誰もが正しい毎日の、誰もが間違っている一日②

 拓人の様子がおかしくなり始めたのは、九月を過ぎ、部活を完全に引退した頃だった。

 部活を辞めるとどうしても、拓人と話す機会が少なくなった。

 雲の悪いことに、俺と拓人は三年次もクラスは別々だったのだ。

 どんどん会話が少なくなり、ついには廊下ですれ違っても、挨拶さえ交わさなくなった。

 小さな気まずさが、大きな沈黙へと、成長していった。

 

 拓人と久しぶりに話したのは、家からは少し遠い、行きつけの本屋でだった。

 エロ本を見るか見まいか迷い、手を伸ばしたところで丁度人が来たので退散した先に、拓人はいた。

 


 拓人は変わり果てたすがたになっていた。

 もともと休みの日はずっと家にいるような引きこもり体質だったが、それが悪化したらしい。

 拓人のクラスの友人によると、学校にさえ来ていないそうだ。

 以前のキラキラと光り輝いていた瞳は、最早光を吸収しているようで、中肉中背だった体形は、最早肥満の域に達していた。

 顎や腹の肉は垂れ下がり、室内だというのに、まるで炎天下にいるような量の汗をかいていた。

 本がぐしょ濡れだ。

 俺が言えた立場じゃないが、それは商品だぞ。

 だが、何を読んでいるんだろう。咄嗟に距離を取ってしまったから、なにを読んでいるのかわからない。

 

 今思えば、この咄嗟の行動は、本能だったのだろうか。


 取り敢えず話しかけて、聞いてみることにした。

 「おー拓人、久しぶり、なに読んでんの?」みたいな感じに。

 

 「お、おう拓人ヒサシブリ」


 あれー???


 人と話すのこんなに難しかったっけ?

 相手が拓人だからか?

 「……」

 「あぁ、悪い悪い。また思考の世界に入っちまってた。いやー、それにしても久しぶりだな。…なに読んでんの?」

 「関係ないだろ」

 拓人は低い声でそう言い、本をおいてそそくさと本屋の出口へと向かっていった。

 「おい、ちょっと待てよ!拓人!」

 拓人は俺を無視して出口を出る。

 「…ッ!感じ悪いぞ、お前!」

 ドアが閉まる前に言ったから、聞こえていたはずだ。

 拓人になにがあったのだろう。

 なんなんだあいつふざけんなぶん殴ってやりたい。

 …なんだ、これ?

 腹の中に黒い感情が溜まっていく。

 この感情を言葉にしたくなくて、認めたくなくて、俺は無理矢理、拓人のことを考えることをやめた。

 

 来ているか確認しに拓人のクラスに足を運ぶこともなくなり、俺はすっかり拓人のことなど忘れてしまった。

 もうあの人懐っこい顔も、希望に満ちた声色も、忘れてしまった。

 


 




 十一月になった。

 思考回路から拓人に関するものが完全に抜け落ちた俺は、受験勉強で忙しかったが、それなりに楽しい毎日を送っていた。

 

 "抜け落ちた"とは言っても、記憶喪失的なニュアンスではなく、どちらかと言うと、"考えないようにしていた"、もしくは"考えることを拒んだ"といった方がより正確だろう。

 

 本屋で拓人にあったあの日のことは、何故か思い出せなかった。

 まるで俺の脳が、記憶の引き出しに鍵を掛けたように。





 そんな十一月のとある日の放課後。

 俺はいつものように、クラスの仲間と勉強会を開いていた。

 

 拓人と同じ高校に行くのは、やめた。

 あいつ高校いかなそうだし。

 というか行けないかもしれない。

 貴崎は普通に留年とかあるし。

 今までの功績は、自慢じゃないが結構あるけれども。

 うちの学長そこんとこは厳しいからな。


 久しぶりに、拓人のことを思い出していた。


 「―、―、おい、翔馬?」

 「―ああ、ボーとしてた」

 「おいおい、受験まで残り僅かだぞ?」

 「まだ三ヶ月以上あ」

 「『まだ三ヶ月以上ある』なんて言わないよな?いいか?俺達は中学の範囲をあと五週はするんだ!」

 「死んじまう!」

 

 部活を辞めると必然的に暇になり、なんの気無しに本腰を入れてみた勉強。

 どうやら俺は学才があったようで、スルスルと順位は上がっていき、この頃にはテストの順位で一桁台を取っていた。

 そこで、志望校を、家から近くてかつ偏差値の高い、中高一貫校、都立河内原高等学校に変えたのだ。


 「さーてと、やりますか〜」

 「翔馬それ、何回目だよ言うの」

 「そんな言ったか?」

 「ああまるで―」

 

 「おいやべえ!」

 突然教室のドアが乱暴に開けられ、他クラスの友人が入ってきた。

 汗をかいている。それもすごい量。走ってきたのだろうか。

 呼吸が荒い。顔も青い。 

 

 なにかがおかしい。

 俺がかつて思考して、放棄した可能性。

 それを唐突に思い出す。

 まさか。まさか、いや、でも。

 もしかしたら。

 いや、あり得ない。

 流石にそこまで―

 



 俺の人生において、俺がこうなるかもしれないと思ったことで、悪いことは、必ずと言ってもいいほど当たる。

 

 俺はそれを、痛感した。



 「お前の親友―っと…そうだ、根津!根津がヤバそうな装備して暴れてる!服とか血まみれで―ウサギとか殺されてるっぽいから多分その血―それにそれに、ガスガンでガラスとか割りまくってるし!」


 血の気が引くのを感じた。



 あの日、俺が最後に拓人と話した日。

 

 俺が見た本。


 シリアルキラー全集。


 それは残虐非道な犯罪者について、書かれた本だった。

 

 

 

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