最低最悪の毎日の、最高最良の一日⑤

 「十八歳です。俺は、十八歳なのです」

俺は片言気味に、そう繰り返す。心の臓は速く鼓動し、手は仕切りなしに震える。外見からして年齢は俺とそう変わらないであろう少女から目をそらさぬようにと、必死に目を開く。

 逃げ出したい。一刻も早く逃げ出したい。

 晴貴は今どんな顔をしているのだろうか。他の客は。最高に、いや最悪に気まずい。

 「いや君、さっきまで制服、着てたよね?」

 見られていた……!

「コスプレです」

「いや無理あるって。校章も見えたよ? 君河内原の生徒なんだ、アタマ良いんだね」

「卒業生です」

「まさかぁ。河内原の学年カラーって歴代で被らないから、そんな事ないと思うんだけどなぁ。君の学年は山鳩色なんだね。渋いねぇ」

「……転売です」

「まあ、誰でも性欲はあるわけだし、気にすんなって、少年」

「あなた、何者なんですか? やたら河内原に詳しいようですが」

「私? ……あー、私はねぇ」

 都落ちした生徒だよ。彼女はそう言った。


 都落ち。それは河内原では退学することを指す。なんとも悪趣味な意味で使われている言葉だ。

 俺の学年カラーを知っているということは、年齢はプラマイ1といったところだろうか。

「私は君のクラスメイトだったんだよ。しかも今年の八月までね」

「うそん」

 これ以上は他の客に迷惑ということで、俺は彼女、神楽陽菜かぐらひなは、連絡先を交換だけして、コンビニを去った。エロ本は買わせてもらえなかった。

 店の外で晴貴が待ってくれていると思ったが、跡形もなかった。全く落胆していないと言えばそれは嘘になるが、出会って数十分のクラスメイトにそこまで要求するのも酷なことだし、彼に不満を垂れるのはやめておく。

 スマホを開くと、ちょうど授業が終わる頃には学校に着くくらいの、いい時間帯になっていた。

 走ればだけど。


 冬の空は、灰色になりがちで、あまり好きではない。

 冬になる前の、それは秋晴れとも形容される空は、より一層尊いもののように思えて、自然と顔がほころんでくる。

 俺は走り出す。メロスさながら、一生懸命に。

 ソメヤンティウスと会合することはないが、それでも走る、走る。


 その後は何者にも妨げられることはなく、俺は学校に着いた。とりあえず一安心――と言いたいところだったのだが、ここで問題発生。

 二次元目は体育。そして、他のクラスメイトはすでに着替えを済ませ外に行っている。

 そしてさらに、体育担当はザ・体育会系の山下。

 新聞掲載パワーでなんとかなるだろうか。

 何を隠そう、俺はとある事件を解決し、新聞に載ったことがあるのだ。それにあやかりたい。

 いけるな。きっと。

 希望的観測の外し具合には一家言あるが、流石にこれまでの傾向からして大丈夫に違いなかろう。

 とはいえ急いだ演出はしていこうとのことで、シャツ出し・ズボン後ろ前で、俺は校庭へと走った。

 

 結果から先に言うと、俺は怒られることなく体育の授業を通過できた。

 山下に「また事件か?」と、やたらワクワクした声で聞かれたから、「解決して落ち着いたら、話します」と、緊迫した表情を作って答えておいた。

 最後に授業に参加したから、パートナー決めで気まずくならなくて助かった。

 

 ここで安心してしまった四十分前の俺を、俺は恨めしく思う。

 

 先程は事件を偽創したものの、今度は本当の事件だ。

「制服、晴貴に預けたままだ……」

 コンビニで例の本を買う際、謎に誇らしげな表情とともに、晴貴が羽織ったままである。

 体育が終わり、十分休み。教室の前方で集まって着替えている男子の方を、控えめに覗く。

 …………?

 …………………。

 …………………………?!

 いねえええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!?!?!?!?!?!?

 何で? あいつ体育好きだろ(偏見)!? どうしていねえんだよ!

 まずいまずいまずい。俺の席の周りが恰幅の良い男たちで囲まれているとはいえ、流石にバレるに決まってる。真面目生徒にしか興味がない教師陣とはいえ、制服を着用していない生徒に対して、何も触れないなんてことはないだろう。

 「堀内、そろそろ女子来るぞ」

「あ、うん」

 まだ名前を知らない男子に急かされ、俺は急いで小気味よい店舗で振り回していたパンツを履く。

 なんて、つまらない叙述トリックを挟んでいる暇なんてない。

 俺は急いでTシャツを着、廊下に教師がいないことを確認して女子の群れに突っ込む。

 自然と群れが二分され、そこには朝山だけが残る。

 「朝山! 晴貴知らない?」

「わあ! ……びっくりさせないでよ、堀内君。え〜と、川越君? ごめん、わかんないや」

「どうしたんだよ、そんな、話し方を急に変えたりなんかして」

 俺は周囲の女子たちの刺すような視線に耐えきれず、朝山にいつも通りに接することを促す。

「五月蠅い」

 朝山は俺に凄む。

「すみませんでした」


 なるほどね。仲良くしてるとこ見られたくないんだ。霧嶋、だっけか? あの青春ラブコメしてた彼氏にね。


 「うわああああああああああん!」

 

 俺は泣き叫びながら廊下を越え教室棟を越え美術準備室へ逃げ込む。

 もうやだ。年齢確認には引っかかるし、制服は借りパク(いや、そもそも貸してないぞ)されるし。朝山には彼氏いるし! こんなメンタルで授業なんか受けても受けなくても評価は同じさ!

 「藤岡ぁ〜」

俺はなんとも情けない声で準備室の引き戸を開ける。

 「何してんだお前。授業始まるぞ」

そう言って藤岡は美術室へとつながるドアを開けて美術室に行った。

 

 神は死んだ。

 

 景気づけに茶でもしばこうと思い、とりあえず中に這入る。

 「あれ、翔馬じゃん。何してんの?」

(俺の)学ランはボタンを外し、ネクタイをつけていないヨレヨレのシャツ、足首が見えたスラックス、口にはコンビニで買ったのであろう飴玉。

 何を隠そう我が親友、川越晴貴その人である。




        「ほにゃあ」


 

 人間は案外、本当に驚いたとき、馬鹿みたいな声しか出ない。




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