青い空の噓
雨宮 命
平凡な毎日の、凡庸な一日
乾いている。
喉ではなく、自分の体の深いところが。「こころ」という言葉ではあらわせないどこかが。
たとえば、朝目覚めたとき。
たとえば、手を合わせ昼食を食べるとき。
たとえば、帰り道になんの気なしに本屋に立ち寄るとき。
いつもと同じ日常が、ふと物足りなくなる。非日常が恋しくなる。
水面から顔を出し思い切り空気を吸い込んだ俺は、決まって辺りを見回す。
俺は求めている。明日の俺も、明後日の俺も。
俺を非日常に連れ出してくれる何かを。
人生はクソだ。どいつもこいつも青春なんて言葉に取り憑かれ踊らされやがる。それが大人が作り出した虚構とも知らずに。
満足いく人間関係なんていう恩恵を享受できるのはほんの一握りだけ。他の人間はそのことを悔いたり、もしくは取り繕って、まるで前者と対等であるかのように振る舞う。
くっだらねぇ。
都内唯一の中高一貫校、河内原学園高等部の昼休み。クラスの人気者の机に集まってやれインスタだのやれ新宿だのと他人の迷惑を顧みない声量で騒ぐリア充グループ。
それを内心見下し、表紙が見られないようカバーを掛けた文庫本を読みながら時折目を向ける根暗男。それが俺、堀内翔馬。
父親の込めた高みを目指してどこまでも翔けてほしいという思いは、完全に内向性へのベクトルへと転換してしまった。
別に読書が好きだというわけではない。気を紛らわしたいだけだ。だというのに、否応なしに人の声は聞こえる。
ならば図書室に行けばいいじゃないか。そう当初は考えた。
だが、この学校は都内では進学校に分類され、それだけあって図書室は勉強に勤しむ生徒で埋め尽くされている。この学校の何処にも、俺の場所は存在しないのだ。
俺の人生がラブコメならば、ここでヒロインが登場するのだが、生憎これは悲劇だ。さっきから俺の机に座って、有名インフルエンサー『Analyze』の話を、一軍男子としていた女子生徒が「キャッ」と耳障りな甲高い声を立てて体制を崩し、俺の頭上に倒れ込む。
どうしてまた、このような人間は他人に迷惑をかけるのだろう。今日は厄日だな。
その刹那、俺の額が机に激突した。
「お〜い、何やってるんだよ」と笑いながら、女と談笑していた男が女に話しかける。「ごめんごめん、で、何の話だっけ」と明らかに違う相手に謝りながら、女は話の続きを促す。
これが俺の日常。
脳内でプロローグを紡いでいると、ようやく昼休みの終わりを伝えるチャイムが鳴った。思わずホッとため息を付く。
授業は休憩、とはよく言ったものだ。学校で最も心が落ち着く時間だ。
授業が全て終わり、放課となる。毎度のことながら用事はないが、家に帰っても特にやることがない。なにか趣味を始めるきっかけも金もない。
何もかもがどうでもいい。
歩いていると、胡散臭い占い師の老婆に声をかけられた。「坊や、ちょっとおいで」無視して少し足を早める。「坊や?聞こえていないのかえ?」
こういった人間にはかかわらない方がいい。どうせ変なものを買わされるのがオチだ。
「え、ちょっと、あ…チッ、おいガキ!聞こえてんだろ!止まらんかい!」
驚き思わず足を止める。
「…何ですか?警察呼びますよ?」
「やっと立ち止まったと思えば、最近の子どもはすーぐそんな事を言う。つまんない世の中になったねぇ」
「あなたと会話をする気はありません。それでは」
「あーちょっとちょっと、待ちなさい」
「…なんですか?しつこいですよ」
「…あんた、女難の相が出ておる。気をつけなさい」
「あなたの占いは外れています。僕には関わりがある女性はおろか男性もいないので」
「死ぬよ」
老婆を振り切って匿名で通報を入れたあと、老婆が喚きながら警察官に連行されるさまを野次馬に混ざって見届け、その日はそのまま帰宅した。
母親に何をしていたのか聞かれたから、友達と寄り道していたと嘘をついた。本当は寄り道なんてしていないし、友達もいない。
なんで俺がこんな肥溜めみたいな環境で発狂せずに学生生活を続けられているのか。
それはとある動画投稿サイトの存在が大きいだろう。
動画投稿サイト、『Cartooner』。
その数あるアカウントの一つ、『Analyze』。
このアカウントは、他のアカウントとは一線を画している。
初投稿の動画のタイトルは、『メントスコーラやってみた』。
当初こそ流行に乗った内容だったが、次第に独自的なものへと変わっていき、今日の時点での最新の動画のタイトルは『株を買い占めてみた』だ。
その買い占めた株は比較的有名な中小企業のものだったので、コメント欄にはその羽振りの良さと金の出どころを訝しむコメントが見られる。
だが『Analyze』の他との差異は、そこから生じるものだけではない。
『Analyze』の出演者は、毎回変わる。
グループで活動していて、動画ごとに出演するメンバーが違う、というわけではない。
言葉の通り、アカウントが作られてから1年半の間、動画ごとに全くの別人が、画面の中で話している。
ネット上での反応は、まちまちといったところだ。
その珍しさを買う人もいれば、気に入ったメンバーがもう二度と出演しないことを嘆く人もいる。
アカウントの管理人を予測するコメントも後を絶たない。海外の資産家や、上場企業の社長だという声もある。残念、どれも外れだ。
『Analyze』の管理人は、他でもない俺だ。高校に入ってから1ヶ月後に始めたこの活動が、俺の人生の一縷の望みなのだ。
…「俺」とは言ったもののそれでは語弊がある。正確には、俺の背後に支持者が一人いる。先に言っておくが、彼は資産家でも社長でもない。ただの定年間近のくたびれた教師だ。
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