最低最悪の毎日の、最高最良な一日②

 「くあ〜!! やっぱ酒はこれに限るな! いつもの発泡酒じゃ物足りなくなってたんだよ」

 

 橘蓮華は、酔っ払っていた。

 その手には日本酒の一升瓶。ラッパ飲みをしている。


 「へ……?」

「どうしたぃクソガキ。アンタ、学校は良いのかい」

「婆さん……殺されたんじゃ……? もしかして、亡霊?」

「なに言ってんだい? 残暑で頭がやられたのかい」

「え? でも」

 俺は婆さんの両脇に佇む二人の黒スーツの男を一瞥、正確にはニ瞥して言う。

「暗殺者……」

「同僚」

「口封じ……」

「決起集会」

「マジかよ?!」

「大マジ」

 顎が外れそうだ。この婆さん、何をするつもりなんだ。

「でも婆さん、経理だったんだろ?」

「うちの事務所は経理とかの職名は名ばかりで、みんな一丸となって仕事に取り掛かるのさ」

「とても素敵な社風ですね!」


 婆さんは一気に酒を煽る。

 というわけにもいかず、ゆっくりと、それを飲み干す。

 こころなしか、婆さんは少し若返ったように見えた。

「おい、クソガキ」

「何だよ」

「当分ワシは街を出る。だから泣きつきに来ても、好きな女の情報を仕入れに来ても、無駄だからな」

 

 思わず、「俺にできることは」などと口走りそうになった。

 が、踏みとどまった。


 俺は、所詮一介の高校生で、大人と比べてできることは、まだまだ少ない。

 できないことは、恥ずべきことじゃない。だが、できないことを、できると言う、知った口を聞くことは、恥だ。やっちゃいけないこと、逆効果だ。

 

 それに、また、今回は前よりはもっと深い『非日常』に足を踏み入れてしまう気がした。

 それが、怖かった。


 俺は、橘蓮華を知らない。

 横の男も、かつての所長も、怪人も。


 俺は、これから、他人と関わるという重大な任務に取り掛かるつもりでいた。

 それが、俺が体験できる精一杯の『非日常』だと思っていた。

 世界はどうやら、俺が思っていたよりももっと広いらしい。


 「じゃあな婆さん。達者でな」

「ああ。アンタもな」


 俺は橘蓮華じゃないし、橘蓮華は堀内翔馬ではない。

 結局は他人。しかも、別の水域、淡水と海水のように、一見同じようだが、実際違うところに住む魚。

 下手に足を踏み入れるものではない。

 下手に関わるべきではない。

 

 別れの言葉は、それで十分だ。





 今から学校へと走ったら、染谷の授業が終わる頃には着く。

 流石に何コマも授業をサボってしまうと後々後悔することになりそうなので、気は進まないが走ることにした。

「しっかしなあ……」

 俺はそうつぶやく。

 あの婆さん、ただの変な婆さんじゃなかったんだな。

 

 

 人の数だけ、人生、言い換えると、物語がある。そのジャンルは、本と同様、喜劇から悲劇まで様々――と言いたいところであるが、そうはいかないのが、人生の醍醐味と言える。良く言えば色んなジャンルを楽しめる物語。悪く言えば、ぐちゃぐちゃだったり、暗いシーンばっかりで、目をそらしたくなるような物語。

 

 俺の物語の一章、高校生編はどんな完結を迎えることになるのだろうか。


 俺は俺のことを、ということで、とんでもなく長い間が空いた気もするが、俺は通学路をひたすら走る。朝山はもうずっと前に着いているはずだ。俺を心配しているに違いない。


 希望的観測が捨てきれず、念の為時計を確認する。

 一限が始まって、二十分が経っていた。

終末おわった……」

 アポカリプスである。アポトーシスとも言える。

 以前とある生徒――名前は、確か川越晴貴かわごえはるき――が十分ほど遅刻して教室に入ったときの染谷の怒号ときたら。演劇部顔負けの、鼓膜がビリビリとなるほどの声量だった。あれを間近で食らうのは御免だ。

 となると、成績を犠牲にして二時限目から参加するほかないのだが、それも俺にはありえない。

 というか、その選択肢がありえない。

 ついうっかり寝てしまう、おっちょこちょいな俺もいたもんだ。今のところ留年にはまだ余裕がある(他の人から見たらヤバいらしい。藤岡は目を剝いてた)程度の成績ではあるが、あの厳しい古典教師・染谷だ。減点がどれだけ為されるかわからない。

 怒られるにしても、出るしかない。

 

 怒られるとわかっていて行く道ほど、足取りが重くなるものはない。

 帰りたいが、「お友だち大作戦」もあるので、走る。

 

 放送部→帰宅部の俺がよくそんなに走れるなと思う人もいるだろう。

 そう、俺はものの数分でバテて、今歩いている。

 一限が終わるまで、残り二十五分。

 

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