誰も知らない毎日の、誰もが知っている一日
その日もいつもの通学路を歩いていると、小学生やら中学生、近所のおばちゃん、通勤途中のサラリーマンまでもが人だかりを作っていた。
何かを見入っているようだ。
小学生の中には泣いている子もいる。
おばちゃんは深刻そうな表情で何処かに電話をかけているようだ。
何やら尋常でない事態が起こっているようだ。
すっかり非日常に味をしめてしまった俺は、らしくもなくその人だかりに近づいていってしまった。
そのことを、俺は後悔した。
人混みを掻き分けていくと、その中心には鴉が横たわっていた。
車に轢かれでもしたのかと思ったが、そうではないようだ。
その鴉はそれはもう、目も当てられない程残酷に切り刻まれていた。
健全な読者のために、鴉の状態についての説明は割愛する。
怖いな。
これが人間だったと考えたら、ゾッとする。
気をつけよう。
俺はすぐにその場を離れた。
後ろから、嗚咽と、嘔吐する声が聞こえた。
「ちょっと待ちィ、坊主」
「…またアンタか、婆さん」
「まあそう喜ぶな…。…今回はな、そうふざけていられない事態やもしれぬ」
「ふざけた服装で何を言う」
「真面目に聞け」
「何だよ」
「鴉、見たろう」
「ああ。それがどうした?」
「淡白な反応じゃの。最早薄情だな」
「自分以外にあまり関心がなくてな」
「…儂にはそんなふうには見えないがな…まあいい、本題に戻るぞ。中々人目のある場所でアレをするとは考えにくい」
「血痕や羽が周りにあまり無かったしな」
「―ケッコン?…ともかく、何やら不審な『気』を感じたのだ」
「…それで?」
「占ってみたところ、お前さんが関係している、とのお告げがあった」
「っ待て待て、俺はやってないぞ?」
「わかっておる。なにか心当たりはないか?」
「…無い」
「…そうか。何やら嫌な気がする。くれぐれも、気をつけてな」
「初めてまともな言葉が口から出たな、婆さん。頭の片隅には留めておくよ」
東京。日本の首都にして最大の人口密度を誇る街。
沢山の人間がいれば、ああいったことをする人間だって、田舎よりは多くなるだろう。
でも俺には関係のないこと。
今は自分のことだけで精一杯だ。
企画を考えないと。
―そういえば、都会のネズミか、田舎のネズミか、というのがあったな。
食べ物はたくさんあるが天敵に殺されるリスクがある都会と、食べ物はあまりないが安全に暮らせる田舎のどちらが良いか、というやつだ。
俺はスマホがあればどっちでも良いけど。
今の時代、身の安全が保証されても、それだけじゃないからな。
通学路の途中、閉鎖されてしまった公園を横切る。
俺がこの道を使い出した頃には、遊具は完全に撤去されていた。
それでも、遊んでいる子供はいた。
心の安全も、大事だよなぁ。
正直、めちゃくちゃ怖かったのである。
何あの死骸。
さっきから動悸が止まらない。
今なら吊り橋効果が成立してしまうかもしれない。
いや、してたまるもんか。
男子高校生と老婆のラブコメなんか、あってたまるもんか。
思考を振り切るため、走る。
学校にはもっとゆっくり行くつもりだったが、仕方がない。
それにしても、都民は対人回避スキルが高くて助かる。
帰宅部なりの全速力で走っているのに、全然ぶつからない。
休憩を挟みながら七分ほど走って、学校に着いた。
息を切らして、恐怖心など忘れ去り、汗を拭いながら達成感を感じているその時の俺は、まだ何も知らなかった。
その日俺に起こる、厄災のことを。
普段通り午前中は寝て過ごし、俺の机に鎮座する朝山を視界の外で見ながら飯を食う。
あれから、朝山は俺に全く話しかけてこなくなった。
たまに目があっても、俺がすぐに目を逸らすか(これは俺としては通常運転)、朝山が少し間を開けて逸らすかだ。
ほんの少しのタイムリーな日々から戻っただけなのに、まだ以前の感覚が戻らない。
一年半以上、俺は独りだったのに。
孤独じゃない生活を、俺は知ってしまった。思い出して、しまった。
孤独という状態は、趣味が少ない俺にとって、あまりにも暇を持て余すものだ。
本当はだめなのだが、俺はおもむろにスマホを取り出し、『ネタ帳』と題売ったメモアプリのページを開く。
どうせ教員は俺に興味なんかないし、見られてもなんてことないだろう。
さて、どんなのにしようかな。
騒がしく鳴く、鳥の人形のことを思い出す。
中学生の時どっかの店で買ったのが、家にあるはずだ。
あれを使えば、鳥と会話ができるんじゃないだろうか。
『バード人形で鳥と意思疎通してみた』
いろんな鳥で試してみたいな。
鳥以外でも、肉食動物は寄ってくるのか、とか。
牧場に協力してもらって、動物たちは朝と勘違いするのか、とかも。
面白そうじゃん。
ただ少人数でするには無理があるから、演者はある程度雇わないとな。
四、五人?
カメラマンも雇わないといけないから、もっと減らすべきか―
俺の人生は、こうなると予想したことについて、それが自分にとって"いいこと"だった場合たいてい外れるが、"悪いこと"だった場合、かなりの確率で当たってしまう。
俺はそのことを考慮すべきだったのだ。
突然、頭の上から伸びてきた手に、スマホを奪われる。
俺にこんな真似をするのは、朝山くらいだ。
何だお前、俺と話したかったのかよ。
口実がなくても、話しかけてもいいんだぞ。
いかん、口角が緩んでいる。
冷静に、冷静に。
できるだけ不機嫌を装って。
「何だよ」
「お前、ふざけてんのか」
最悪だ。
この学校の俺の最大の敵は、陽キャでも他の生徒でもない。
体育教師、山下だ。
この男は他の教師と正反対の性格をしている。
つまりは、陽キャに優しく、真面目ちゃんに厳しく、だ。
この際、真面目ちゃん=運動音痴、と解釈していただきたい。
俺は勉強は言うまでもなく、運動もだめなので、山下からの印象は最悪だ。
よりによって、こいつかよ。
こいつのめんどくさい点は、まぁまぁ若いくせに前時代的な熱血教師ぶっているところだ。
「お前、舐めてんのか?」
「舐めてないです」
「じゃあなんだよ?」
「……」
「ここ、学校だよな?」
「はい、そうです」
「校則でスマホの使用、禁止されてるよな?俺の見間違いか?」
「禁止されてます」
「おかしいって、自分でわかってるよな!? それでもお前はやるんだな!?」
昼休み、終わっちまうな。でもここまでまとめられたから、後は依頼メールを出演者に送るだけ―
「聞いてんのか?!」
「―はい、聞いてます」
「聞いてねえよな?! なに、今、俺、青春してる、とか思ってるわけ?!」
ぶちのめしてやりたい、この男。
俺は青春という言葉が嫌いなんだ。
「あー、もうマジでお前腹立つ」
知らねえよ。お前の主観だろ。
というかなんで特に喋ったことがない公務員にお前呼ばわりされないといけないんだよ。
俺もだんだんムカついてきた。
気づかないうちにかなりの騒ぎになっていたようで、陽キャ共がニヤけながら俺も山下を見ている。
朝山は―教室から消えていた。
いつの間に。
机の座っていた部分はまだ温かい。
そこまで時間はたっていないな。
「―、―ッ、おい!!」
バン!
正確には『バゴォン!!』と机が叩かれる。
「いい加減にしろよ?ガチで潰すぞ、お前」
こいつ公務員よりもっと適正のある仕事があったんじゃないだろうか。
借金の取り立てとか。
「何だその目」
口を開いたところで、焼け石に水だろう。
俺はだんまりを決め込んだ。
「……はー、もう、いいわ」
よし。嵐は過ぎた。
「当面の間、スマホ、没収な」
そう言って、山下は俺の手からスマホを奪い取り、教室を去っていった。
……去っていった?!
おいおい嘘だろ、どうすんだよ。
家にはパソコンがないから、スマホがないとメールが送れない。
そうだ、学校のタブレット―――制限!
詰んだ。
八方塞がりだ。
追い打ちをかけるように、話したことのない、俺の物語に初登場の陽キャが話しかけてくる。
「堀山、どんまい」
うるせえ。
それに慰めるくらいなら名前間違えんな、名前を知らないお前。
あ!
俺には天賦の才があるに違いない。
つくづくそう思う。
俺の人生は逆境だらけだが、同時にそれを乗り越える力も、与えられたのだ。
きっとそうだ、そうに違いない。
俺は教室を飛び出す―には昼休みが終わる時間が迫っていたので、ソワソワしながら放課を待ち、別棟の端っこ、校内で最も暗くてジメジメした、カビとキノコの
かのマリー・アントワネットは言いました。
「パソコンがないなら、貸してもらえばいいじゃない」、と。
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