残り僅かな毎日の、特別な一日

 日が昇って次の日。俺は登校するやいなや美術教室に向かう。

 授業棟の一回の最奥に位置するそこは、1日中暗くてジメジメしているような場所で、周囲にはずっと掃除されていない(正確には担当の生徒がサボっている)トイレがあるだけなので、誰も寄り付かない。

 俺のような人間にうってつけの場所だ。

 バタバタと教室に向かって走り寄り、明かりがついている準備室の扉を開けると、そこにはやはり目当ての教師がいた。

 今年度で定年となる、男性教員、藤岡金定だ。

 「藤岡、見たか?」

 「まずは挨拶をせんか、翔馬。挨拶というのは人と関わる基本で―」

 「それは後で聞くから、これ、見てくれよ」

 俺はスマフォの画面を藤岡に突き出す。

 「フェア登録(フェイバリットアカウント登録の略)、100万目前だぜ?!」

 「当たり前だ、俺の手腕があるからな。これでも遅いほうだ。大体、サイト自体が古すぎるんだ。何年前に流行ってたやつだ?これ?もっといいのがあるだろう?」

 「このサイトは金払いがいいんだ。他のサイトより2%弱」

 「他のサイトのほうが金稼げるぞ?もっとたくさんの人間が見るんだからな。」

 「競合が少ないほうが都合がいいんだよ。俺の企画力であの世界に飛び込んで、火傷で住むと思うか?」

 「確かにな…」

 「そこは否定してくれよ」

 「俺に残された時間は短い。だからそれまでにお前には独り立ちしてもらわにゃならん」

 「わかってるよ。だから焦っているんだ。最近はなんとか黒字だが、累計では全然赤字だ。今までの損失を取り戻さないと」

 「ああ、そうだな」

 俺と藤岡がタッグを組むと決めたのは、高校1年の初めての美術の授業の後。

 授業では、現代アートと関連付けて現在の映像技術についての言及があった。

 藤岡の歳不相応な知識量を目の当たりにし、俺は彼と組むことを決めた。

 実際問題、一人で動画投稿をするには俺の場合、金銭面などで無理があり、早くも心がくじけていたところだった。

 授業が終わり、他の生徒は早くこの空間から逃げ出したいと言わんばかりに、蜘蛛の子を散らすように教室を去っていった。残ったのは俺だけだった。

 以外そうに俺を見つめる藤岡。俺は教卓に向かって、一歩足を踏み出した。

 

 当初は、藤岡は動画投稿に参加することを断った。教師は副業が禁止なのだそうだ。

 今思えば、この時点で収入が見込めるほど人気が出ることを確信していたのだ。

 なんたる自信家。

 


 それもそうだ。なんたって藤岡は二十年前に一山を得た元超人気動画投稿者なのだから。

 俺はその事自体は知っていたが、正直に言うと藤岡は過去の人間だと思いこんでいた。

 だが、そうではなかった。その手腕は全くと言っていいほど衰えていなかった。昔から憧れてきたその背中が、目の前にあったのだ。

 お世辞、泣き落とし、様々な手を使ってなんとか藤岡を口説き落とし、動画投稿の補助という体で仲間になってもらったのが、その日の次の次の授業の日だった。

 最強のバックがいる俺に、不安などは一切なかった。

 急浮上、急成長。そしていつかは藤岡の全盛期をも超える動画投稿者になる。そう意気込んで藤岡に語って聞かせたあの頃の俺は、まだ青かった。

 

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