怠惰に生きる毎日の、一生懸命生きた一日

 午前八時十五分。

 河内原学園高等部の一日が始まる。

 担任から一日の流れや授業変更などについて淡白に知らされ、多数決で決められた学級長の棒読みの号令で、朝のホームルームが閉じられる。

 今日の一時間目は数学C、次いでコミュニケーション英語、化学、日本史、数学Ⅲ、文学国語、古典探求だ。

 進学校の授業に楽さを求めるのは間違っていることはわかっているが、楽な教科が一つもない。

 授業の内容も重いし、進むのも早い。

 やってられるか。

 ホームルーム前の出自不明の清々しさはどこへやら、俺は一限目早々、惰眠を貪ることに決めた。

 むしろ清々しいな。 

 

 二時限目の途中で寝ピクという最悪な形で目が覚めた。

 盛大な音で、最初こそ前の席の生徒に振り向かれたが、すぐに目を逸らされた。

 陰キャって便利。

 すぐに二度寝した。


 四限目が始まる前の十分休みの間に、ふたたび目が覚めた。

 そろそろ起きておくか。

 入学当初は、少しでも寝たら教師から叱られたりするし、あの頃はまだ向上心もあったので、授業中寝ることはなかった。

 それが、少しなら良いだろう、この授業なら後で取り戻せる、この教科は受験で使わない予定だから捨てよう、単位取れたら、進級できたら、とどんどん堕落していった。

 今では教師は堕落した生徒を見限り、真面目な生徒のために授業をする。

 一度堕落した生徒は、それこそ死にものぐるいで勉強しても、絶対に追いつけるわけじゃない。

 その確率は、不可能に近いだろう。

 俺はそんな環境でグレてないだけマシだと思う。

 そういうことにでもしないと、自分が許せなくなる。

 中高一貫校じゃない進学校に行った中学の友人は、今頃どんな生活を送っているだろうか。

 進学校は、どこでもこんなものなのだろうか。

 俺は、どこで間違えたんだろう。

 原因は、環境か、内面か。

 

 思考が少し冴えてきた。

 目も覚めた。 

 これなら、四時限目は受けられそうだ。


 日本史は、鎌倉仏教の内容だ。

 受験期によく勉強したので、これなら授業のスピードについていける。


 そういえば、あの陽キャ達、まだ来ていないな。

 黒板が見にくい席、つまりは教室の右端と左端の席が丸々空いてある。

 陽キャが嫌いな担任による粋な計らいで、陽キャは席が固定だ。

 担任は真面目ちゃんには優しいのだ。

 中学の頃は陽キャと談笑している先生がほとんどだった。

 入学した頃は新鮮に思ったっけ。

 覚えてないや。


 日本史の教師は、『禅』について説明をしている。

 確か今でも体験ができるやつだ。

 やりたくはないけれど。

 …『禅』か。

 何か似た言葉があったはずなのだが、思い出せない。何だっけ。

 「おい!黙って入ってくるな!遅刻証を出せ!」

 びっくりした。

 教師は後のドアの方に向かって声を張り上げたようだ。

 気になって振り向いてみる。

 振り向く過程で、俺と同じように驚かされた真面目生徒が目に入る。

 この手の人間で肝が座っている生徒はいるのだろうか。

 勉強することは、それと引き換えになにか大切なものを奪ってしまうような気がする。

 ろくに勉強してないやつが言えたことじゃないが。


 「ごめんって先生〜許して〜」

 「先生に向かってその態度はなんだ!まったく、お前達のような人間がいるから家の学校の評判が悪くなるんだ!口コミサイトで星一だったと、校長も嘆いていたぞ!」

 「ねぇねぇ見てこれ、登校中見つけた白猫。あれ?横切られて縁起悪いの白だっけ?茶色?」

 「お前なあ―」

 教師を無視して、遅刻したもう一人の陽キャが先程話していた陽キャに話しかける。

 陽キャ陽キャと重複して大変わかりにくいが、俺は関わらない人間は顔を覚えるだけで精一杯なので許してほしい。 

 「なあなあ晴貴、放課後ゲーセン行かね?」

 「おいおい、学校きたばっかだぜ。"来年の事を言えば鬼が笑っちまう"ぜ」

 「ひゅー、晴貴ちゃん博識ィ!」

 

 そうだ、思い出した。

 禅問答だ。

 陽キャもたまには役に立つな。


 陽キャの侵入で約五分のタイムロスがあったが、その後の授業は順調に進んだ。

 俺は侵入の後すぐに飽きてしまって、ボールペンを分解して遊んで過ごした。

 バネがどこかへ飛んでいってしまい、赤ペンがだめになってしまった。

 

 歴史の授業を受けていると、昔から思う。

 この世には累計だと凄まじい数の人間が存在していたはずなのに、教科書に乗っているのは、その一握りにも満たない。

 ほとんどの人間は、記録が残らなかった人々は、忘れ去られてしまう。いなかったことにされてしまう。

 それがいつかの我が身だと思うと、俺はたまらなく怖くなる。

 俺が存在した証拠を残したい。

 だから俺は、動画投稿を始めたのだ。


 四時間目が終わって、昼食となる。

 その間の俺の思考については、いちいち描写して読者諸君が俺と同じような陰鬱な気分になってしまうようなことがあってはいけないので、割愛する。


 

 今日も、朝を除いて誰とも話さずに終わってしまった。

 いつものことだが、昨日から今朝にかけてのタイムリーがあるため、いつもより堪える気がする。

 いや、気のせいだな。

 あの女は俺にとっての厄災だ。

 そうに違いない。

 「やっほーうっち〜、ネタ考えてくれた?」

 「ああ、バッチリだ」 

 

 

 

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