誰もが正しい毎日の、誰もが間違っている一日①
俺達は自由だった。
俺達の妨げとなるものは、何もなかった。
俺の名前に込められた意味のように、どこまでも翔んでいけるような、そんな気がしていた。
教室の自席にうずくまって、クラスメイトの楽しそうな会話を聞きながら寝ている時、放課後誰とも遊ぶ約束などせず帰る時、週末、特にやることもなく、ベッドに寝転がっている時。
そんな時、ふと思い出す。
ずっと前のことなのに、昨日のことのように。
いや、それよりももっと鮮明に。
俺はあの日々を、ひたすら無邪気で、無謀で、青臭かった日々を思い出す。
「翔馬、動画投稿のこと、考えてくれたか?」
「…あー、まだ悩んでるんだ」
「嘘」
「なんでわかった?!」
「お前わかりやすいんだよ。語頭が少し開くし、第一目が泳いでる。お前は目をオリンピックにでも出すつもりか?」
「俺そこまでか?!そんなにキョロキョロしてたか?!まるで筒井くんと話すときのお前じゃねぇか!」
「仕方ねぇだろ。陽キャは苦手なんだ」
「お前さあ、陽キャやら陰キャやら、そうやってタグ付けして壁を作るから、どんどん人と話すのが苦手になるんだよ」
「翔馬はいいよな。どんな人間とも話せて」
「良いやつだぜ、クラスの皆。今度こそ、お前も一緒に話そうぜ。また誘ってやっから」
「…話を戻そう」
「お、逃げたな」
「話を!戻そう!」
「はっはっは、わかったわかった」
「…どーせ、いつもの考え事でもしてたってどこだろ、嘘ついた理由」
「お前は何でもお見通しだな、拓人」
「何年親友やってっと思ってんだよ。もう十年くらいか?」
「幼稚園で知り合ってからだから…来年じゃねぇ?祝★十周年は」
「部室でパーティでもするか?」
「…それ、後輩たちはどんな顔してみればいいんだよ」
俺達は笑い合う。
私立貴崎中学校、三年二組の伝説。
それが俺達につけられた仇名。
当時の俺達は、放送部で培ったスキルを活かして、何か大きい事をしようとしていた。
その頃は七月で、本来受験勉強をするべき時期だったのだが、俺達は勉強に関してはからっきしで、『どこでも拓人/翔馬と同じとこに行ければいいや』とだけ考えていた。
実際、進学校なんてもってのほか。
市立さえ怪しいくらい、俺達は勉強以外に没頭していた。
動画投稿という話が出たのは、俺達の代の放送部の卒業制作を、学校の中だけで見せるのはもったいないと、その時たまたまやっていたコンクールに出展したところ、見事金賞を取ったことだった。
俺達はもう、すごく興奮した。
「俺等やばくね?!」「やべえよ翔馬、ガチやべえ」「うぇっひぇっひぇっひえ」「いえっへーい!」なんて具合に、とち狂った会話を素面でするくらいに。
そしてその後、動画投稿を持ちかけられ、その数日後の、冒頭の会話部分に至る。
根津拓人と出会ったのは、中一の頃だ。
席が隣で、当初は緊張感こそあったが、話しているうちに打ち解けてきて、すぐに親友になった。
拓人は、パソコンゲームが好きだそうで、パソコンを触るために、放送部に入ることを決めた。
なんという奴だと、俺は驚いた。
遊ぶために、部活動を選ぶなんて。
ちなみに俺の理由は、家にパソコンが無く、授業で触れるだけでは物足りなかったからだ。
聞こえは拓人と似ているが、あくまで俺は後学のためだ。
…時には楽しく学んだけれども。
放送部は、とにかくハードだった。
部活としての活動はもちろんのこと、学校行事の撮影もしなければならなかった。
それらが重なった時のことは、もう思い出したくない。
一人、また一人と部員は辞めていき、高二になる頃には、俺達二人となっていた。
「どーする?二人きりになっちまったが」
「ああ、そして…」
「被っちまったな…。文化祭と、コンクール」
「文化祭は言うまでもないが、コンクールはうちの部の伝統だ。どちらもするしかないな」
「伝統っつってもよお、拓人。来年部員が来なかったら終わりだぜ?」
「まあな。でもお前ならこういうだろう?」
「「無駄になるかもしれないことでも、やるだけやってみよう」」
俺達は笑い合う。
「おい翔馬、撮影交渉しとけって言ったろ?!」
「いま手が離せないんだ、拓人、頼んだ!」
「もー、お前、しょうがねぇやつだな〜」
一週間後、案の定、俺達は地獄を見ていた。
貴崎中学は、勉強に力を入れている学校というわけではないのだが、それでも学長の意志で、受験のある三年生に配慮する、ということで、比較的忙しくない五月に、文化祭が執り行われる。
その年はゴールデンウィークが明けて、二日後に。
そう、ゴールデンウィークが、俺達の山場だった。
とは言っても、コンクールの作品も同時に作らなければならなかったため、当然のように時間が足りなかった。
ゴールデンウィーク明けの一日目の放課後ギリギリまで残っても、文化祭の分がまだ完成していなかった。
「やっべえガチでやっべえ」
「明日の放課後じゃ終わんねぇよな…翔馬、高跳びしねぇ?」
「なんでこういうの俺達だけなんだよ!この学校漫研あるんだからさ、あいつらに絵とか書かせてそれ写しゃいいじゃん!プロジェクターで!」
「今言ってもどうしようもねぇだろ?てかお前この前言ってたろ?『漫研に行って部長と交渉したけど断られた』って。本当、お前の行動力には感心させられるよ」
「…拓人、俺は覚悟を決めたぞ」
「!…やるんだな…?」
「ああ…!」
「オッケー!じゃあ俺はビリビリペン買うから翔馬はエナドリな!」
「あー!安い方選んだだろ!ビリビリペンもエナドリと同じ量買ってこい!」
「いらねぇ!絶対にそんな数いらねぇ!俺金欠なんだよ。な、頼むよ?」
「…割り勘、な」
「足りるかなぁ…」
拓人は財布を開いて中身を確認する。
「んー…。あー…。あ!あ?あぁ~…。」
「騒がしい奴め」
「そう褒めるなよ。喜べ、ギリ足りる」
「そいつは嬉しい知らせだ。ファンキー÷ファンキーの連載が再開されたというもののようなな」
「…お前ファンファン見てたっけ?」
「見てないけど?」
「そんなんだから漫研の部長と馬が合わないんだよ」
「え?仲いいと思ってたんだけど」
「おっふ」
「めっちゃ似てる!」
最初は盛り上がったオール作業も、流石に深夜三時を過ぎると、無言になってしまう。
ということはなく、俺達はワイワイと騒ぎながら、拓人の家でパソコンに向き合っていた。
具体的には、巷で人気のラブコメについてで、
「青春モノってやたらと校外に出るよな。聖地的なやつでさ」
「ああ、翔馬、知らないのかい?制作者は、校内だけだと物足りないと思ってるのさ。実際恋愛脳の連中は場所を選ばない。というかそもそも"青春"自体が大人が作り出したまがい物で―」
「あーわかったわかった、これ以上は色んな人に怒られそうだからやめよう。さ、作業の再開だ!」
といったふうに。
うちの学長は放送部に目をつけていてくれていて、何かと援助もしてくれていた。
俺が今使っているパソコンもそうだ。
しかもこれがなかなかスペックが良いものと来ている。
数時間連続で使っていても、動作に全く異常がない。
「おい翔馬、あした学校だぜ?やばくね?」
「おいおい拓人、もう今日だぜ」
「あはははは!」
「あは!あはははは!」
深夜テンションだかヤケクソだが見分けも当事者による判別もつかない程の恐ろしく低レベルな会話が、そこにはあった。
その日の俺達の授業態度は、それはもう悲惨なものだった。
俺達は比較的真面目に授業を受けていた(貴崎中学は勉強ができる生徒よりスポーツができる生徒のほうが多く、後者は授業など真面目に受けていなかった)人間だったので、その日、教師の間で激震が起こった。
そのせいかは知らないが、来年の文化祭での仕事は、漫研と共同になった。
案の定、部長が何やら言いがかりをつけてきたのだが、そこは省略する。
文化祭を明日に控えたその日も同様に拓人の家でやろうと思い、昼休み、拓人に声を掛けることにした。
拓人とは別クラスだったので、拓人のクラスへと向かう。
またエナドリ買わないとな。
でもあれ高いんだよなぁ…。
学校から援助でないかな。あの学長ならいけるか?
「しょーうま!」
「ヒャッ!!!!」
「はっはー、また悪い癖が出たな?」
拓人がニヒルに笑う。
「おいてめー!」
「おいおい、俺にそんな口聞いて良いのか?」
「?どういうことだ?」
「前見ろ、俺の教室通り越して突き当りまで歩いてるぞ」
「マジかよ!気づかなかった!」
「もしかしておバカキャラ作ろうとしてる?」
「誰がそんなことするかよ!」
「俺は忠告したからな。それはさておき、何か俺に用でもあったんだろ?なんだ?」
「―ああ、今日なんだけど」
「丁度いい。そのことで俺も話があるんだ」
「奇遇だな。俺もだよ」
「知ってるよ。…大丈夫か?寝不足?」
「へへっ…このくらい屁でもねえぜ…」
「…クマすげえぞ?」
「噓だろ?!朝見た時無かったのに…」
「違う…お前の後ろ…熊…」
「貴崎中学が林間学校だったという叙述トリック?! いや無理があるだろ!」
「だな。実は俺も寝不足」
「睡眠時間二時間か? 俺達」
「正確には一時間半」
「どうする? 今日も同じふうにしたらやばくね?」
「そこでだよ、堀内氏」
「なんだよ、急に改まって」
「拙者、学長に掛け合って、特別に校舎に泊まる許可を得たでござる!」
「なんとwww根津氏wwwアクティブボーイwwwユーアーアクティブボーイwww」
「ガッガッガッガッ」
「あ、引き笑いはやめて?」
「あ、うん」
その日の夜は学長の唐突な参戦もあり、なんとか睡眠時間四時間を獲得できる時間帯に作業が終わった。
文化祭は大盛り上がりだった。
俺達はこの上もなく満足感に満たされていた。
日付が変わり、月が変わり、年が変わり、俺達は三年生になった。
俺達は二人共同じ高校に進学するつもりだったが、二人して頭のほうがあまりよろしくなかった(俺が学年329人中296位で、拓人が315位)ので、本気で受験勉強をしなければならなかった。
部活にはかなり優秀な一年生が入ってきたので、安心して任せられた。
受験勉強は大変だったが、拓人やクラスメイトと放課後に勉強を教え合ったりする毎日は、それなりに楽しかった。
こんな毎日が、受験当日まで続くのだと、漠然と感じていた。
俺の人生において、俺がこうなるかもしれないと思ったことで、悪いことは、必ずと言ってもいいほど当たる。
そう思い始めたのは、この頃からだ。
中三の十一月、俺達の仲を決定的に引き裂く、決定的な事件が起こった。
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