第21話 ここで働く理由

「仕事はどうだった?」

「どうって、別にまあまあかな」

 忙しく動き回って、気づいたら閉店時間になっていた。

「亮太がまあまあって言うのは、決まって楽しかった時なんだけどな」

 汐姉が俺の心を見透かしたように言う。

 居心地が悪くなって、俺は無理やり話題を変えた。


「そういえば聞いてなかったけど、店の名前の『プレジィール』ってどういう意味なんだ?」

「フランス語で喜びや楽しみといった意味だよ。この店に来るお客にもここで働く仲間にも喜びを感じてほしいという願いを込めて、そう名付けたんだ」


 汐姉は向こうで楽しそうに話す3人の方へ顔を向けた。

 へぇ、珍しくまともなことを言っている。


「今日彼女達に喜びを与えたのは亮太だよ」

 汐姉は俺の方を向いた。

「俺が?」

「そうさ。亮太が一人でビラ配りに飛び出していった結果、今日の営業は大成功で彼女達も笑っているじゃないか。ビラ配りする許可を長めに取っておいてよかったよ」

「……それって、今日客が来ないって初めから分かっていたってこと?」


 今思い返せば開店直後にお客が0だった時、汐姉は慌てた様子もなかった。


「まあ、知名度も何もない新店なんてそんなものだよ。もちろんホームページを作ったり、昔のツテを使って宣伝したり、出来ることは何でもやったさ。それでも開店初日から来てくれるかなんて分からない。亮太は最後の切り札だったんだ」

 そう言うと、汐姉は茶封筒を俺に差し出した。


「これは?」

「約束の報酬だよ。今まで働いた分と今日の功績、ビラを印刷してくれた分のお金も入っている。ビラは多めに用意していたつもりだったんだけど、昨日までにほとんど配り切ってくれたからなあ。もっと用意しておけばよかったよ」


 封筒の中を確認すると、1万、2万、3万……全部で8万入っていた。


「これで必要な分は足りそうか?」


 これだけあればBlu-rayの6万と印刷代を差し引いてもお釣りがくる。俺は赤字を回避したんだ……! 自由な暮らしを続けられる!


 達成感と高揚感の中でかすかに胸が冷えるような心地がしたけど、それが何かは分からなかった。


 なんだか世界が輝いて見える。ここ数日はお金と店のことばかりだったからなぁ。心に余裕があるって素晴らしい事だ。

 お釣り分のお金が手に入ったことだし、久々に本屋へ行って新作のラノベでも開拓しようか。


「今までご苦労だったな。ほんと助かったよ」

「ああ、また何かあったら呼んでくれ」


 今の俺は汐姉にこんなことも言える。なんたってお金と心に余裕のある男だからな!


「まあ? 短い間だったけど、今となってはいい経験だったよ。自分で塗った壁もなかなか愛着湧くもんだな」


 目を閉じて壁に手を滑らせる。手の感覚に集中すると少し凹凸があるのが分かるが、それも自分で試行錯誤した証だ。

 その時、手に触れたソレはグラッと揺れた。


「え?」

 目を開けると、俺が触れたのは壁ではなく壁際の丸テーブルに飾られた青い壺だった。壺は傾いて、テーブルから地面へ引き寄せられる。

 

 ガシャン


「悪い、汐姉。今片付けるから……」

 俺は破片を拾おうとしゃがみ込んだ。


「亮太、『骨董品』って知ってるか?」

「へ?」

 声の方に顔をあげると、汐姉は空になったテーブルの上を撫でた。


「アンティークっていう言い方をすることもあるな。希少価値のある工芸品や美術品を指すんだ。陶磁器なんかも含まれたりするな」

 なんだろう……嫌な予感がする。

「汐姉、どうして急にそんなことを言い始めたんだ?」

「亮太が破片にしたその壺、10万円の価値があるんだよ」

「は……っ!?」


 再び床に視線を落とすが、修復不可能だろうとはっきりわかるほどに砕けている。


「まあ、壊れてしまったものは仕方ないからな。貰い物なんだが、そんなに価値があるならいざという時に売ろうと思って置いていたんだ」


 明らかにメイドカフェにふさわしくない古風な壺はそんな訳があったのかよ!?


「お金は急がないから安心してくれ」

 汐姉は、地面にしゃがみ込む俺を見下ろしてにんまりと笑った。

「じゃあ、明日からもよろしく頼むよ。バイト君?」

「俺の自由な時間がぁっ!?」


 借金返済まであと10万円。

 

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