第3話 クラスメイトAと美少女

 教室を出ると、彼女は颯爽と前を歩いていく。その後ろ姿でさえ美少女だって分かる。

 顔が熱くなってうまく頭が回らない。沈黙を埋めるようなちょうどいい世間話も思いつかなくて、ただその背中について行くことしかできなかった。




 彼女が扉を開けると、そこは屋上だった。屋上への扉の場所なんて知らなくて、ここへ来るのは初めてだ。吹き抜ける風が火照った顔に心地いい。


「ここなら誰もいないよ。それで、話って何かな?」

 そう言って俺と向かい合った。


 そうだ、言わないと。一度も話したことのないクラスメイトAである俺との初めての会話が「メイドカフェの勧誘」だなんておかしいにもほどがあるけど。でもきっと一ノ瀬は優しいから、事情くらいは聞いてくれる……はず。


「亮太君?」


 覚悟を決めろ! 俺の自由な生活を守るために! 


「話があるんだ! 俺の従姉が経営するメイドカフェで働いてみないか?」

「うん、いいよ」

「そっか、だめだよな……って、え?」

 今、二つ返事で「いい」って言った?


「私、バイトって初めてだけど頑張るね」

 そう言って両手でガッツポーズを作る。

「え、いや、メイドカフェって普通のバイトとは違うし、そんな簡単に決めないほうがいいんじゃないか?」

 俺にとってはラッキーな展開だけど、さすがに心配になるぞ。


 一ノ瀬は不思議そうに首を傾げた。

「亮太君は私にメイドカフェで働いて欲しいんじゃないの?」

「まあ、それはそうなんだけど……」

 

 そのとき強い風が吹いて、一ノ瀬の髪を結ぶ赤いリボンがほどけて宙を舞った。

「あ……!」

 ハッとした表情で一ノ瀬は風に飛ばされたリボンに手を伸ばす。その拍子につまづいてバランスを崩した。


「……っと」

 何とか左手で一ノ瀬の体を受け止め、右手でリボンを掴む。咄嗟に体が動いてよかった。

「大丈夫か?」

 左に顔を向けると、一ノ瀬は俯いていて表情が読めない。下ろした髪が風でふわふわと舞っていて、いつものポニーテール姿より感じる。

 その瞬間、左手の感触を自覚した。


 え、腰細っそ……! あれ今、女子の体に触ってる!?


 そして同時に理解した。これは重罪だと。


「ごめん、これは違くて! 決してやましい気持ちはなくて……!」

 パッと手を引いた。純粋に助けようとしたつもりだったけど、腕を引っ張るとか他のやり方もあったはずだ。咄嗟にそれが思いつかなかっただけで。

 一ノ瀬の次の言葉が怖い。冷汗が背中を伝う。


 うつむいていた一ノ瀬はゆっくりと俺の方を振り向いた。


「……え」

 その表情に思わず声が漏れた。


 赤くなった顔。ハの字になった眉。そして上目遣いで俺を見上げる潤んだ瞳。


「み、見ないでください……!」

「あっ、ごめん!」

 俺は慌てて背を向けた。


 え、あのいつも明るい一ノ瀬が、そんなしおらしい顔で俺を見て……それに口調もいつもと違うような……


「あ、あの!」

 背中越しの声に思わず背筋が伸びる。

「は、はい!」

「リボン、掴んでくれてありがとうございました。私にとって、すごく……すごく大切なものなんです」

 

 手にしたリボンに視線を落とすと、赤のリボンにピンク色の綺麗な刺繍がほどこされている。きっとその辺で売っているようなものとは違うんだろう。


「そっか、ならよかったよ。はい」

 振り向いてリボンを差し出す。一ノ瀬はまだ少し赤い顔をしていたけど、見るなとは言われなかった。

「ありがとうございます……」

 そう言って、ためらいながらもリボンに手を伸ばす。


 一ノ瀬はいつもみたいな社交的で明るいイメージとは対照的に、思わず守ってあげたくなるような……まるで別人みたいだ。


「なんかいつもと雰囲気違うんだな」

 俺の言葉に、一ノ瀬の手が止まった。そして顔を伏せる。あれ、マズい事言った?

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