第4話 「秘密にしてくれませんか?」
「がっかりしました、よね? こんな、簡単に赤くなって、おどおどしてるなんて……」
一ノ瀬の声はだんだん小さくなって最後の方は聞こえなかった。いまいち状況が理解できてないけど、とりあえず俺の言葉がよくない意味で捉えられているみたいだ。
「雰囲気違うって言ったのは悪い意味じゃなくて、だからその……可愛いなって」
「へぇっ!?」
一ノ瀬は目を丸くして俺を見上げた。また真っ赤な顔に戻っている。
「ほ、本当の私を、か、かかか、可愛いって……!?」
よっぽど動揺しているのか、あわあわと開いた口元が震えている。
なんだこの可愛すぎる生き物は……じゃなくって!
「本当の私っていうのは?」
「あの、私、クラスでの姿は演技なんです。明るくて、人付き合いが得意で、誰とでも友達になれる私。ちょっとは理想に近づけてるといいんですけど……」
一ノ瀬は伏し目がちな様子で髪を耳に掛けた。
「ずっと人付き合いが苦手で、高校生になったからには頑張らないとって色々勉強したんです。それで、リボンで髪を結んでいる時だけは気を引き締めていられるようになりました」
「そうだったんだ……」
あれが演技だったなんて全く気が付かなかった。一ノ瀬は明るくてクラスの人気者で違う世界の人みたいに思っていたけど、そんな悩みを抱えているなんて急に身近な存在に思えた。
「この姿を知られたのは、学校で亮太君だけです」
「ご、ごめん」
一ノ瀬は顔を上げて俺と目を合わせた。
「ううん、私嬉しいんです。やっぱり君は本当の私を見ても引いたりしなかったから」
「引くなんて、別にそんな……」
「私にとってはとても大切なことなんです。それで、その……」
そう言って一ノ瀬は恥ずかしそうに俺の顔を覗き込んだ。そして、俺の口に人差し指を当てる。
え……?
「このことは2人の秘密にしてくれませんか?」
なんだこの状況は!?
出来るだけ顔を動かさないように、目で同意の意思を示した。一ノ瀬は俺の口元から指を離し、くるっと背を向ける。
「そ、そろそろ行きましょうか……!」
「そう、だな」
気温が下がってきたはずなのに、体は熱くなった。
「教室に荷物取りに行くから、俺はここで」
廊下に戻ったところで言った。メイドカフェのことはもういい。どうして「働く」なんて言ったのかは分からないけど、人づきあいが苦手なのに放課後まで気を張らせるのはさすがに可哀想だ。
一ノ瀬は首を振った。
「私も忘れ物をしたので一緒に行ってもいいですか?」
「それはもちろん、いいけど……」
下校時刻が近づいていて、校舎には俺達の足音だけが響く。俺は隣を歩く一ノ瀬の方に顔を向けた。
「髪、結び直さなくていいのか? 見られたくないんだろ」
いくら
一ノ瀬は俺の言葉に恥ずかしそうに笑った。
「そうしたいんですけど、毎朝髪を縛るのに1時間かかるんです」
「1時間!?」
女子っていうのは普通そんなに時間がかかるのか?
「私が不器用すぎるだけなんですけどね。だから、もし誰かに見られそうになったらこうします」
そう言って髪の束を顔の前に持ってくると、口元を隠すようにまとめて握った。
「これならきっと私だってバレません」
昔の大泥棒か何かですか?
「余計に目立って注目されそうだけど……?」
「そうですか?」
一ノ瀬は納得がいっていない様子で髪を放した。
「時間がかかるから学校で結び直すことも出来なくて、リボンがほどけないように放課後は真っ直ぐ家に帰るんです。本当は渚や理穂と遊びたいんですけど……」
渚と理穂というのは確か、一ノ瀬の友達だったはず。放課後すぐに帰るのはそういう事情があったのか。
「演じるのは辛くないのか?」
思わず口を出た。
俺の言葉に一ノ瀬は足を止めた。
「辛そうに見えますか?」
その瞳はまっすぐに俺を見つめていて、馬鹿なことを聞いたと思った。
「確かに、身の丈に合った生き方をしていれば、隠し事も悩み事もせず済んだのかもしれません。でも、私は今が楽しいんです。新しい友達がたくさんできて、周りから期待されて。なりたい自分でいられる私は、ちょっぴり好きな私なんです」
そう言って微笑むと、一ノ瀬はまた歩き出した。
教室に入ると幸い、残っている人はいなかった。急いでカバンに教科書を詰める。
「俺は準備出来たよ」
そう言って手元から顔を上げると、一ノ瀬は窓際で外を眺めていた。少し開いた窓から吹き込む風で、柔らかそうな髪が揺れている。
声をかけたことに気づいていないみたいだったから、近くまで歩み寄った。
「一ノ瀬?」
茜色に染まった空の光が一ノ瀬の横顔を照らしていて、どこか寂しそうに見えた。
一ノ瀬はパッとこっちに顔を向けた。
「あっ、すみません。気が付かなくて。あの……さっきのアルバイトの話なんですけど」
「ああ、うん」
「働くと言ったのに申し訳ないのですが、やっぱりお断りさせてください。ごめんなさい」
そう言って頭を下げる。
「謝らなくていいよ。俺が無理言っただけだから」
「そうじゃないんです。あの時は私に声をかけてくれたことが嬉しくて一杯だったんですけど、学校以外で演じたことがないのできっと迷惑をかけてしまいます。学校での私が本当の私だったら、よかったんですけど……」
そう言って目を伏せた。そんなこと、言わせたくないのに。
「一ノ瀬はメイドカフェで働くことが嫌じゃないのか?」
俺の言葉にパッと顔を上げる。
「嫌なんてそんな……私がもし明るくて可愛かったら、こちらからお願いしたいくらいです」
「そうか分かった。それなら、一ノ瀬」
嫌じゃないのなら、これは一ノ瀬にとっても悪い話じゃないはずだ。
「俺のところに来いよ。後悔させないから」
「え……」
俺を見上げる瞳がゆらゆらと揺れる。
「一ノ瀬はそのままでいいよ。明るくなくたっていい。人づきあいが苦手だっていい。幸いかどうかは分からないけど、カフェの店長は女子にだけは優しいから、そのままの一ノ瀬を受け入れてくれると思うよ」
汐姉が一ノ瀬のことを気に入るのは目に見えている。自由奔放な人だけど、一ノ瀬の負担になるようなことはしないって信じてる。
「どうせ金を稼ぐなら、気分よく出来たほうがいいに決まってる。一ノ瀬はこのバイトで稼ぐだけじゃなくて、なりたい自分になる練習台にすればいい。でも、働いてみてやっぱり合わなかったら、辞めやすくなるように俺が仲介してもいいし」
「やります! やらせてください!」
そう言ってぐっと身を乗り出すから、その勢いに押されて一歩後ずさった。
「お、おう。じゃあそういうことで」
「はい!」
そう言って一ノ瀬は満面の笑顔を見せた。
「ちょっと従姉に連絡を……」
「あれ……」
一ノ瀬は俺の斜め後ろに顔を向けた。
「ん?」
「さっき、扉の陰に誰かいたような気がします」
そう言われて教室の入り口の方を振り向くが、近くに人影はない。
「そうか? 俺は気づかなかったけど」
「そうですか。私の気のせいかもしれないです」
俺はスマホに視線を落とした。
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