人肌恋しい毎日の、独りになりたい一日

 いつもにもまして、耳障りな声が、かがんだ俺の少し上から降りかかる。一般的には可愛らしい声なのだが、言い方がねっとりとしてて、なんだかいやらしく聞こえる。

 「なんですか、小出岩こでいわ先生」

 俺は不快感を気取られないように、凛とした声色で返す。

「ま〜たそんなに改まっちゃってさ〜。いつもみたいに、美緒ちゃんって呼んでくださいな、ほら?」

「あのなあ」

 俺は切り出す。この幼馴染のペースに乗せられてたら、日が暮れちまう。学校を一周したほうが早い。

「俺は大事な用事があるんだ。お前にかまってる暇はない」

「ま〜たそんなにカッコつけちゃって。あれかい? 駆け落ちってやつ?」

「ちげぇよ。……んー、強いて言うなら、宝探し、かな」

「へぇ。ワタシもついて行っていい?」

「ああ。……え?!」

「いやね、藤岡先生の授業、日に二、三時間しかないから暇でさ」

「え? 美術科ってずっと美術室こもりっきりじゃねぇの?」

「座学もあるらしいよ。それは他の先生が、教室でやってるみたいよ」

「他の先生いたんだ」

翔馬ショーマ、何にも知らないんだね。あんだけ藤岡先生に肩入れしてるのに」

「うっさいな。休み時間と放課後にしか行けねぇんだから仕方ねぇだろ」

「今は?」

「……イレギュラーだ」

「ねぇねぇ、藤岡先生って、どんな先生なの?」

「美術科の生徒に聞けよ」

「むー。つれないなぁ。幼馴染との感動的な再会だというのに。会ったの何年ぶりよ、ワタシたち。最後に会ったのが翔馬が中学に上がる頃だったから――」

「三年と八ヶ月ぶりだ。中一のとき、駅の本屋でたまたま会ったろ」

「あ~! そうだそうだ。グラビア見て発情してたっけ」

「余計なこと覚えてんなよ」

「翔馬こそ。……あのさ」

「なんだよ」

「……まだ、ワタシのこと、好き?」


 読者の皆様、大変申し訳ありません。ラブコメ的人生を、神様は俺に与えてくださったようです。

 朝山も彼氏がいるようですし、俺の人生に登場する女性は、残りインチキ占い師の婆さんと思いきや、ですよ。


 「何回も言わせるな。俺がお前のことを好きだった事実は後にも先にも存在しない」

「ひっどいなぁ。あの時くれたタンポポの花を、ワタシは今でも押し花にして大事に持っているというのに」

「あっそ」

「タンポポの花言葉、『真実の愛』だってさ。狙ったでしょ?」

「……気の迷いだ」

 

 なんだか変な気がしてきたので切り替えよう。

 何だこの動悸は。

 俺はこいつのことなんか、とうの昔に忘れたはずなのに。声だって、当時女子高生だった頃から、変わっていないはずなんてないのに。

 

 前に。振り切って、前に進もうとしたはずなのに。

 

 どうしようもない未練が、俺を恋に拘束している。そう言うにはあまりにいびつな、決して美しくない、正しくない恋に。


 「それで? 翔馬は何を探してるの?」

 

 また、考えすぎていたな。

 考えることはいつも同じ。だがそれを何度も繰り返してしまう。最適解を探してしまう。結局『解なし』なのだから甲斐がない。


 「――何を探してるのか、か。わからない」

「え? 意味わかんない」

「俺もだよ。だけど、俺にとって大事なものの気がするんだ」

「そっか」

 じゃあ、さっそく這入ろう。そういい、美緒は一足先に第四職員室へと足を踏み入れる。周りをキョロキョロと見、誰もいないことを確認し、俺に手招きをする。背伸びする動作が可愛い。

 身長は俺より少し低いくらいだから、つまり俺も可愛いということだろうか。

 そんなくだらないことを考えるほどには、張り詰めた気持ちが緩んできていた。俺は単純。

 

 「――っと、ここが、藤岡先生の机だね」

「次の司令は……無い?!」

「そりゃ先生だし、目立つようなところには置かないでしょ。サボりを助長した、なんて言われたらめんどいし」

「それか晴貴が時間ミスって、放課後の予定を今してるって線もあるかな」

「晴貴?」

「ああ、藤岡の協力者ってとこかな」

「友達、できたんだ」

「なぜそんな物憂げな表情をするんだ?」

「あ、いや、別に。よかったよかった」

「?」


 残念ながら漫画の主人公のように、俺は鈍感な人間じゃない。きっと、美緒は嫉妬しているのだろう。

 中学時代と違って、あるいは高校時代のように、幼少期の俺は引っ込み思案で、友達なんていなかった。思えば、両親の喧嘩の原因も、大抵それだった。

 そこで友達役を買ってでてくれたのが、マイ・グランドファザーの次男の娘、つまりは従兄弟の、小出岩美緒というわけだ(ちなみに父は婿入り。その当時は嫁入りがメジャーだったが、グラファのアメリカンなノリでなんかいけたらしい)。

 子供からしたら迷惑な話だが、会社の問題もあり、親父と叔父さんの関係が悪くなったと同時に、美緒との友達ごっこも終わった。

 本当に、中学時代の遭遇エンカウンターは、奇跡と言っていいほどの偶然だった。あのときの俺が日和ってグラビアで妥協していたことを、今では誇らしく思う。


 「なるほど。これがショータイムか」

「いやいや、『黄昏時』だ」

「うわあ」


 机の上にないなら、中を探せばいい。俺は藤岡の机を開け――


 「られない!」

 

 藤岡の机の引き出しには、鍵がかかっていた。まあそうだよな。動画投稿者は特にプライベートの流出に神経質だし。

 ならどうしろと?

 まさか『鍵を探せ』なんて言わないよな? そんなミッションに取り組んでたら日が暮れちまう。


 ……まてよ?

 案外、それが狙いだったりして。それなら引き出しの中に紙があっても納得だが、今日の俺は欠席同然となってしまう。それは困る。


 「中が駄目なら、側面じゃない?」

「側面?」

「そう、側面。てかマジで何探してんの?」


 学校を練り歩くについて、研修生とはいえども、白昼堂々と闊歩できる美緒の協力は不可欠だ。俺は今までの経緯をかいつまんで説明した。


 「――なるほど。でも、最初の紙は体育館にあったんでしょ? それは藤岡先生の計画のうちだと断定できるのかな? それこそ、机の中にでもないと、誰でも偽装はできるよね」

 ぐうの音も出ないほどの正論。だが、それは一般論だ。主観者は俺だ。

「元も子もないが、晴貴は今朝仲良くなったばかりなんだ。いくらあの馬鹿な陽ky……陽気な男だって、初対面に等しい人間に対して、そんな事するだろうか?」

「なんか私怨味を感じたけど、スルーしてあげよう。でも、『馬鹿な』を、『行動パターンが読めない』と言い換えてみたら、どうだろう。いきなり翔馬のズボンを奪って、『藤岡先生の机』と書いた紙をバスケのゴールに入れても、『行動パターンが読めないんだから、そんな行動をしても妥当だ』ってならない?」

 それに初対面の人の前でズボン脱ぐヤツのほうがヤバいでしょ。美緒は変わり果てた俺から、少し距離を取った。


 女子から距離を取られるのにはすっかり慣れている俺は、特に、別に、全然、全く傷つくことなく、美緒が先程指摘した、机の側面をまさぐる。

側面とは言っても、まさか露出した方ではなく、机と机の間の方だから、手を精一杯突っ込み、手探りで探す。

 

 今にも攣りそうな手が、磁石で貼られた紙に触れる。

 「あった」

 第二の紙。兎にも角にもこれで、一連の凶行が藤岡の計画か、それとも晴貴のものかがわかる。


 俺はなんとかして修学旅行の日までに友達を作らねばならない。

 流石に約一週間誰とも話すことなく過ごすなんて無理! 

 

 そうは意気込んだものの、仲良くなったと勘違いしていた朝山には嫌われ、晴貴は俺の制服専門の泥棒と来た。

 そして今朝出会った、三人目のクラスメイト、正確には元クラスメイトの、神楽陽菜。


 俺の人生がライトノベルなら、晴貴枠が女子で、この三人+俺でまったり的日常が始まっていたかもしれないのに。

 この際ラブコメなんて期待しない。女の子しか出てこないアニメのような、恋愛とは無縁の、まったりした人生でいい。


 まったりか。ころころと、求めるものが変わってしまうな。違う違う。

 

 非日常的日常を求め、背伸びして偏差値の高い中高一貫校に入った。

 エロ本を買った。

 朝山と出会った。

 あの日はエロ本は買えなかった。

 拓人の事件を終わらせた。

 エロ本を買った。

 占い師の婆さん、橘蓮華の過去に触れた。

 エロ本は売ってもらえなかった。

 その日が初対面の奴に制服の上下をパクられた。目の前でズボンを脱いだ。

 恩師にして動画投稿仲間の藤岡の、計画に取り込まれた(かもしれない)。

 そして今、幼馴染と再開した。

 

 こうして並べてみると、なかなか薄い日常だ。中学時代の俺が見たら、なんとつまらない人生だと呆れ返るだろう。

 だが、これらは大体、エロ本以外はすべて、ここ数週間で始まったことだ。

 これからでも遅くない。俺は、進むんだ。

 

 紙を取り出し、屈んでいた体を起こす。

 やっとこさ距離を戻してくれた美緒にそれを示す。

 なんとなく見上げた空は、青空。雲がまあまあ多く、快晴とは言い難いが、それでも、俺にとっては快晴。


 俺は進む。がむしゃらにでも、泥臭くても、惨めでも、自分で自分がわからなくなっても。それでも、進む。

 あの空に、そして中学の俺に恥じない様に。

 

 俺は、紙を開く。

 

 


 


 

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