健康で文化的な最低限度の毎日の、不摂生で退廃的な不十分な毎日

 「いやあ、まさかこんな近いところに、同士がいたとはなぁ」

「だーかーらー、聞けよ、人の話を。アンタを待ち伏せしてたら、いかがわしい本を買おうとしてるときてる。登校前だぞ? お前は今制服を着ているんだぞ?」

「安心しろ。この下はTシャツだ」

「アンタは良くても、店に迷惑がかかるでしょ? わかる?」

「なんかそういうのあったな、そういえば」

「制服がヤバいって知ってるくらいならそれも知っときなさいよ」

「この店が潰れたら本末転倒だもんな。エロ本が買えなくなる」

「買うなよ」

「というか、待ち伏せ? そこまで俺のことが」

「黙れよ」

「すみませんでした」

 朝山は、わざと聞かせるように深い溜め息をつき、続ける。

 ここで、『吐息、いい匂いだね』などと口走ったら俺の命はないことはわかっているので、何も言うまい。

「嗚呼」

「なに、『嗚呼』って」

「いや、エロ本買いに来て良かったなって」

「良いわけねえだろ。犯罪だぞ」

「お前ってどんどん口悪くなってない? 俺の気の所為?」

「お前の所為。……アンタ待ち伏せしたことについては、忘れて」

「なんでだよ! 俺を裏切るっていうのか、同士よ!」

「だから違うっての」

 朝山は再度、ため息を付く。今度は何も言わない。登校時間まで残り二十分。ここから学校までは、十五分程。あまり悠長にはしていられない。歩きながら話そうって言っても、朝山は断るだろう。やれやれ、嫌われたもんだ。

 原因は自明の理だから、どうにか名誉(?)挽回にまで持っていきたい。この五分間で。

 「――昨日のラインは、悪かったな。アレでも和ませようとしたつもりだったんだ」

「やっと賢者タイムか。今日は長かったな」

「シチュがシチュだからな。……この場所で話すのもなんだ、別のコーナーに移ろう」

「いや、時間ないし、歩きながらで」

「……いいのか?」

「この際仕方がないよ。……でもなー、私、うっちーのために動くつもりだったんだけど、そんな気分じゃなくなっちゃったなー」

「朝山さん! いや朝山様! 頼むよ!」


 俺は朝山が態度を戻してくれたので、自動的におちゃらけてしまったが、おちゃらけて大変腹が立つ顔で顔面の前で両手を合わせてしまったが、そんな場合ではないのだ。


 修学旅行は、良くも悪くも、人間関係が大きく変化する。

 その理由は簡単。学校では見られない、他者の一面というものを、否応なしに見ることになるからだ。

 それは俺にとっても例外ではない。多少は社交的にならないと、後々がきついのだ。

 打算で人と関わる、というのもいただけないが、友達と呼べる人間が学校にいないというのは受験生にはかなりのハンデとなるため、最低でも一人二人は作っておかなければならないのだ。

 その協力を、俺は朝山に申し入れたわけである。

 もっとも、「動画投稿の協力のお礼に頼む」と言ったら、朝山は俺の申し出を受けるしかなくなるのだが、そういったやり方は好きではないので、俺のときの朝山のように朝山の弱みは握れず、逆に更に握られたわけだが、とにかく、俺は頼みに頼むしかない。俺は朝山の従者になる覚悟だ。

 

 「ラブコメでさ」

 唐突に、朝山の口から、そんな言葉が出てきた。

 流石の俺も(どこが?)面食らい、その言葉をオウム返しする。

「ラブコメ」

「うん、ラブコメ」

「ラブコメか……。そっか……。俺はラブコメにはうるさいぜ」

「別にうっちーと議論するつもりはないんだけどさ。例として使いたいだけ」

「例?」

「うん。ラノベとか、恋愛系でよくあると思うんだけど、っていうか、私最近ドラマしか見てないから、違ってたらゴメンなんだけどさ。やたら主人公の周りに女の子いるじゃん」

「いるな。あれは全男子の夢だな」

「アレをリアルでやろうなんて思わないでよね」

「  」

「そんな意気消沈しないで、前向いてこ! ……ほら、男子ってよく集まるじゃん。だから、一人でも男の子の友達作ったら芋づる式でいけるって!」

「例えば?」

「例えば、とは?」

 朝山は首を傾げる。これが、今までの人生で常に友達がいた人間の振る舞いか。彼女に悪気はないのだろうし、可愛いのだが、刺さる。これはいかがわしい意味ではなく、真っ当な意味で。

 「誰と、仲良くなれば……」

「それはうっちーが決めることだよ。……大丈夫! 人生ノリでなんとかなる! 私が太鼓判とうっちーの背中を押してあげるから! 頑張れ!」

「ノリ、か。……まあ、駄目で元々だしな。ありがとう、朝山。俺、頑張ってみるよ」

 

 そうして俺は顔を上げ、朝山がいる方を見たが、そこに彼女の姿はなかった。少し焦って視線を先に送ると、走っていく朝山の姿。

「ううううっち――――!!!! 急げ――――!!!!! ホームルームま」

 そこから先は、近くの線路を通り過ぎていった電車の音にかき消され、聞き取ることはできないまま、彼女の姿は見えなくなってしまった。

 スマホを取り出し、ロック画面を表示させる。

時刻は八時十分。

 ホームルーム開始時刻まで残り五分。

 学校までかかる時間を逆算する。

 歩いていたら、ホームルームが終わって一限になるギリギリに着く。

 今日の一限目は―――

 

 古典。


 教師、染谷(例の教頭先生)。


 

 「うおおおおおおおおお!!!!!!」


 青春を連想させる空の下、ただただ青い俺は、ひたすら、無我夢中に、学校への道を走った。

 

 東京の人の回避スキル、やべえ。

 

 




 

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