第8話 屍肉漁り

 雨上がりだけあって森の空気は湿り気を帯びていながら冷えていた。

 雑多な匂いが雨によって押し流されたのか鼻が感じとる匂いも様変わりしている。

 雑多匂いも慣れれば気にならないが雨上がりの空気の匂いも普段の森とは違って独特なものであり趣が違っている。

 優劣を付ける気は無いが雨上がりの匂いの方が自分好みであった。


「……でモ、匂イを辿レないのハ困るガ」


 だが雨上がりもいい事ばかりではない。

 生物が出す臭いの一切が雨によって洗い流され結果として森から流れる匂いは初期化されてしまった。

 そうなってしまうと見通しの悪い森の中から獲物となる小動物を見つけ出すのに活躍する嗅覚は使い物にならず狩の難易度は上がってしまう。

 雨上がりもまた生きていく環境としては過酷であることには変わりは無いのだ。


 だが何時までも洞窟の中で大人しくして居る訳にもいかない。

 何より身体にキリキリと訴えかける空腹が我慢の限界に近付きつつあるのだ。

 雨水では誤魔化せない、何か食べるものを腹に収めなければ空腹からは解放されない。

 そうして自分は理性ではなく空腹で肥大した本能の従うままに嗅覚を頼りにして動き出す。

 雨水を含んだことで冷たくぬかるんだ地面を踏みしめながら僅かな匂いも逃さないと注意しながら森を進んで行く。

 人狼モドキとなった事で自分の鋭く鋭敏になった鼻は森に生える植物や虫、動物の匂いを感じる事が出来る様になった。

 そのお陰で森の中から獲物となる小動物を見つけ出すことが出来ていたが森の中に入ってからは何も感じられない。

 見た目に違わず森は広く奥深い深く、それに見合った様々な動植物が生息している事が短い期間ながらも過ごした事で分かってきた。

 だからこそ森では闇雲に動けない、目に見える範囲に見えるのは森の植物と虫だけであり動物は滅多に見つける事は出来ない。

 偶然見付けたとしても殆どが鼠のような小動物であり、それ以上の大きさを持つ他の動物は身を隠しているのか滅多に見たことは無い。

 それは水に映った人狼モドキの姿を見て正気に戻る前の記憶も含めてだ。

 だからこそ今の自分が狩で狙えるのは数の多い小動物が中心となるのは仕方がなく、食いでが小さく満腹感を得るのであれば纏まった数を仕留める必要があった。

 だが人狼モドキになったとはいえ狩が上手くなった訳ではない、日々何とか空腹を紛らわせる位の成果しか得られず満腹には程遠いのが現状であった。


 そんな理由で余り良い成果の無い狩に全てを掛けるつもりは自分には全くない。

 現状で最優先するのは食べ物を得る事であり結局の所、食べられる物を見つけ出し腹に収めることが出来ればいいのだ。

 その為に嗅覚を常に意識しながら森の中を進み狩の獲物である小動物は勿論の事、死骸から出る血の匂いを感じ取ろうとしているのだ。


 不思議な事に今迄の生活において大型動物の死骸が放置されている事が多々あったのだ。その死骸には不審な点が幾つもあり、どの死骸も身体の一部だけが食い千切られて放置されているのだ。

 それはまるで摘まみ食いのようであり、獲物を仕留めた捕食者は主に死骸の胸、心臓とその周辺の肉と臓器の一部だけを食べて残りは放置しているのだ。

 この食べ方には何らかの理由があるのか、例えば中心部以外は猛毒であり食べたら死んでしまうのか、それとも捕食側の単なる偏食なのかは明確な理由は分かっていない。

 無論、死骸が放置されていた理由が気にならないと言えば嘘だが、考察をする時間も余裕も無いので後回しにしている。

 それに今まで放置された死骸を食べ続けて毒か何かで苦しむことは無かった事から問題にする気が起きなかったのもある。


 そんな事もあり森に入ってからは主に小動物か死骸の匂いを中心に探し続けていたが成果は皆無、森に入ってからそれなりの時間が経過していたのか空を見れば日は傾いていた。

 日暮れまでに残された時間はまだある、だがこれ以上森の奥深くに入ると住処にしている洞窟から離れすぎてしまう感覚があった。

 残念ながら此処が限界だ、これ以上先に進めば洞窟に帰るのが難しくなるので足を止めて加減引き返すべきかと考える。


 ──だが立ち止まってから暫くすると鋭敏になった嗅覚が一つの匂いを捕らえた。


「見付ケた」


 それは血の匂いであった。

 腐敗臭を嗅ぎ取れない事から死んでから時間は余り経っていないのだろう。

 血の匂いがする場所に向けて走り出し、森の奥へ少しだけ進んで行った先には腹部を大きく食い千切られた死骸が一つ放置されていた。

 どうやら死んでいるのは猪のような姿をした生物だったらしく口から上下に生えた6本の鋭い牙が特徴的な姿をしていた。

 死骸の体重は目算100kgを軽く超えているだろう。

 それだけの大きさがありながら食い千切られているのは身体の中心部、心臓とその周辺の肉だけであり他の部分は手付かずで放置されていた。 

 これだけあれば、さぞ食べ応えのある獲物に違いないのに全体の一割にも満たない量しか食べないのは捕食した相手が偏に偏食家なのだからだろう。

 そのお陰で食料に有り付ける身としてはありがたいが、仕留められた方は溜まったものではないだろうな、と考えながら死骸に食い付いて肉を食べる。


「ハイえなだナ……」


 思わず自虐の言葉が口から出てくるか間違ってはいない、今の自分はどう見てもハイエナでしかないからだ。

 これがアフリカやアマゾンであれば獲物を横取りしている様にしか見えないが文句を言ってくる人も動物もいないので食事は静かなものであった。

 血抜きをしていない生臭い肉を口に入れるのも味覚が鈍化したことで気にならない、味と触感に目を瞑りながら無心になって死骸の肉を食べ進める。

 身体が変化したせいなのか人であった時とは今の人狼モドキの身体は比較にならない程燃費が悪くなっている。

 胃が破裂する程の肉を食べても消化不良になることは無く、一食でも抜いただけでも空腹が襲ってくる。

 今できる対策としては食べられる時には大量に食べ、持ち帰られる分の肉は持って帰るくらいし出来る事は無い。

 可能であれば死骸全てを持って帰りたいが運搬は無理であり、加えて鮮度を保つことも不可能で腐らせるしかないのが現状だ。

 今の人狼モドキの身体であれば腐りかけた肉でも食べられるような気はするが、流石に試したくはない。


 それに放置され多くの肉を残した死骸だが、これもその内無くなるだろう。

 この死骸を狙っているのは自分だけではなく、今も五感を通して自分以外の生き物気配を確認できるが不意を突いて襲ってくるような気配は無い。

 何より死骸を狙って集まった生物であるため争いはしたくは無いのだろう、それに加えてどうやら森に棲む生き物達にとって自分は得体の知れないもモノらしい。

 未知の相手に対して敵対したくない、もしくは相手にすると面倒くさいと思っている節がある彼らにはあるようで息を潜めて此方を伺っているに留めている。

 この動きに関しては正直に言えば助かっていた。

 正直に言えば自分に戦闘能力などは皆無であり、その正体は身体が大きいだけの人狼モドキでしかない。

 だが彼らが一方的に誤解をしてくれるならそれでいい、お互いに無用な衝突を起こさず遠巻きに此方を伺っているだけでいいのが本音である。

 それでも長居は出来ないので他の生き物と鉢合わせない様に持てる分だけの素早く肉を確保して死骸から離れる。

 そうして死骸から離れて住処としている洞窟へ向かっていく最中、後ろからは死骸に集う生物達の咀嚼音が聞こえ続けた。


 肉を食い、両手に持てるだけの肉を持って住処である洞窟へ帰る。

 それが今日出来た事であり、この先も続いて行く日々なのだろう。

 もし肉を手に入れる事が出来なければ沢の水で腹を膨らませて誤魔化すしかない。

 だが死骸の肉をこの先も確保できる日が続いていくのかは分からない、運よく死骸に有り付ける機会はあと何回あるのだろうか。

 先を考えれば考える程先行きが不透明である事が明確になっていく、綱渡りの様な日々に

 対して不安と心細さしか感じられない。


「どうスれバ、いイんだ……」


 口からはそんな言葉が漏れ、その言葉自体の呂律も怪しくなっていく一方である。

 遠からずに言葉も失ってしまうのだろうかという不安も芽生えてくる。

 だが対処法も解決策も何も知らず分からない事ばかりであり、悩むだけ時間の無駄でしかなかった。

 そんな事をつらつら考えながら重い足取りで住処としている洞窟へ歩いていく。


 ──だが帰路の中、新しく頭頂部に生えてきた獣耳は自分が出す足音以外の音を拾った。


 それは自分の足音とは違って小さく軽く──気付かれない様に振り返れば昨日助けたチビが隠れながら後ろに居るのが見えた。

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