第9話 小さなお隣さん

 実の処、住処としている洞窟から森へ移動する最中に後ろから追跡してくる何かがいた事は薄々感じていた。

 鋭敏になった五感に加え第六感というべき勘、たいして長くも無い人生において感じた事などなかったそれが反応していたのだ。

 だが後を付けている何かから逃げようと思わなかったのは敵意と呼べるような感情を感じなかったからだ。

 森に生きる生物は自分が近付けば何らかの感情、或いは匂いとも呼べるものを無意識に分泌していた。

 敵意の匂い、怯えの匂い、怒りの匂い、それらを嗅ぎ分けることが出来るようになったのは最近になってからだ。

 そして、それらの匂いが後を付けてきている何かからは嗅ぎ取る事が出来なかったのだ。

 敵意でもない、怯えでもない、怒りでもない、判別できない匂いに悩まされながら最終的に出した結論は無視する事であった。

 気付いていない振りをしながら森の奥へ進んで行き、ふと何気なしに振り返った瞬間に草木に隠れる見た事がある尻尾を見た事で正体がチビだと分かったのだ。

 そして帰り道でもう一度後ろを振り返ると今度は隠れる事無くチビが後ろにいたのだ。


「………………」


「………………」


 互いに見つめ合いながら何も発しない、そんな摩訶不思議な間合いにどの様な反応を返すべきなのだろうか。

 てっきりチビは怪我が治ったから森へ帰ろうとしていただけであり、後を付けていたのではなく帰り道と重なっていただけだと思っていた。

 だが途中からは分かれて森の中に帰る事も無く現実として今もチビは後ろから付いて来ている、加えて言えば森へ帰る様子も見受けられない。


 もう自分に一度言いたい、チビにはどう接したらいいのだろうか? 

 だがいくら考えても良い答えは浮かばず、分からない、どうしよう、と考えている間に身体は動いていたのか住処としている洞窟に帰ってきた。

 そして足を止めると後ろから付いて来る足音も止まり、振り返れば微妙に距離を取った所にチビがいた。


「……はラ、へったカ?」


 試しに声を掛けてみた。威嚇などせず比較的現状出せる穏やかな声で。


「くるる──ッ!」


 チビは小さな体を膨らませて威嚇してきた。

 だが本人、いや、本獣にしてみれば精一杯威嚇しているつもりなのだろうが小さな身体を大きく見せようと毛を逆立てているだけであって怖さを感じる事は無い。 

 だがその対応が間違っていたのかさらに毛を逆立てて大きな鳴き声で威嚇するチビに自分は戸惑う事しか出来なかった。


 本当にどうしたらいいの? 


 取り敢えず威嚇してきたチビを見なかったことにして本日の戦利品である肉を抱えて住処である洞窟に帰る。

 生肉を保存する冷凍庫なんて便利な代物はないので基本的に持ち帰った肉は外に放置するしかない。

 だがそうすると生肉は直ぐに傷んでしまうので僅かでもお腹がすいた瞬間に胃袋に押し込めるしかない。

 そうして肉を洞窟に置いた次に考えるべきはチビの取り扱いだ。

 流石に洞窟の中にまで入って来る気は無いようで洞窟に入るとチビは離れ──直ぐ近くにいつの間にか出来ていた穴の中に入っていった。

 どうやら自分が住み着いている洞窟、その近くにあった窪みに寝床を作ったようだ。

 周りに土が盛り上がっているから元からあった小さな窪みから掘り進めて拡張したのだろう、住み着く気まんまんである。


 だとしたら疑問がある、何故チビは態々自分の近くに住み着いたのだろうか。

 自分は森の中に生息している生物の中では上位とはいかないまでも中位程度の大きさ持った身体である。

 成り行きと迷走の果てにチビを助けたとはいえ体の大きさから危険を感じていないのは不思議である。

 いや、もしかしたら熟慮の果てにチビは自分を与しやすい奴だと考えたのかもしれない。

 現在のチビは文字通り身体が小さく、有体に言えば一方的に捕食される側である。

 そんな弱肉強食な森に中でどうすれば身の安全を確保できるか、そう考えた場合に都合が良い生物がいた、それが狼男モドキである自分だ。

 この生き物は襲い掛かることもなく、何故か助けてくれて、近くにいれば森の動物からは襲われない。

 チビがそう考えたとすれば一応納得は出来る。

 だからといってチビは自分に対して完全に警戒を解いたわけでも気を許したわけでも無い。

 あくまで付かず離れずの距離を保ちつつ相対している現状が生存に適していると判断しているのだろう。

 そう考えると、強かでありながら賢いものだと感心するしかない。

 小さな体であるからこそ森で生きるために知恵を絞っているのだ。

 その生き様は素直に見習うべきだろう。


 そんな事を考えると同じくしてふと思った。

 もしかしたらもう一度触れ合えるのではないのか、此方から歩み寄れば仲良くなれるのではないかと。

 だから試しにチビに向ってゆっくりと腕を伸ばしてみる。


「くるるッ!」


 しかし当然のことながらチビに警戒されただけだった。

 逃げ出すことはなかったが、これ以上うかつに踏み込めば此処から逃げ出してしまいそうな雰囲気を醸し出していた。


「わかっタよ……」


 伸ばした腕を戻す、そうすればチビは一応警戒を解いてはくれた。

 取り付く島の無い対応ではあったがそれでも触れ合いたいという願いは自分の胸の中に燻ぶっていた。

 いや、それは建前でしかない、本音は触れ合って孤独を癒してほしかった。

 だが現状ではこれ以上の接触は望めない、信頼関係を築けていない現状では今の距離感を維持するのが賢明な判断なのだろう。

 そう考えながら洞窟に戻ると夕食として持ち帰った肉に口を付ける。

 持ち帰った肉は明日の朝までしか持たない量しかなく、それが減っていくのを心細く感じながら食べるしかない。

 それでも食事にありつけないよりかはマシだと考えながら食べ続け──ふとチビが何を食べているのか気になった。


 無論生き物である以上食べて飢えを満たさなければ遠からず餓死するのは避けられない。

 ならばチビも何かを食べる必要があるが、身体の大きさからして狩が出来るようには見えない。

 もし狩が出来ないのであればチビは一体何を食べているのだろうか。

 ふとした瞬間に思い付いた疑問ではあったが今は気になって仕方がない。

 であれば疑問を解消すべく洞窟から少しだけ顔を出してチビを盗み見てみた。


「……な二、それ?」


 驚いた事にチビは肉ではない何かを食べていた。

 一見した感じでは木の実様に見えるが色は紫色で非常に毒々しい。


 ──それ食べられるの!? 


 と新たな疑問が沸き上がるが取り敢えず最初の疑問は解消できた。

 また同時に木の実や果実には今迄手を出していなかった事に気付かされた。

 どうやら見た目に思考も引っ張られていたようで木の実を食べるという発想も湧かなかったが、何より見た事もない植物を目にして変化した本能が無意識に警戒していたのだ。

 そんな理由で食指を伸ばさなかった木の実をチビは巣穴から出して噛り付いていた。

 身体の小さいチビが問題なく食べているから可食できる実なのだろう。

 そうだと知ってしまうと今度は木の実の味が物凄く気になってきた。

 自分でも食べられるのではないかと考えた瞬間、自分は巣穴からはみ出ている木の実の一つに無意識に手を伸ばしていた。


「くるる──ッ!」


 当然の様に集めてきた食事を奪われると思ったチビに物凄い勢いで吠えられた。

 だが間違ってはいない、懸命に探して取ってきた食べ物を横から奪われるのは誰でも嫌に決まっている。

 責められるべきは無遠慮に手を伸ばした自分なのだ。


「交、かン」


 だから持ち帰った肉の幾分かをチビの目の前に置いた。

 等価交換、或いは現物交換とも言える行動だが木の実とは違う肉を見たチビは威嚇を辞め、目の前に置かれた肉の匂いを嗅ぎ始めた。

 クンクンと嗅いでいるが拒否する様子は無さそうだ。

 それでも勝手に取るのではなくチビにも見えるようにして木の実を一つだけ取った。

 手に取った木の実を改めて見ると一つの大きさは片手に収まる程度の大きさであり確か森の中で似たようなものを幾つか見た気がするものであった。 

 そして口に入れてみれば苦みも酸っぱさも無く、仄かに甘い……かもしれない味がした。

 あまり美味しいとは言えないだろう、それでも肉と水以外の物を口に入れて食べる事が出来たのは素直に嬉しかった。


 そうであれば今後は肉以外にも木の実や果実を探してみるのもアリかもしれない。

 そう考えて初めて自分が視野狭窄に陥っていたのだと自覚できた。


「く、く、く―ッ!」


 そんな深く考え込んで居るところにチビの凄い声が聞こえて来た。

 何かあったのかと心配になってチビの姿を見ればなんかすごい勢いで肉に噛み付いていた。

 いや、なんとか噛み千切ろうとしているのが見て分かるが肉が硬いのか噛み千切れずにいる。

 その顔は凄い事になっていて、ムチィーと擬音が聞こえそうなほど顔を膨らませながら頑張って肉を食い千切ろうとしているのが分かった。


「ナんてかオ、しれルんだ」


 チビの間抜けで可愛い姿を見ていた自分は気が付けば笑っていた。

 深い理由は無い、単に顔が凄く面白くなっていて、それが自分の笑いのツボを突いただけだ。

 それでも笑いが止まらず、嬉しさが込み上げてきた。


 ──ああ、まだ笑えた。


 こんな世界に来て、身体が変わってしまって、不安と諦め、絶望しかないと思っていた。

 それでも自分は笑えた、チビの変顔を面白いと感じる感情をまだ持っていた。

 それが溜まらなく嬉しかった。


「ありガとう」


 孤独には慣れたつもりではあったが、そんなことは無かった。

 我慢に我慢を重ね取り繕っているだけだった。

 そして我慢もいつかは限界を迎える、その時が正気を失くす時だろう。

 それでも、そうだとしても今はまだ頑張れる、もう少しだけ頑張れそうだと思う事が出来た。

 肉に夢中になって聞こえないかもしれないが、それでも久しぶりに笑わせてくれた小さな獣に私は感謝の言葉を告げた。

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