取るに足らない毎日の、覚えていたい一日

 朝。それは全日制高校の学生にとっては、一日の始まりを意味する。

 小、中学生の頃まではそうではなかったはずだが、今の学校、河内原学園に入ってからは、朝が来ると思うと憂鬱になった。

 心が落ち着く時間は、夜だけだ。

 ずっと夜が続いて、永遠に朝が来なければいいのに、そう思う。

 極夜があるという国は、どこだったっけ。

 

 昨日は、めんどくさい女に絡まれたり、親ノ名売りに巻き込まれたりと散々な一日だった。

 両親は依然として喧嘩をしていて、ギスギスした、気まずい雰囲気の中での食事を終え、いつもより十分以上早く家を出る。

 

 決して俺は変態じゃない。

 なのだが、あのとき見られなかったエロ本の中身が気になって仕方がない。

 遠回りになるが、帰りに本屋によるとするか。

 朝山と学校で話すのはハードルが高いから、その道中で話し合う。

 我ながら完璧な案を思いついてしまった。

 きっと俺は将来大物になるぞ。



 「ないわ」

 

 学校に着くやいなや、朝山に否定された。

 早い時間帯で、絶対に話を聞かれたくない件の連中がいなくてよかった。

 いるのは基本メガネを掛けた、メガネと体が一体化しているような真面目な生徒だけで、例外なく自習に取り組んでいる。

 こんなに根を詰めて。

 こいつらいつか発狂するんじゃないか。

 誰にも求められていない心配をしていると、後ろから肩を叩かれ、振り向くとほっぺたをプニッとされた。

 そこには苛つくほどにんまりとした顔の朝山が。

 感情を顔に出さないように抑えつけ、朝の憂鬱とともに考えたアイデアを披露し終えた途端言われたのが、十七行前の台詞である。

 「どうしてだよ?効率的だろ?」

 「そうかもしれないけど、なんかヤダ」

 「"なんか"ってなんだよ?もっと具体的に言えよ」

 「へぃへぃ、知的な言葉を使いますねぇ、後入生サマ」


 後入生。またこれだ。


 中高一貫校では当たり前のことなのだが、中学から内部進学した生徒と、高校から入った生徒の間には、明確な壁がある。

 心理的なそれも含むが、学習内容で、大きく異なっている場合が多い。

 中高一貫校の中学は高校の内容を先取りしていたりするため、中学からの生徒と高校からの生徒を、分けなければいけないのだ。

 そこで、便利な言葉、「内進生」と「後入生」が使われる。

 

 わざわざ「中学からの生徒」「高校からの生徒」というのは非効率的だ。

 それはわかっている。

 だが、これらの言葉を執拗に使うのは、嫌な感じがする。

 "自分がいる高校が自分の場所でなく「内進生」だけの楽園に見え、「後入生」である自分との差異を無理矢理に認識させられる。"

 他の中高一貫校の口コミに、そう書いてあった。

 何故かうちの高校の口コミはなかった。

 勉強で忙しくて、不満なんかたれている暇などないのだろう。

 勉強のやる気などなく、不満を常に垂れ流す余裕のある俺は、他校の口コミを河内原高等学校の口コミとしてコピペし、評価を星一にしてやった。

 レビューしていたのは俺だけだったので、河内原の評判は地に落ちた。

 世の中の受験生よ。

 間違っても、うちにだけは入学するんじゃないぞ。

 老婆心を持った優しい俺は、そう思ったのだった。

 とはいえ、他人と関わることのない俺は、内進生、後入生の関係なく会話することはないのだが。

 ちなみに、河内原では、中学から入った生徒は、六年続く進学校生活に耐えきれず、途中で挫折して不良というか、不真面目な人間になりがちである。

 朝山あたりの人間がいい例だ。

 

 長い回想を終え、おもむろに口を開く。

 「"具体的に"はそこまで知的じゃないだろ」

 「ツッコミ遅っ」

 「で、なんでだめなんだよ」

 「でも、だってさ…」

 「なんだよ、早く言えよ」

 「…っとね、…」

 「いやらしい本を見ること考えながら企画考えてたら、そっちに企画も引っ張られるんじゃないかって…」

 

 何を言っているんだ、こいつは。

 並列思考は俺のお家芸だ。

 思考が引っ張られるわけが無い。

 全く、こいつは俺を変態だと思っている節があって困る。

 

 「ういっす〜朝山ァ〜なに話してんの〜?」

 世界で最も苛つく口調で、陽キャ男A(名前は知らない)が朝山に近づき肩を組む。


 俺は戦慄した。

 なんということだ。

 陽キャはあんなにも女子との距離が近くても許されるのか…?

 お世辞にもあの男はイケメンとは言えない。

 なら俺も明るくなれば―


 どうやらそれは違ったようで、朝山は「別に〜」といいながら自然に肩の手をどけていた。

 

 一瞬、少年Aの眉がぴくついたように見えたのは、気のせいだろうか。


 どちらにせよ、俺にはあの会話に入れる自信がないので、そそくさと自分の席に行った。

 あの男、全く俺のことを見ていなかった。

 無視というよりは、最初から彼の世界に俺はいない、といった感じだった。

 何故だろう。


 ああまた悪い癖だ。  

 授業はこれからだと言うのに、考えすぎて頭が疲れた。

 ホームルームが始まるまであと十三分。

 陽キャ男Aも来たことだし、これからぞろぞろと奴らは侵入してくるだろう。

 自習室で勉強してるであろう他の真面目生徒も。

 教室が五月蠅くなる前に、早く眠りに落ちよう。

 

 机に突っ伏そうとする。

 大きな風が吹き込んだので、なんとなく窓の外を見る。

 

 

 俺の席からは、空がよく見える。 

 早く帰りたいと思いながら、見る空。

 授業退屈だな、と思いながら、見る空。

 動画のネタを考えながら、見る空。

 将来のことを考えながら、見る空。


 今日の空は、それらのどれとも、違って見えた。


 見たこともないような、綺麗な青空が、そこには、そのキャンバスの中には、広がっていた。


 見とれているうちに、チャイムが鳴る。


 ああ、始まるんだ。


 今日も、一日が。

 

 

 

 

 

 

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