冷静沈着に生きる毎日の、とても興奮した一日

 結局、その週の平日と土日の夜を費やし、地獄の出演者決定作業は終わった。今丁度メールを送ったところだから、来週中には撮り始められるだろう。

 季節は冬にさしかかった十一月の五日。時計の針は、深夜三時を指していた。

 

 来週から、やっとこさ以前の作業を再開させられる。

 日常を取り戻せる。



 夜が、好きだ。

 都会の喧騒も落ち着き、人がすべて死に絶えたような錯覚に陥る。

 この時間だけだ。自分に、自分だけに向き合えるのは。

 

 いつからだろうか。勉強が、"楽しい"ものから、"やらなければならない"ものへと変わったのは。


 友達と同じところにしていれば、今頃、俺は…。

 

 やめだやめだ。たられば言っていても、どうにもならない。これは俺が選んだ道だ。


 "たられば"、か。

 朝山がこの言葉を聞いたら、『なにそれ、おいしそー!』とか、馬鹿なこと言いそうだな。

 俺は、一人の時間にもかかわらず、ついほくそ笑む。

 「俺の中で、朝山はもう他人じゃなくなってしまった。

 だが、この感情に名前をつけるにはまだ早い。

 名前をつけられる日が来るのかも、わからない。

 それでもいいじゃないか。

 その日々が、その思いが、紡がれて、糸となって、積み重なって、折り重なって、そして。」

 

 そしてターバンになるのだから。

 

 …なんだこれ?

 いつから俺はナマステ系ラブコメの主人公になった?!

 違う違う。

 俺は青春偶像劇の主人公だ。

 自分で自分を主人公というのもおこがましい。

 俺はどこまでも、モブなのだ。

 

 危険な発言が多かった気がする。

 深夜テンションって怖い。

 

 布団にダイブ!そしておやすみ!




 


 高校二年生。

 多くの高校で、修学旅行が行われる歳だ。

 それはもれなく、河内原学園もである。

 

 何を隠そう、この俺、堀内翔馬は、修学旅行を明日に控えたこの日まで、その存在を忘れていたのである。

 

 忘れていたのである!!!!!(ドドン!という効果音)


 

 なんて、ある意味主人公らしいイベントも、俺には起こるはずもなく、空を見上げ、都会人のスルースキルに感動しながら登校した俺は、ホームルームにて、来月の十二月、修学旅行があることを、担任から知らされた。


 修学旅行。陰キャの敵だ。

 陰キャにとって、修学旅行の班決めとは、想像を絶するハイリスク・ハイリターンの博打場と化す。


 ということを、俺は去年の親睦会で知った。

 あの日のことは、三泊四日間一言も発せなかったあの日のことは、二度と思い出したくはない。

 俺は意を決し、ホームルームが終わるやいなや、担任のところへ向かった。


 担任は珍しいものを見る目で、俺を見て言った。

 「…おお、堀内、何か用か?」

 誰が二年S組のLRだよ。

 

 「先生。修学旅行、独りで回っていいですか」

 


 修学旅行。

 それは、十三日の金曜日よりも、恐ろしいイベントやもしれん。

 突如降って湧いた非日常に、馬鹿な人間は浮かれ立ち、告白とかしてそっから付き合ったりして…クソクソクソ。考えちゃ駄目だ。考えちゃ駄目だ。

 俺は…。

 俺は?

 

 授業が全て終わり、ホームルームで、担任が、『明後日班決めを行う』と言っていた。

 よし、明日休もう。

 屈辱に耐えるより、家でお勉強していたほうが、よっぽど、ためになるよね。


 どうして、こうなっちゃったかなあ。

 中学の時は、友達いたのになあ。

 

 時々かつての友達を、町中で見ることがある。

 たいてい誰か知らない男か女かと一緒にいて、楽しそうにしている。

 俺はそれを見るたび、胸がズキッとする。


 どうしようもなく、泣きたくなってきた。

 藤岡に茶でも飲ませてもらおう。あの、とびっきりやっすいお茶を。







 「大分、拗らせてるな」

 美術準備室で、藤岡は俺に言った。

 「仕方ねぇだろ。中学までは割と友達いる方だったのに…こんなことってあるかよ?!やってられるかチクショー!!」

 「やけ酒ならぬ、やけ茶だな。火傷するから、やめておけ」

 「この痛みが俺を強くする」

 「わかったわかった」

 

 不定期的に押し寄せてくる、人生の選択を誤ったことへの後悔の波。うっかりしていると足を取られてさらわれて、二度と戻ってこれない。

 

 戻ってこれない。

 どこに?

 戻るも何も、この高校に俺の居場所はここしかない。それも、藤岡が仕事をやめさせられるまで。

 来年以降は、俺はどうすれば良いのだろうか。

 朝山とも、全く会話をしていない。

 あの非日常を、一時の青春ぽさを、未練がましく思い続ける俺は、傍から見て相当気持ち悪いと思う。

 友達、ましてや恋人もいない俺。お先真っ暗だ。

 この先どうすればいいんだ?将来に希望が持てない現状でこの先、どう生きろと?

 うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 


 パン。

 藤岡が両手を叩いて、俺を正気に戻してくれた。

 「落ち着け。悲観していても、なんにもならないだろう?まずは、行動だ」

 「でも」

 「でもじゃない。やるんだ」

 「どうしようもないだろう?!クラスメイトは他人に迷惑かけるタイプの馬鹿か協調性のない馬鹿真面目に二分されてるんだ!どっちも嫌いだ!」

 「……。なんで、特進クラスなんかに入っちゃったかねぇ……。」

 藤岡は困った顔をする。

 「一年の時、成績良かったし、二年次から三年次のクラス替えがないから、周りの人間がごっそり変わるストレスが無くなるし」

 「だが、ここまで自分が周りの人間に拒絶反応を示すとは思わなかった、と」

 「…うん」

 

 なんだかいたたまれねぇなあ。そう言って藤岡はため息を付いた。

 欠伸のように、連鎖して俺もため息を付く。


 「もういっそ、学校を変えたらどうだ?」

 「…革命でも起こせってのか?」

 「そうじゃない。転校とか、それかいっそ、高校やめて、働くとか」

 「『Analyze』で食ってけるかな」

 「現状だと厳しいな。俺の見立てだと、今後一年の頑張り具合で決まるな」

 「そんなに待てねぇよ…」

 「"Fuji's secret base《俺のチャンネル》"を超えたいと意気込んで、同じ土俵『Cartooner』で投稿してみたはいいものの、伸びなくて動揺してんだろ?」

 「バレてたのか…」

 「それ以外に、あの過疎サイトでする意味が思いつかねえからな」

 「それもそうだ」

 「もう、俺もいなくなるんだ。俺の背中を追いかけるのは、もうやめたほうが良い。俺の背中は、とっくの昔に縮小されちまったんだ」

 「それはごめんだね」

 藤岡は、少し嬉しそうな顔をしたが、その中に微量の悲しみが見えた気がした。

 「そう言ってくれるのは、嬉しい限りだがな。……今の時代、学生でも、有名人になれる。世界とは言わなくても、クラスに『Analyze』のことをバラしてみたらどうだ?」

 「それは無理だ」

 「じゃあ、それ以外に話すきっかけでもあるのか?朝山、だっけ。その娘、『Analyze』のファンなんだろ?」

 「そうだけど」

 「なら話さない手はないじゃねぇか」

 「それは、そうだけど……。でも、なんか違う気がするんだ」

 藤岡は、少し嬉しそうに、フンと鼻を鳴らした。

 「……兎に角、修学旅行までに、話せる人脈は作っておけ。三泊四日だろ?その間孤独はきついぞ」

 「五泊六日だ。……人脈ねぇ。まあ、頑張ってみるよ」

 「おう」

 「……そういや、学校辞めたあとも、『Analyze』、手伝ってくれるよな?」

 「………どうだかねぇ。俺の家はこっから遠いんだ」

 「そっか……」

 「そんな顔をするな。たまにはこさせてやるよ」

 「……うん」

 「いや~しかし、あれだな。翔馬が修学旅行となると、その間に俺が動画データを受け取って、編集もしないといけないわけか」

 「編集は旅行先でもできる」

 「やめとけ。昔修学旅行の引率をしたことがあるが、ホテルに戻ってからは疲れがどっと出て、何もする気になれなかった」

 「歳じゃなくて?」

 「学生でも、だ」

 「……投稿を遅らせよう」

 「翔馬、お前俺を信用してないな?」

 「………ああ」

 「あのなあ。俺は一時代を築いた動画投稿者だぞ?」

 「でも前だめだったじゃん」

 「いいか、俺達の仕事は、常に挫折が伴う。一生懸命考えたネタでも、コメント欄ではつまらないだの昔のほうが良かっただのボロクソに言われる。そんな世界に、俺達はいるんだ。一回駄目だったくらいでへこたれてたら、そこでそのクリエイターは終わりだ。代わりはいくらでもいるからな。だが、諦めなかったらどうだ?いつか、世界をあっと驚かせるすげえコンテンツを生み出せるかもしれない。いいか?俺達は、"クリエイター"なんだ」

 「そう…か…。そう…だな。」

 「納得してもらえたようだな」

 「編集ソフトの使い方を教える。しっかり見ててくれ」

 「ああ」


 


 帰宅を促す放送の余韻が消えてからさらに十五分がたったころ、やっとこさ藤岡は編集ソフトの全貌を理解してくれた。これで、修学旅行中の、『Analyze』の活動についての懸念は何一つない。


 

 あとは、俺だけ。

 


 すっかり暗くなってしまった空。

 『空』と聞いてこの状態の空を思い浮かべる人は、そうそういないと思う。

 暗いとは言っても、見にくいが、雲も見える。しっかり、白い。月が雲で見え隠れしている。

 満月まで、あと六日くらいだろうか。


 高校に入りたての頃、藤岡と『Analyze』を立ち上げる前、完全に孤独だった時。

 孤独を埋めるために学校で読む本を買いに行き、読むのが待ちきれずページを開いてみれば、それは青春モノだった。

 表紙買いをする読書家にはよくある現象だ。

 

 悔しさで涙が溢れてくる。

 頬に涙が流れる感触が気持ち悪くて、上を向く。

 空は暗黒だった。

 煌々と輝く東京。輝かしい未来。楽しい高校生活。それら全てと、対照的な色。

 自分の人生を暗示しているようで、さらに涙を誘った。


 悔しかった。自分が、適当な判断をした自分が、許せなかった。嫌いだった。憎かった。


 



 果たして、あの頃の俺と、何が変わったのだろう。

 藤岡のお陰で、ネットの世界には居場所が―いや、違うか。

 それはあくまで"『Analyze』の管理人"としての立場であって、"堀内翔馬"としての居場所ではない。


 


 

     「………作るか、人脈」

 

 


 

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