第3話

「くそっ」


 第一ターンマーク前に決まっちまった展開を静波凪人は悔やんだ。


 スタートが遅れた目の前の視界には全艇が壁になっていて、差しようにも差せるスペースがない。


「じゃあまくるしかないじゃん」


 スロットルレバーを一瞬放ってバックストレッチに向けボートを正対にしようとターンを決める。


「なんだよ!」


 思わず叫んだ。正対に向こうとしたボートの先端が5号艇と接触してバランスを崩してしまった。


『後方5号艇と6号艇がやや接触、6号艇がはなされる展開となりました』


 遥か遠くの1号艇は勢いそのままにバックストレッチを駆け抜けていた。


『イン線をしっかり制して逃げを決めました吉岡。2艇身空いて2号艇○○、3号艇の半艇身後ろに4号艇井原が内から3着を狙う構えか……その後ろ5号艇、また大きく水が空いて6号艇静波」


 どんなバカだって分かる、ここから着内に入ることは大きなアクシデントでも起きない限り無理だ。


 でも、このまま6着で終わるのは嫌だ!


 凪人はボートの中に身を沈め、思いっきりスロットルレバーを握った。


 モーターの轟音とその気持ちとは裏腹に前との差は一向に縮まる気配がない。


「くそくそくそくそくそ」


 ヘルメットの越しに見る世界はあまりにも残酷で今すぐにでも目を背けてしまいたかった。


 ――じいちゃん、じいちゃんが見せたかった世界ってどんなもんなんだ? プロになって一回も水面に軌跡なんて浮かんできたことないんだよ。


『……最終ターンマーク回りましてこれは人気どころ1着1番、2着2番。3着、道中の入着争い制しました4号艇井原。4着3番。5着5番。離されまして6号艇が6着で今ゴールイン1・2・4の三連単払い戻しは7.8倍。二番人気でした』


 凪人がゴールしたとき、いや凪人がゴールする前から身を乗りだして声援を送っていた観客のほとんどがすでに背中を向けていた。


 だれも凪人に注目していない何よりの証拠だ。


 呻きながら空を見上げると憎たらしいほど眩しい太陽の顔がそこにあった。


 緑色の勝負服に滲んだ水しぶきはちっとも涼やかではないし、防風林の影響で風はほとんど感じない。


 今年は早々に梅雨が明けたって言うのに快晴の空が恨めしく思えるほど凪人は不甲斐なさと苛立ちを秘めていた。


 次のレースの展示航走が始まる。凪人はそそくさと控室に消えた。

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