第24話 今日も、あの時も

 俺はなんて馬鹿なんだろう。そのことを知ったら傷つくなんて、考えもしなかった。


 深恋は今どんな気持ちでいるんだろう。自分の秘密を共有した相手に都合よく扱われたと失望しているのか。自分を変えたいと前向きに努力し始めたのに裏切られたと。奥歯をギリッと噛み締めた。


 最初のきっかけは確かにそうだったかもしれないけど、深恋の秘密を知った上で店に誘ったのは、心から力になりたいと、そう思ったからだ。この想いは誰が何と言おうと嘘じゃない。


 交差点の角を曲がるところで、視界の端に深恋の立ち姿が映った。

「みれ……!」

 名前を呼ぼうとしたが、思わず足を止めた。深恋は男2人と話をしていた。


「いま学校帰り? 俺達もそうなんだよね」

「いいじゃん、一緒に遊び行こうよ」

「え、えっと……」


 ぐっと足に力をこめ、一直線に走り出す。男達と深恋の間に体を滑り込ませた。


「あ? 誰だよ」

「なに、こいつ知り合い?」

 大きく息を吸って、正面を見据える。


「俺は彼女の彼氏だ!」


 男達は俺の言葉に始めはぽかんとしていたが、その後くすくすと笑いだした。


「絶対嘘でしょ」

「彼氏面とかウケるんだけど」


 構わずにもう一度大きく息を吸い込む。


「俺はか・れ・し・だ!」

「あはは!  もういいよ、放っとこ」

「君も彼氏面する男には気を付けたほうがいいよ。じゃあね」

 そう言って男達は去っていった。

 


 彼らの背中が小さくなって、途端に体の力が抜けた。

 ダサかったな、俺。スマートに助ける方法なんて全く思いつかなくて、変な奴を演じて引かせることくらいしか出来なかった。こんなんじゃ余計に深恋を嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。


「悪い、深恋。こんな方法しか思いつかなくて。それにさっきの話も……」


 そう言いながら深恋の方に顔を向けると、綺麗な瞳から一粒の雫が流れ落ちた。


「ごめん! 俺、こんなに傷つけて……!」

「違うんです、これはそうじゃなくて……」

 深恋は涙を拭った。それでも雫は次から次へと溢れだしてくる。

 肩を震わせる深恋に俺は何もしてやれなかった。


 少しして涙が止まった深恋は、赤くなった目元で俺を見上げた。泣き腫らした顔を見て胸が痛む。

「やっぱり君はズルいです。こんなにも私の心をいっぱいにするんですから」

「え……?」

 思いもしない言葉に次の言葉が出てこない。


「君は優しくてカッコいい人だって、私はもうずっと前から知っています。高校受験の日、お話に引き留められて困っていた私を助けてくれたのは亮太君ですから」


 その言葉と、深恋のウェーブのかかった髪を見てやっと思い出した。


 確かに高校受験の朝、駅前で宗教の話を聞いている制服姿の女子を見かけた。宗教の信仰は個人の自由だし放っておこうと思ったのだが、彼女はむしろ困っているような様子であたりをちらちらと見回していた。


 その時、彼女が肩にかけるスクールバッグについた「合格祈願」と書かれたお守りが目に入った。この駅の近くの高校は一つしかない。俺と同じ受験生だと分かった時、体が勝手に動いていた。


 手を掴んでその場を連れ出した後、見知らぬ女子と二人という状況に緊張してきて、まともに目も合わせられなかった。彼女の方も緊張していたのか伏し目がちで、ふわふわした柔らかそうな髪だなと思ったんだった。あの頃は今の深恋よりずっと髪が短かったから、いま話を聞くまで同じ人物だとは気づかなかった。


「助けてくれてありがとうございます。今日も、あの時も」


 深恋の言葉に胸が温かくなる。でもそれと同時にもう一つの思いが胸を黒く染めた。


「でも俺は、メイドカフェのことで深恋を傷つけた……」

「確かにさっきはびっくりして、思わず飛び出してきてしまいました。でも1人になって落ち着いて考えたら分かったんです。亮太君は未熟な私にたくさん付き合ってくれて、それは揺るがない事実だって」


 深恋の言葉は優しい。でも俺は自分の言葉でちゃんと伝えないといけない。


「ごめん。最初に声をかけた時はお金のためだったけど、その後は本当に深恋の力になりたいと思っていたんだ」

「分かっていますよ。これ以上亮太君に謝られるのは、私としても本意ではありません」


 おどけたように言うと、深恋は俺に手を差し出した。


「だから一緒に帰りましょう。私たちの大切な場所へ」


 

 深恋と手を繋いで歩いていると気持ちが落ち着かなくて、いつも通り話しているつもりが空回りしているみたいだ。


「私、さっきのことで一つ言い忘れていたことがあります」

「え!? な、なんでしょう……」

 さっきの話で言い忘れてたことって、あまりいい予感がしない。


「知らない男の人に話しかけられていた時、『彼氏だ』って言って助けてくれたじゃないですか。でもあの人達に彼氏面とか言われて、私悔しかったんです! 本当に彼氏かもしれないじゃないですか!」


 そう言って繋いだ手をぶんぶん振る。興奮してるみたいだけど、俺がこんな美少女の彼氏に見えないのはまあ仕方ないからなぁ……


「だから亮太君ももっと彼氏っぽくしてください! 私も彼女っぽくしますから! もう絶対に彼氏面なんて言わせません! 次に備えて練習です!」

「れ、練習……?」


 深恋は足を止めて、俺の方に体を向けた。


「はい、何事も練習です。まずは私のいいところを言ってみてください、彼氏さん?」

 俺をからかうモードに入ったのか、いたずらっ子のように笑うその表情がとびきり可愛い。

「えっと、か」

 お、は一番に言ったら絶対ダメだろ。

「優しくて、努力家なところ。あと、絵が独創的なところ」


 深恋がオムライスに描く絵はなかなかにすさまじくて、お客の間でもこっそり『画伯』と呼ばれている。まあ、むしろそれが見たいという人も多い。からかわれたお返しだ。


「えへへ、お絵かきは難しいのでもっと頑張りたいです。私の良いところ、教えてくれてありがとうございます。大好きです」

 そう言って笑う。その言葉が彼女役としての台詞かなんて、聞けるはずもなかった。


 

 その数日後、深恋の限定メニューが決まった。3Dラテアートに挑戦するんだという。本人曰く、「平面は苦手でも立体なら出来る気がするんです!」とのことだ。俺も練習の産物として「クマになるはずだったもの」が乗ったラテを何杯も飲んだ。努力家というか、ちょっとアホな子なのか……


 皇が提案したメニューは、汐姉にもちろん却下された。

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