第2話 赤い着物と蛇女
その蛇とどれくらい向き合っただろう。凝視、していたわけではなくてただ呆然と見つめていた。
「祭りに行きたいよ。」
僕は蛇に向かって呟いた。どこからともなく僕の本音が出てきてしまったようだ。
蛇は暗くなってきた林の中で、そこだけスポットライトが当たっているように輝いていた。うーんといったふうに虹色の頭を傾げたと思うと、蛇は言った。
「それなら私といきましょう。」
目を丸くしている自分が分かった。蛇がシュルシュルと大木の陰に回ると逆の側から女性が出てきた。透き通るような白い肌に美しく長い黒髪。決して高くない鼻だが小さな口と合わせて絶妙な位置に配置されており、全体のバランスを取っていた。そんな蛇女の顔に、絢爛な着物が華やかさを演出している。黄昏時の林に映える、赤を貴重とした着物。その着物は角度によっては虹色にも見えた。
「蛇?」
僕はその女性になんとも無粋な言葉を掛けてしまった。蛇女はその質問を聞くと微笑みながら近づいてきた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。」
蛇女は僕の目の前に立つと、僕の鎖骨あたりに右手を置き平たい胸のラインをそっとなぞった。僕は全く動けなかった。
「随分と男の子ね。」
絞り出すようにそうささやくと突然抱擁された。静かな抱擁だったが、それは僕にとって激しく熱かった。嗅いだことのない甘い香りに頭が火照った。辛うじて相手の腰に手を回した僕は着物の上からは分からぬ、蛇女の腰のふくよかさに驚いた。全てを包んで許してくれそうなその腰回りに、状況が全く飲み込めない僕はふと安心した。
「そう。でも、みんな僕のことを女だって言うんだ。髪が長いから。でも僕は男で……男なんだ。」
「あなたは男よ。」
蛇女は抱擁をやめ、僕の目を見ながら両肩を掴んだ。
「そしてこんなに端正な顔をしている。」
そして僕の頬を拭った。そこで僕は自分が泣いていることに気づいた。情けなく、ウッウッと嗚咽する僕を蛇女は見つめた。何故泣いているかは自分にも分からなかったが、きっと情けないという感覚は、こういう積み重ねを経てわかるようになるのだろうとその時思った。
「ほら、泣き止んで。祭りが始まってしまうわ。」
蛇女が奮い立たせるように僕の頭を撫でた。僕は頷いたが、泣き止むことができずその場に突っ立ったままだった。
「やっぱり僕は行けない。祭りには行けないよ。殴られるのは痛いから。」
涙でぐちゃぐちゃになった僕の視界に蛇女の困った顔が入った。「どうしようもない子ね。」
「あなた、自分で自分のことを信じられなくなってはだめよ。男なら殴りかえしてみなさいよ。」
そう言うと僕の頬の涙を拭った。僕はコクコクとうなずきハアっとため息をついた。
「さあ、祭りにいきましょう。誰にも会わないから。」
女蛇が僕の手を引いた。が、僕の身体はビクとも動かず、また女蛇は困った顔になった。僕も自分の身体がどうして動かないのか分からなかったが、どうしても祭りに行きたくないと言う気持ちはあった。
それなら、と蛇女はつぶやき僕の足元にうずくまった。蛇女はまっすぐ前を見たまま絞り出すように言った。「私が男にしてあげましょう。その代わり、祭りに行ったらあなたを殴った子たちを必ず殴り返しなさい。」
ジジッとセミが鳴いた。僕のそれが、蛇女の口に含まれるのが分かった。頭の中が真っ白になり、まるで下半身が深く、温かい沼に浸かってしまったようだった。太ももから下腹部まで痺れ、その痺れが直接脳幹を刺激した。感じたことのない快感に身震いすると、思わず前かがみになり、蛇女の頭に鼻がコツンと当たった。痛みではなく、甘い香りが鼻を包み込む。
「立派なものじゃない。」
少し息を切らしながら蛇女は僕のことを上目遣いで見てきた。自分よりかなり年上の女性の上目遣いを見るのは初めてだったから痙攣しっぱなしの心がドキッとした。
「あり、がとう。」
なんと答えて良いか分からず、それだけ言ってみた。口からその言葉が出終わると、顔が硬直して唇がピリピリするのが分かった。僕は一体今何をしているんだ?きっとこれは夢に違いない。夢だったら悪夢だ。蛇だった女の口に含まれて、褒められて、それで……、自分の身体がまだひくついている。ふと下に視線を移すと、僕のそれが蛇女の手に握られ、その手は前後に動かされていた。蛇女の手はひんやりと冷たい。その手と僕のそれの熱が混じり合い、何がなんだか、もうどうでも良くなってきた。そう考えると身体の一番奥の部分から力が湧き上がり、僕は蛇女を突き飛ばした。蛇女が小さく叫び後ろにのけぞる。その瞬間を逃さず、僕は彼女の足を両手で掴んだ。蛇女のふくらはぎはふんわりと柔らかかった。そのふくらはぎを両手で手繰り寄せると蛇女の上に覆いかぶさる。小刻みに息を吐きながら必死に逃げようとする蛇女を地面に押さえつけた。僕のほうが蛇女より少し背丈は小さかったがどうやら力では負けないようだった。
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