理路整然とした毎日の、ごたごたした一日
おもちゃで遊んだあとは後片付けをするように、自炊をしたら皿を洗うように、事件が起こったら、その事後処理を行わなければならない。
とは言っても俺はまだ未成年で、事件の当事者、もはや発端とも言えなくもないが、定期的な事情聴取をする口約束だけで、その役は免れたのである。
口約束も、契約だという。俺は拓人、根津拓人との約束を果たせなかった。後悔してもしきれない。約束を破ってまで来た学校に満足していないどころか、不満たらたらなのが、救いようのない。
一年半まえと一繋がりになっていた今回の事件は、俺の心に、少なくとも、安全ピンで引っ掻いたくらいの傷跡は残ったのである。
非日常の後に来るのは、つまらない日常だ。
つまらないほうが平和で結構なのだが、むしろそうでないと困るのだが、それがたった数日間だけでも、非日常を知ってしまったら、元の生活に戻るのは難儀だ。
今日も今日とて、思考の海を泳ぎながら学校へ向かう。
教室に着き、スライドドアを開ける。
「お!本日の主役のお出ましだ!」
「堀内君!テレビ見たよ!格好良かった!」
「事件解決とか…やるじゃん、うっちー」
「朝山…」
「そんなうっちーのことが…ワタシ…好きだよ」
「朝山ぁ…」
今日の思考の海は大荒れだった。
やっべえ妄想が止まんねぇ。このままだと入籍してしまうぞ。脳内で。人生設計が歯止めなく進んでいく。あああもう壮年期まで進んでしまった。ちょっと待てよ俺って計画立ての才能あるんじゃねぇか?そりゃそうか『Analyze』運営してるんだし当然だいやそれにしても告白まではいかなくても『格好良かった』くらいは言ってもらえるんじゃないかだって多分新聞に載ったくらいだしニュースにもなるかもインタビュートカモアルカナコマッタナイッチョウラモッテナイヤナニキヨウカナイマノウチニフクカイニイッタホウガイイノカナイヤーマイッタナァ。
「みてよゆりっぺ。あの子一人でニヤけてるよ」
「見ないであげなさい。彼は"そういう歳"よ」
「流石ゆりっぺ。総てを知り尽くした外界に降臨せし天使」
「うむ、くるしゅうないぞ」
ぐっ…。
少し、少しだけ浮かれてしまったようだ。
てか、誰だよゆりっぺ。
落ち着け、俺。普段のクールキャラを遵守するんだ。
学校に着き、今度こそ本当に教室のスライドドアを開ける。
事情聴取を始めとした事後処理で一日開けている。その間、事件はニュースにもなったし、新聞にも載った。このコンボ。人気者確定演出。そうに違いない。
クラスメイトからの祝福はなかった。
まあ、そりゃあそうだよな。
俺はクラスメイトとの関わりを頑なに避けてきた。それに彼ら―受験を諦めた生徒以外のクラスメイトは、受験勉強をすでに始めている。他人にかまっている暇なんて、無いんだろう。最早、俺の存在すら、忘れているかもしれないのだ。
分かりきっていたことではあるけれども、それでも、悲しくはなった。
自分の席に近づくと、何やら机に紙が置いてある。
このやけに角張った特徴的な文字は、藤岡だ。
『何やら面倒事に巻き込まれたようだな。特別に今日は昔話でもしてやろう。昼休み、美術準備室まで来い。』
藤岡…。すき…。
紙を持ち上げて、何度も文字を読み返しながら感動していると、その下にあったもう一枚の紙の存在に気づいた。
差出人は不明だ。だが、俺にはわかる。
けっしてうまいとは言えない文字で大きく、『お つ か れ』と書いてある。俺は我慢できず差出人の方を見る。
朝山は、陽キャAこと霧嶋と、何やら熱心に話し込んでいた。
あー、はいはい。こっちが本当の人生設計ね、うん。
昂った気持ちが急激に冷めていくのがわかる。
朝山が俺の射すような視線に気付いたが、霧嶋に気付かれたくないのだろう。速攻でそっぽを、正確にはクソ霧嶋の方を向いてしまった。
今日は感情の振れ幅がすごいな。これで発電できるんじゃないだろうか。
普段通り席に突っ伏し、寝ているふりをしながら、朝山の尻を視覚で堪能する。俺にはそんな資格ないってか?クソクソクソ。なんてクソな人生だ。
!
霧嶋にバレないように、朝山は、腕は下げたまま、こっそりと、俺にピースサインを送ってくれた。
なんて素晴らしい人生かな。
なんでこっそり、バレないように尻を見ていたのに、朝山がサインをくれたのかはともかく、その日はルンルン気分で授業を受ける《睡眠を取る》ことができた。
昼休み。
弁当を食う時間も惜しく、チャイムが鳴り終わるや否や、俺は早々に、美術準備室へと向かった。
「藤岡!信じてたぞ!」
「はっ。あれしきのことで。単純なやつだな」
「事件解決に貢献したんだぜ?国民栄誉賞ものだろ」
「それでお前が貰えるなら俺は一体何回貰えているんだろうな」
「ぐぅ」
「…まあ、お前はよくやったよ。お疲れ」
藤岡は俺にペットボトルのジュースを投げ渡す。
ポルピスクォーター。俺が一番好きな飲み物だ。
「ありがとう」
俺は素直に感謝の言葉を告げる。
「…なんだ?普段はそんなこと言わねぇのに」
「いいだろ、別に」
「"昔の自分を思い出した"ってやつか?」
「昔の、自分」
「ああ、そうだ。人間は誰しも、ずっと今の自分であり続ける事はできない。細胞は七日ですべて入れ替わるし、脳も発達したり、またその逆も然りだ。一年前の自分と、今の自分。それらが全くの同一人物だとは、この地球上の人間の誰一人だって、言うことはできまい」
「…なんだか難しいな」
藤岡は続ける。
「俺だって、旧友と会うと、自然に昔の話し方に戻っちまう。身体が覚えているんだろうな」
「そうか…。そう、かもな」
「過去の精算は、出来たようだな。顔を見りゃわかる」
「…俺は顔に出やすいんだ」
俺は、自然に笑っていた。そうか。俺は。思い出せたんだ。そして、取り戻せたんだ。
「…なんだか俺も昔話をしたくなってきたな。翔馬、しばし付き合え」
「おう、のぞむところだ」
藤岡は、動画投稿者時代の話をしてくれた。
主に、修羅場について。
ストーカーが包丁を持って家まで押しかけたこと。
時代にそぐわないような、それはもうガチガチの暴走族数十名に絡まれたこと。
警察とカーチェイスをしたこと。
それは、この世界のどの物語よりも、ハラハラドキドキとさせるものだった。
「すげぇ…それで…?」
「俺はヤツにこう言ってやったのさ。『自分のケツも拭けねぇ奴が、文化人、気取ってんじゃねぇぞ!』ってな!」
「ハッハー!そいつはアイロニーが効いてやがるぜ!こいつは最高だ!」
「ハッハー!」
「ふぅ」
「ふぅ。流石に、話し疲れたな…。さて、翔馬、本題に入ろうか」
藤岡がそう言って顔を上げた時、俺は既に美術準備室を後にしていた。授業開始まで残り二分だったからだ。
しかも次は例の熱血体育教師、山下の授業。
腕時計を見る。
ああ。
俺は立ち止まる。
忙しく進むこの世界の時間に、俺だけが取り残されている感覚がする。
どこからか降って湧いた全能感とともに、それでも俺は、緩慢ながらも、歩みを進める。
山下の授業に遅れたら、それは一秒でも一分でも十五分でも変わらないに決まっている。
どうせ怒られるんだ、それが早まろうが遅くなろうが関係ないさ。
「ちょっと!あなたこの時間に何してるの!」
教頭先生だ。この学校随一の厳しさを誇る教頭先生だ。顔を覚えられたらまずい。
俺はできるだけ顔が見られないようにし、『すみませーん!』と叫びながら教室へと走る。
俺の場合はともかく、遅刻などで、授業に後から参加するという体験を、読者諸君は少なからず一度は体験したことがあるのではないだろうか。
体験したことのない者に告ぐ。あれは体験しないほうが幸せな感覚だから、体験していないことに引け目を感じるだけ無駄だ。ふーん、そうなんだ、というスタンスで読み勧めてほしい。
話を戻そう。
後から参加する際、その授業の先生に一言言わなければならない。
特別な事情でもない限り、小中学校では怒られたりするかもしれない。
とはいってもそれは俺の世代のことだから、今はわからないが。
河内原学園の場合、遅刻で怒られることはない。
クラスメイトに真面目な性格の人間が多いこともあるからだろう。
または、そんな不真面目な生徒に興味はありません、というスタンスを、教師が貫いているからかもしれない。
まるで蠱毒だな。不謹慎かもしれないが、そう思う。天才を作り上げ、その儀式についていけなかったものは、腐るだけだ。
俺は、どのくらい腐ってしまったんだろう。
以前の俺は、腐っていたのだろうか。
受験生時代共に勉強していた友人は、もれなく河内原より偏差値が高い高校に行ってしまった。
そこに行っていれば、俺はもっと幸せだったのかな。
歩いていける距離っていう理由で、選ぶべきじゃなかったのかもしれない。
いかん。またネガティブ。
この手の後悔は、意識的に意識しないようにせねば、どんどん後悔の沼にはまって、抜け出せなくなってしまう。
無理矢理考えるのを止める。
そうしたら、また最悪なことが浮かんできた。
先程、先生は"不真面目な生徒に興味はありません、というスタンスを教師は貫いている"といったが、山下などの一部の教師は例外だ。
山下は一番ひどい例。
あいつに怒られるのはそこまでこたえないが、真面目系クラスメイトから浴びせられる軽蔑の視線と、不真面目系クラスメイトから浴びせられる好奇の視線に耐えられるのだろうか。
視線で焼き切られたりしないだろうか。
胃が痛くなってきた。
結論から言うと、俺は全く怒られることはなかった。
息を切らしながら教室に入ると、丁度山下と目が合った。気まずい。それに、周りの視線が刺さって痛い。
俺は意を決して、教壇に進む。そして、頭を下げ、『遅れてすみません』そう一言言おうとした。
だが、その動作をする機会は潰された。ほかでもない、山下によって。
「あー、いいからいいから」
「え?でも…」
「気にすんな気にすんな。疲れてんだろ?なんなら寝てもいいぞ?」
山下は俺に対して急に馴れ馴れしくなった。何なんだろう。俺は不審に思いながら、やはり東京ばな奈を買っておくべきだったか、などと思案しながら席に向かう。すれ違いざまに、山下が、俺の肩を強い力で叩きながら、囁いた。
「お前、根性あんじゃん」
なるほど。そういうことか。
単純な奴め。
「新聞見たぜ、翔馬。やるじゃねぇか。翔馬お前な、人間ってのは、日頃からの行動力が大事なんだ。勉強漬けのあいつらみたいに、消極的に死人みたいな顔して生きていても、なんにも楽しくない。このこと、忘れんなよ。いやー、自分の生徒がな、しかも翔馬が、あんなことするとはなー、見直したぜ」
そういって俺の背中を強く叩き、山下は俺のスマホを返してくれた。『ほんとはダメだけど、お前も友達に自慢したいだろ?』だとか。
この手の人間は絡みが面倒くさいが、単純明快な思考回路のため御しやすくて助かる。
これで、滞っていた動画の編集が―
そういえば藤岡に頼んでたんだっけ。どうなったんだろう。
八限が終わってすぐ、昨日より早く色づく空を眺めながら、俺は美術準備室へと急ぐ。
もう、このこの学校での生活が半分終わったのか。だがまだ半分ある。ながいなあ。将来が不安だなあ。空が落ちてこないかなあ。
幸い、俺はいつかの放課後のように、美少女と腐れ外道にぶつけられることもなく、ラブコメを見せつけられることもなく、無事に美術室に着いた。
藤岡は、難しそうな顔をしながらパソコンに向かい合っていた。
「何…してんの…?」
「!?―ああ、翔馬か」
「ずいぶんな物言いだな。せっかく本題とやらを聞きに来てやったのに」
「お前聞こえてて無視したのか!?」
「仕方ねぇだろ。授業に遅れそうだったんだ。実際遅れたけど」
「お前もか」
「『お前もか』?!教師がそれやっちゃ一番だめな立場だろ?!」
「仕方ねぇだろ。授業準備ができなかったんだ。お前と話してたせいで」
「呼んだのアンタだろ!」
「むぅ…」
「…一息つこうか、急いで来たから息が続かね…」
「そうだな…」
藤岡が淹れてくれた茶を飲む。
「この緑茶、美味いな。葉っぱ、良いやつ使ってんな」
「お、判るか。そう、何を隠そう、これは、茶の名産地、静岡の―」
「おおっ」
「―静岡にあるスーパーマーケットの―」
「…おお?」
「―都内にある系列店で買った―」
「……」
「一番やっすい茶だ」
「……」
「淹れ方が上手いと、どんな葉でも、それなりにはなる」
「教訓めいてるな」
「お前へのメッセージさ」
「…頭の片隅にでも留めておくよ」
「そりゃ光栄だな」
二人共茶を飲み干したタイミングでティーブレイクはお開きとなり、本題に入ることになった。
「編集、やってみたんだがどうもうまくいかなくてな」
「ま、だいたい予想はしてたよ。当時とは勝手が違うからな。メールは?」
「俺にあの地獄の作業を、独りでやれなんてことは言わないよな?」
「そうだった…」
「勝手だが、応募の締め切りを作らせてもらったぞ。それでもまだ半分しか終わっていない」
「ジャジャーン!」
「お!スマートフォン、返してもらえたんだな」
「山下が単純な人間で良かったよ」
「あとはダメ押しで東京ばな奈やったら懐柔できるな」
「だな!」
この後の大雑把なスケジュールを立て、空も暗くなってきたので、帰ることにした。
学校の課題は多いし、動画投稿の作業もしなければならない。それに。朝山のことも気になる。スマホを没収されていたせいであいつの動画が確認できていなかったから、俺がアドバイスした以降の動画の再生回数を記録して平均を取って伸び率を求めて―
やることは山積みだな。これは当分徹夜コースだ。あの頃のように。
あと一人、強力な助っ人がほしいな。あいつ、そろそろ出てくるんじゃないかな。黒幕も見つかったことだし。
なんて、期待していたら、外れて虚しくなるだけだな。
人生は、常に最悪の場合を想定し、覚悟をして行動する。それが俺の定石。
数日間の非日常が終わった今、始まるのは非日常の間の日常を取り戻す作業だ。
スマホが返ってくるんじゃないかと、抱こうとしてすぐになかったことにした希望が叶ったからだろうか。
憂鬱に包まれた俺の心は、ピョンピョンと、憂鬱の袋ごと跳ねていた。
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