盤根錯節な毎日の、単純明快な一日

 「駄目だ」

 藤岡はそう言って、俺にパソコンを貸すことを断った。

 「なんでだよ?ソフト入れてなかったっけ?」

 「違ェよ。お前にパソコン貸したくないんだよ」

 「…そういうことか」

 「『…そういうことか』じゃねぇよ。何考えたんだ?言ってみろ」

 「…まあ、なんだ、あれだよ。誰にでも人に見られたくないもののひとつやふたつあるさ」

 「…いちいち腹が立つやつだな、お前は」

 「頼むよ、ネタはすでにできている。あとは出演者にメールを送って、動画が撮れたら編集するだけなんだ」

 「メールなら俺が代わりに打てるが…編集?そんなに早く済むのか?というか第一、なんでスマホがないんだよ」

 「かくかくしかじかで、山下に取られた」

 「……そうか……。…お前さ、個人情報ガチガチに守っているくらいなんだから、スマホの使用くらいバレない工夫とかしろよ」

 「油断してた」

 藤岡は溜息をつく。

 「奴さん、教育熱心な先生だからなぁ…。数年前、新任教師としてここに来たときの、鼓膜が震えるほどの挨拶を、今でも覚えている」

 「一ヶ月って言ってたけど」

 藤岡はまたもや溜息をつく。 

「…二、三ヶ月、最悪半年、といったところだろうな」

 「最ッ悪だ…」

 「まああれだ。俺も昔、パソコンが壊れて動画が上げられなかった時、死亡説がよく囁かれたものだ。良かったな。俺に少しは近づけたんじゃないか?」

 「慰めになってねぇよ…」

 

 ここで補足。

 『Analyze』の出演希望者は、『Cartooner』サイト内の『Analyze』プロフィールページに貼られているリンクからフォームに入り、本人確認やメールアドレスの登録などをし、俺と藤岡による議論によって決められる。

 応募は、月に三百件は来る。

 俺が今のようにくすぶっているこの瞬間にも、応募は来ている。多分。

 だから、一刻も早く目を通さねば、あとが大変、というわけだ。 


 バディが困っているというのに、ここまで頑なに拒否されると、こちらも腹が立ってきた。

 「さっきからなんなんだよ?!なら藤岡が編集してくれるのかよ?!」

 「わかったよすりゃいいんだろ?!正直な、お前の編集は見てて飽きるんだよ!プロの手腕を奮ってやるよ!」

 「んだと?!プロって何年前だよ?その手腕、凝り固まって動かねぇんじゃねぇの?」

 「んだとクソガキ!」

 

 藤岡は普段は冷静沈着だが、一度怒ると言葉遣いがかなり荒々しくなる。

 昔は尖ってたもんな。

 『私人逮捕系動画投稿者捕まえてみた』とか。

 一ファンとしては、昔の藤岡が完全にいなくなったわけじゃないことが感じられて、少し嬉しくはあったりする。

 怒られて嬉しいというのはやや語弊があるな。

 俺を変態だと思う人間がいるかもしれないが、決して俺は変態じゃない。

 俺は…『普通』の…

 『普通』って言葉を使うと俺が他人と違い優れているという語感が薄れるな…

 性欲に関しては、平均くらいの男子高校生だ。

 よし、これでいこう。


 「なにニヤけてんだよ、気持ち悪ィな」

 「うっさいばーか!」

 「語彙力どうした」

 「もっと建設的な話をしないか?」

 「お前の情緒はどうなっているんだ?本当にmade in Japanか?」

 「発音良いな、おい」

 たしか英語圏の外国人ともコラボしてたっけ。

 「…仕方ない。誰にも人に見せられないものはある。メールと編集は任せる」

 「ああ。何か含んだ言い方だが今回は気にしないでやる。任せろ」

 それじゃあといい、俺は美術室を出ようとする。

 「ちょい、待て」

 「?なんだ?」

 「山下先生な、東京ばな奈好きだぞ」

 「媚売れってのか!」

 

 あんなやつなんかに、死んでも媚びるもんか。


 今度こそ、美術室を出る。

 その足のまま、今日は帰ることにした。

 本屋に寄る、正確には遠回りしようかな。

 

 もしかしたらまた朝山に会ったりして。

 エロ本を手にとってニヤついているところを見られたりして。

 俺の悪い予感は当たるんだ。

 

 

 「痛ってぇ……」

 斜め下を向いていたから、前から誰かが走ってくるのに気づかず、また、相手もそれは同じだったようで、ぶつかり、俺はぶっ飛んだ。

 「…ごめん!」

 今度は相手を間違えず謝ってきたのは、朝山だ。

 壁に謝られでもしたら、当分立ち直れなかったな。

 決して俺の体が小さいというわけではないのだが、決して俺の体が小さいというわけではないのだが(大事なことなので二回言った)、ぶつかってきた当の本人である朝山はなんともない様子で立っていた。

 ずっと走っていたのか、頬に汗を流している。

 「朝山、ちょうどいい―」

 なにもちょうどよくなんかないのだが、話したい気分だったので、とりあえず話しかける。

 朝山はそんな俺を無視して、俺の背後へと続く廊下を走り去っていった。

 

 別にいいんだ。

 朝山は別に友達とかじゃないし。

 数日だけ協力した(脅迫された)だけだ。

 たったそれだけの関係。

 友だちが多い彼女からすれば、"関係"と言うのもおこがましいかもしれない。


 


 俺の肩にぶつかると発生するボーナスでもあるのだろうか。

 また俺はぶっ飛ばされる羽目になった。

 チッ、男か。

 汗臭いな、クソ。 

 朝山はフローラルの香りがしたというのに。

 ……………………………………………………………………?

 今謝りもせず走り去っていった腐れ外道、どこかで見た気が…。

 …………………………!思い出した、陽キャAだ。

 朝山とよく話してるから、名前も気になって名簿を藤岡に見せてもらって(藤岡は受け持っている全ての生徒の名前と顔がわかるそうだ。暇だったろうか)、名字だけは頑張って覚えた。

 ……………確か、霧嶋。


 この回想の間に、霧嶋は朝山と同じ方向に走り去って見えなくなった。 


 同じ方向に。


 

       同じ方向に。




             同じ方向に。



 何も関係がない、と考えるほうが無理がある。

 畜生、青春かよ。

 こんな負け犬の視点から、こんな台詞を言う羽目になるなんて。

 "青春"という言葉は嫌いだが、この状況をどう形容しよう。

 

 いいよね、そういうの。

 人の幸せって、見ているだけで、自然と笑みが、こぼれてくるよね。










 「クッソがああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


 俺は心のなかで叫びながら、下駄箱までの廊下を走ったように狂った。

 俺は今どんな顔してるのだろうか。

 高一の夏、興味本位で買った俺が好みの美少女が表紙のラノベで見せつけられたシーンを、現実でも見せつけられた。

 眼の前で。

 去年と違って、嘔吐じゃ済まないぞこれは。

 腹の中がぐちゃぐちゃとかき混ぜられている気分だ。

 今日は直帰しよう。


 道中の自販機でコーヒーを買い、飲む。

 苦い。

 飲めない。

 それでも無理やり喉に流し込み、嚥下する。

 コーヒーの香りが、冷たさが、俺の煮えたぎった思考回路と肚の中を正常に戻す。


 一息ついて、また歩き出す。

 前に進まないと、前進できない。

 進み続けろ、俺。


 少し歩いていると、道端に警察が集まっている。

 何やら、善良な市民に事情聴取をしているようだ。

 野次馬も集まっている。

 どれ、俺も見てみようかな―

 ああ、なんということだ。


 「―待ってください、おまわりさん。この人は確かに日頃怪しい商売をしていますが、流石に犯罪に手を染められるような人間では無いと思うんです」

 「オイ、話をさらにややこしくするんじゃないよ、クソガキ」

 

 事情聴取を受けていたのは、占い師の婆さんだった。

 今朝の鴉の件で、捜査協力をしていたらしい。

 

 「成る程。日頃恩を売っていれば、いざという時見逃してもらえる、ということか」

 「ンなわけねぇだろ。やましいことなんかないよ」

 「その話はおいておくとして、警察、動くんだな」

 「そりゃそうさ、これは立派な事件だ」

 「そりゃそうだけどさ」

 俺は一度言葉を切る。

 「それにしては、警察官、多すぎないか?」

 


 学校から出て少し歩いたら、警察官を見かけた。

 自販機の前で苦いコーヒーを苦い顔しながら飲んでいたときも。

 口直しに甘いものを食べることを考え、東京ばな奈が思い浮かんでなんとも言えない気持ちになっていたときにも。

 

 パトロールにしては、多すぎる。

 数少ない公園の周りや、幼稚園、小学校付近のみだというのも、不自然だ。

 背中に冷たい汗が流れた。

 

 

 鴉が、その事件の発端じゃないそうだ。

 それは、ゴキブリから始まった。

 どこで見つけたのか、大量のゴキブリの死骸が入ったゴミ袋がゴミ捨て場に置かれているのが、近所の主婦により発見された。

 それが六日前。

 その三日後は道路で、干された熱帯魚が発見された。

 その二日後は、公民館で、ネズミが。

 死因がなにかは、教えてもらえなかったそうだ。

 そして今朝の鴉。

 そして。


 「昼過ぎ、狸の死骸が、小学校の校庭に投げ込まれた。犯人の顔は不明で、逃走中」

 犯行がエスカレートしている。

 どんどん対象が大きくなっている。

 このままでは、人間になってしまうかもしれない。

 まずい。

 

 「アンタ、なんか知ってんだろ」

 「……………え?」

 喉が掠れてうまく声が出せない。

 「占いなんかするまでもない。あの話をしたときのアンタの様子はどうも不自然だった」

 「それは……」

 「アンタがやってないのはわかっている。それでも、言いづらいことなんだろう?」

 「……。」

 だがな。

 占い師の婆さん、橘蓮華は言葉を続ける。

 「儂の仕事は、占い。突き詰めると、それは人の幸せの手伝いだ。誰かによって、誰かの笑顔が永遠に失われることなど、あってはならないのだ。儂は昔はお転婆での、よく不埒者とタイマンを張ったものだが……この歳じゃ、それも敵わん」

 だからお願いだ。力を貸してくれ。

 橘蓮華は、俺の目を見つめていった。



 誰かによって、誰かの笑顔が永遠に失われることなど、あってはならない。

 

 そうだよな。


 「婆さん、情報を売ってくれ。勿論タダでな」

 「毎度あり」


 


 

 

 

 

 


 

 



 

  


 

 

 

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