歴とメッセージがあったので友達の家に泊まっていたと返信しておいた。他のメッセージは急用ではないだろう。校舎を出ると僕らはコンビニに向かった。
「すごく今更な質問をしても?」
「仕方ないわね。」
僕は彼女の生意気な態度へのリアクションを諦めていた。というか彼女の言動に対して同じ割合のソースを割いて反応するというのはかなり体力がいることだろう。だから僕は前述の通り彼女の勧誘をのらりくらりと避けてきたのだし、下校時間に大声を出して外の周囲に助けを求めなかったのだ。
「なんでここ内側から開かないんだ?」
「軽音部の活動は何か知ってるわよね?」
「なんだ藪から棒に。
ライブじゃないのか?」
「だから内側に鍵がないのよ。」
??
「つまり?」
「ライブ当日までに曲を仕上げるわよね。
でも一週間前になっても関係ないことしかしてない人もいるの。」
「それで今の僕みたいにするのか?」
「そのとおり」彼女はいい笑顔でそう言った。やっぱりあの紙、今破くべきかと思ったがそれは手遅れだった。秋音は自分の教室の鍵のかかったロッカーにもうそれを入れてしまっていた。
「それで」僕らは近くのコンビニのイートイン・スペースで早めの朝ご飯を食べながら言った。
「これからどうするつもり?」
「これからっていうのは部活のこと?」
「まあそれもあるけどさ…、差し当たって今この瞬間だよ。
流石に着替えとか風呂とかあるだろう?」
「廃部寸前の水泳部のとこ行く?」
「あそこ、今水はられてないだろ。」
「そんなの私も知ってるわよ。
でもシャワーくらいありそうじゃない?」
「あ〜…。」
確かにそれは間違いなんかじゃない。
「何よ、シャワー入りたくないの?」
「ぶっちゃけ入りたいな、今何月だと思ってんだ」僕は自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら言った。あのまま僕が信念を通したらお互い熱中症で倒れていたに違いない。下手すれば保健室で朝を迎えていた。いや、最悪あの場で「WASTED」だったな…。
「でも今日はテスト返却だし、行かないのもありだと思ってる。」
「え〜、陵史不良だな〜。
文化祭まではそういうの控えとこうよ。」
誰のせいだと思ってんだ。
「一日くらい問題ないだろ。」
「私は貴方の入部届出さないと。」
「よろしく。」
「でもそうなるとやっぱり貴方も必要よね。」
「おい、君も女子ならまずは身だしなみを整えるのを優先しろ。」
「じゃあ一回家に帰りましょ。」
「確かにまだまだ時間はある。」
日が昇ったばかりだ。上手く行けば風呂の後ベッドで仮眠が取れる。
「ねえ。」
朝焼け、そこそこに長い髪と、湿った風。
「私も乗せて。」
甘い残り香。
「秋音の家は茅ヶ崎のほうじゃないのか?」
「葉山。」
「遠いね。」
うちの高校に通うのは遠くて横浜から小田原までいる。といっても上述した所から通う人はそんなにいない。たぶん三回は乗り換えするはずだ。
「それにまだ始発出てないわよね、ローカル線だから十五分に一本だし。」
「分かった。」
どうせ自宅は駅から近い。でもそれが誤算だった。
「重……。」
後ろから叩かれる。
「荷物も二人分だぞ?
それに二人乗りなんて初めてなんだ。」
リュックを自分は前掛けで、後ろの荷台には秋音が座っている。
「どう見てもいっぱいいっぱいだ。」
「それであとどれくらいなの?」
「半分ってとこだね。」
「これで?
家まで何キロ漕ぐわけ?」
「十キロ」
「うわあ。
頑張って。」
「そう言えば退部届けを出す時、初めて顔を合わせた顧問にまた他の部活を始めるのもいいんじゃないかって言われたっけ。」
「見る目あるわね。」
「それは君と同意見だからだろ、まあ軽音部とか人が多そうな部活は辞めとけとも言われたな。」
「私今日丁度職員室に行く用事あるのよねえ。」
怒鳴り込みだけは勘弁してくれ。
「文化祭までそういうのは控えとくんだろ?」
まあ彼女のそういうところは嫌いじゃなかった。昨日の放課後なら家の近くのスーパーに寄って食材を買うべきだったがこの時間では空いていない。何度かバランスを崩しながら、それでも六時前に僕らは自宅に着いていた。
「うわ、貴方の家大きくない?」
「実際そんなでもないよ。
えっと、駅はあっちだ、マップ開けば分かると思うけど。」
便利な世の中である。
「ふ〜ん、てかここ部活ぐるみでお世話になってる楽器店の一本奥の通りじゃない。
良い所に住んでるのね。」
「うちの学校は茅ケ崎だろ?
どうして。」
「先代からずっとそうよ。
良く分かんないけど。」
「じゃ、そういうことで。」
「待って。
先にお風呂貸して。」
「うち姉がいるんだけど。」
「別にお風呂を借りるだけだし問題ないでしょ。
それとももう起きてる時間?」
「いや。」
それは断言できる。彼女は八時の引っ越しの荷物さえ起きられなかったのだから。
「他に何か問題でも?」
「君がそうしたいんなら。どうぞ。」
「お帰りなさいませ、ご主人。」
「ただいま。
朝から早いね。」
「主人のメイドですので。
これはボーナス頂いちゃったり?
あ、そちらの方と朝帰りですか?」
「陵史の家ってメイドさんいたの?」
「後で話すよ。
彼女をバスルームに案内して。」
「畏まりました。
さあお客様、どうぞこちらへ。」
僕は汗まみれのシャツを脱いで、居間に向かった。時刻は六時半になろうとしていた。冷凍庫からアイスを取り出す。彼女が出た後僕がさっと体を洗ってぎりぎり、いつもの登校時間に間に合う感じだろう。どうして今この時代に、こんな所で、こんな状況にいるんだろう?そこには理由やきっかけみたいなものが何か一つでもあるのだろうか?そして生まれてから今までの年月はやけに長くも感じたし、一瞬にも思えた。僕はくだらないことを考えすぎる。
首を横に振るとアイスの棒を捨て、自室に向かった。そこで制服をしまっている収納ボックスから新しい白いポロシャツと、まだ履いていない丈の短いソックスを取り出しておく。今日から夏服というわけだ。携帯を充電し、黒い革張りのしっかりとしたオフィスチェアに腰かけた。父が使っていたもので、今は僕の部屋にある。これが大人なら一服するタイミングだろう。僕は引き出しを開け、ココアシガレットを取り出し一人静かに笑った。どうしてこんなものがあるんだろう。元々これは喫煙中毒者用のはずだ。そして腕立てをし始めた。楽器倉庫で寝た後自転車をこぎ続けたせいで、体はバキバキと音を鳴らした。足に至っては自転車のせいで太ももが膨らみ、尻はろくでもないサドルのおかげでやはり痛くなっていた。そして腕立てを終えた後ようやく僕は自室にあんなにあったダンボールの山がなくなっていることに気付いた。今日は荷解きだけで一日が終わりそうだと思っていたのに。姉は多少の罪悪感を発揮したのだろうか。それともメイドさんの本領発揮だろうか。次に僕は周囲に目をやってみる。まず本棚の本が増えている。大衆娯楽から古典まで、僕の空けたほぼ全てのペースが本で埋められていたが、それらは全て洋書だった。僕に読めるわけもない。少しは英語の成績を上げろということだろうか。他には向こうの漫画やファッション雑誌等…。ジャンルは色々あったが本と雑誌が主立っていた。姉のプレゼントなのか、貴方も読んでおきなさいということなのか、それと英語くらいは出来るようにというメッセージなのか、単純に彼女の部屋には収まりきらなかったのかは分からなかった。でもどれも可能性としては同じくらい有り得る話だ。念の為クローゼットも開けてみた。そこにはレディースの服が半分入っていた。
「は?」
よく見ると女性服だけではなく収納ボックスには下着も入っている。趣味嗜好は置いといて、どうしてこんなものを僕の部屋に送りつけたんだ?訳が分からない。姉の頭がおかしくなったのかもしれないし、海の向こうではこういうサプライズがひとつのネタとして定着し始めていたのかもしれない。島国で暮らす僕は知らなかったが。その時僕のところに秋音がやってきた。
「陵史、お湯借りたよ。
後ポロシャツと靴下も。」
そう言った後彼女が唖然としているのに僕は気付いた。
「うん、どうかした?」
そんなに変な部屋だろうか。
「いや、一人部屋にしては広くてシンプルで実用的だと思う。
じゃなくて、ここは本当に貴方の部屋なの?」
「そのはずだけど。」
僕が学校に泊まってる間に世界五分前仮説が立証されてなければの話だが。僕はクローゼットの中の洒落気のある服を見つめた。そしてその可能性についてしばらく思いを馳せた。でも秋音の位置からはこれは見えないだろうし、彼女は僕の部屋を見るのは初めてのはずだ。いったいどうしたというんだろう。
「じゃあそこに寝てるのは、誰?」
そう言われて僕はあまりに気を緩めて日々を送っていたことを再確認した。いつもどおりの鉛色のシーツと真紅のベッドシーツ。でもそこに全くいつもとは違う誰かが寝ていた。
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