祭りと蛇
八鶴 斎智
第1話 虹色の蛇
この街に夏祭りの太鼓と笛が鳴り響く。切ない音が乗った湿った風を頬い感じながら、十歳になった僕は田んぼの畦道を、神社に向かってフラフラと歩いていた。
夏祭りの期間は大人が優しくて好きだ。父によると、この期間は死んだ人があの世から返ってくるらしい。だから太鼓や笛を鳴らし、場所を知らせるのだという。それを聞いたとき、きっと父が僕を怖がらせようと考えているのだと思った。が、今になって考えてみると、どうやらそうでは無いようだった。
僕から見て大人は難しい。嘘みたいなことを信じているようで、やっぱり信じていないようで、時々わからなくなる。僕はわかりやすい大人になろうと決めている。そしてできるだけ嘘はつかないようにする。付いてはいい嘘、付いては行けない嘘。どちらも嘘は嘘だからついてはいけない。
しばらく歩いていると目のまえを一匹の蛇が通り過ぎた。「あっ!」と僕は小さく言った。その蛇は随分と綺麗な色をしていて、虹色に燦然とくねる姿を確かに見た。今まで茶色っぽいアオダイショウしか見てこなかった僕には、その蛇を追いかけるより他なかった。靴を吐き捨て田んぼの用水路を越え、青々とした稲をかき分けていると「おい!」と近所のおばさんに声をかけられた。
「お前、何してるんだ。稲が倒れてしまうだろうが。」
「蛇がいて。」
「んあ、蛇なんてそこらにいるだろうがね。」
そういうとおばさんは目を凝らした。
「あんた、江守のところのオカマの子じゃねえか。」
「オカマじゃねえ、髪を伸ばしているだけだ。」
僕は近くの稲をわざと倒しながら叫んだ。
「みっともない、はよ切んしゃい。」
おばさんは叫び返すと家の中に入っていった。憤然としながらしばらく僕も突っ立っていたが、ふと用水路の方に歩き、足の泥を流して靴を履き直した。
あの蛇はなんだったのだろうか。僕ははっきりと虹色の姿を見たのだ。きっと見間違いではない。そんなことを思いながらオカマと言われたことに次第に腹が立ってきた。僕は同年代の男の子に比べて髪が長い。好きでそうしているのだ。別に誰かにとやかく言われることはない。
母親も父親も昔から僕のことを女の子のように扱ってきた。髪の毛もそうだが、存在そのものを。育ち方は近くに住んでいる男の子達とは全く違った。僕はそれが何故だかわかる。仕方ないことなのだ。そして僕も女の子の扱いをされることは嫌ではなかった。だが、他人にオカマと言われることは虫唾が走るほど嫌だった。僕はオカマじゃない。自分が好きでそうしているだけなのだ。誰もそれには気づかず、僕を男の子でも女の子でもない枠にはめ込む。だが僕は男だ。男であることは男であることなのだ。
そんなことを思いながら神社に向かっていると、後頭部から火花が散るような衝撃が走り、僕は前のめりになった。
「虹色へーび、虹色へーび。」
屈みながら前をみると懸命に手を叩きながら叫んでいるのは近所の男の子がいた。
「聞いてたの?」
僕は情けなくなり聞いた。そこにいる皆は僕を、小学校で無視してくるから、絡んでくれるのは嬉しかった。
「わっ!喋った!オカマが喋った!」
「虹色の蛇がいるらしいぜ!」
「嘘つきオカマ!」
そう口々に叫ぶと男の子たちは神社の方向に走って去っていった。僕は一人、その後ろ姿を呆然と眺めた。嵐が過ぎ去ったような、とはこういうことを言うのだろうか。結局僕は一人。虹色の蛇を確かに見たのに、嘘つきのハクだけついた一人ぼっちだった。衝撃の走ったあとの後頭部を撫でながら僕は神社に向かって歩きだした。
田んぼの中に一つだけぽつんと立つ神社。少し遠くから見る神社には高い木の棒が何本も立っており、村の者全員が集まったのかというほど人が多く集まっていた。黄色く光る提灯に赤く光る提灯。その前を人があることで点滅して見えた。絶えず鳴り止まぬ太鼓の音と笛の音が近い。先ほど僕の頭を殴った男の子がいて、彼らは屋台で買った何かを口にしていた。僕も何か食べてみたいがお金を持っていない。しまったと僕は思った。今日はお父さんの機嫌が良かったことだし、小銭をもらってくるべきだった。どうしようか、などと考えても仕方なく、歩みを進めるとついに僕も祭りの中に入った。
一連の曲が終わったのか太鼓と笛の音が止む。人々の喧しさが遠くからやってきたような感覚になった。
「江守のオカマじゃん。」
近くを歩いていた男の子が一人僕に声をかけた。
「何してるの。」
「祭りに来てみた。」
「それはわかるがいね。」
男の子がニッと歯を見せて笑った。僕もその顔を見て笑いかえすとうまく笑えず、口角だけ上がった能面のような顔つきになった。その顔を見ると男の子は笑いながら本気で僕のことを殴った。
「気持ち悪いや、やっぱ、お前。」
言い返そうと口を動かすとすかさず二発目を食らった。
「喋るがいな、気持ち悪い。」
男の子は笑っていた。僕は走って逃げた。涙も鼻水も沢山流した。走っているうちに口がだらしなく開き、ゼイゼイと息切れを始めるとよだれが流れて服の前についた。それを拭うと、手をだらしなく前に伸ばし、神社が見える小高くなった林に駆け込んだ。僕はただ祭りに行きたかっただけなのだ。お金もないが、ただ祭りの雰囲気の中に溶け込めればそれで良かっただけなのだ。なのになぜ殴られなくてはならない。なぜ髪が長いだけでオカマと言われなくてはならない。悔しさを噛み締めながら僕は木の株に座り込んだ。天を仰ぐと薄暗くなった空がひしめく木の間から見えた。もうそろそろ日が暮れる。そのうち一本の細い木の肌をなぞりながら地上に目を戻すと、そこには虹色の蛇がいた。
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